諏訪内晶子という日本人ヴァイオリニストがチャイコフスキー・コンクールで優勝し、一大センセーションを巻き起こしたのは確か六年前であっただろうか。それからしばらくの間は頻繁にコンサートの記事を目にした覚えがあるが、そのうちぱったりと噂を聞かなくなってしまった。天才少女、大人になったらただの人というわけではないが、若い頃にはまわりからちやほやされても、その後伸び悩み、結局忘れ去られてしまうというのはよくある話で、彼女もそんな中の一人だとばかり思っていた。コンクール本選で彼女が弾いたチャイコフスキーの協奏曲の熱演に好感を持っていた僕としては残念なことではあったが。
そうして、諏訪内晶子という名前すら忘れかけていたのだが、今年になるとまたリサイタルのちらしを時折見かけるようになった。この時期になってまた名前が出てくるというのは、以前とはなにか違う演奏をするようになったのか、半信半疑ながら僕は非常に興味を持ちはしたが、結局自分の中で疑いの気持ちの方が強く、リサイタルも聴きに行くことはなかった。
そんな中、彼女のデビューCDが発売された。ブルッフのヴァイオリン協奏曲第一番とスコットランド幻想曲というデビュー盤としては比較的地味な作品を収めたCDが店頭に並んでいる、そのジャケットの彼女の写真を見たときに、僕の疑いは消えて無くなっていった。なにかを見据えたような眼、精悍な表情、自分が何者であり、何をしたいのかが手に取るようにわかる。この人は間違いなく成長している。
ジャケットの写真から感じた印象を、実際にCDでの演奏を聴いていっそう強くした。自分のヴァイオリンを聴かせてやろうなどという気負いは全く感じられず、謙虚に作品と向かい合っているが、その背後に非常に強い意志の力みたいなものがあり、それが演奏全体に緊張感をもたらしている。彼女の著書「ヴァイオリンと翔る」の中で、コンクール後の演奏旅行に明け暮れるあわただしい生活の中で、自分のヴァイオリニストとしての将来に行き詰まりを感じ、もう一度勉強し直す道を選んだ経緯について触れられているが、自分の将来についての不安は彼女と同じ世代である僕も時折感じることであり、とても共感が持てた。チャイコフスキー・コンクールの後、「何よりも、音楽に対する謙虚さが必要なのだ」と感じたとあるが、まさにその謙虚さがこの演奏を魅力溢れるものにしている。まだ若い彼女だけに、これからどのように成長していくのか、無限の可能性を秘めていると言っていい。
「ヴァイオリンと翔る」の中に、彼女がよくコンサートを行うサロンの聴衆の人の言葉が引用されている。
「私たちは今夜、素晴らしい人生のスタートを切ろうとしています。古き佳き時代、ヨーロッパの音楽愛好家たちは、自分の好きな音楽家の成長を見守り、彼等の成熟に自分の人生の軌道を重ねて行くことに無上の喜びを見出すという、素敵な生き方を身につけていたと言われています。・・・私たちは、この日本で、一人の若いヴァイオリニストを知る機会がありました。私には、彼女の音楽家としての成長をこれからもずっと見守って行ける、そんな人生の楽しみが増えたような気がします。」
彼女こそ、これからの成長を見守っていくに足る音楽家ではなかろうか。('96.12.1)