僕は小さい頃からチェロをやっていたのだけれど、チェロというと避けて通れないのがバッハの無伴奏チェロ組曲。僕の先生もチェリストのバイブルだといい、カザルスの演奏を薦められたのでCDを買って小さい頃から聴いていた。
確かに、バッハの死後長い間忘れ去られていたこの曲を再発見し、これ程までに広めたのはカザルスの功績であるし、バッハといえばカザルス、カザルスといえばバッハとさえいう人もいる(僕の先生はレコード盤から白い粉が吹き出る程まで聴き込んだらしい)。でも、僕にはなにがいいのかさっぱり解らなかった。やたらに難しい割に演奏効果が上がるようには書かれてないし、メロディーがきれいというわけでもなくごつごつしている。正直いってなんでこんなもんがバイブルなんだろうと思い、コンサートで弾くことがあってもそれはバッハの曲を弾くというと周りから"すごいねえ"とか"かっこいい"と言われる(そう言っている人も実はバッハの事をよくわかっていないのだが)からだった。
そんなふうに思っていたある日、父親がきまぐれでとあるレンタルショップからマイスキーのバッハのCDを借りてきた。で、何の気なしに聴いたのだけれど、これを聴いて僕はう〜んとうなってしまった。今まで聴いたり弾いたりしてきた曲とは思えない、別の曲のようだった。それでいて演奏の背後にカザルスと同じものが感じられる。マイスキーを聴いて始めてカザルスのよさも解った気がしたし、バッハの真のよさが解ったような気がした。バッハの曲はどんなアプローチの仕方をしても決して曲が台無しになることが無く、どんな演奏にも耐えうる(その証拠に、バッハの曲はジャズやポピュラーでもよく使われている。当然テクニックに問題がある場合は除くけど)。許容性の大きさみたいなものを感じた。このことに気がついたとき、はじめてバッハを聴く楽しさ、演奏する楽しさを知りました。
こうして、チェロの曲だけでなく他のジャンルの曲も聴くようになった。特に僕が好きなのは、ピアニストのグレン・グールド。彼の弾くフーガは各々の声部が全く違った表情を持っていて、とても一人で弾いているようには思えない。彼の平均律や、ゴールドベルク変奏曲などは、聴いているだけで楽しくなってしまう。また、最近は古楽器による演奏もたくさん出ていて、その新鮮な響には耳が洗い流されるような錯覚を覚えます。そして、楽しみながら聴いているうちに、巷でよくいわれる精神性みたいなものも最近感じるようになってきました。僕自身もバッハのチェロ曲全曲制覇の目標を掲げ、日々練習に励んでおります。ただ、バッハは技術的に異様に難しいから、目標達成は不可能だということが練習すればするほど解ってきた。プロの人というのは本当にすごいなあということを実感しています。('96.7.31)