アマチュアプレイヤーによる

室内楽の愉しみ

2003年5月4日(日) 14:00開演

守山文化小劇場(名鉄瀬戸線・小幡駅すぐ 詳しくはこちら  入場無料

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ショスタコーヴィチ ピアノ三重奏曲第2番ホ短調 曲目解説


ドミトリ・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ(上)と
イヴァン・イヴァチノヴィチ・ソレルティンスキー


時は1943年秋、独ソ戦の戦況は変化しつつあった。ヒトラー軍に押されっぱなしだったソ連軍は徐々に反撃に転じ、首都モスクワは既に危険な状態から脱していた。交響曲第5番「革命」と第7番「レニングラード」の大成功でその名が知れ渡っていたドミトリ・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチはその頃モスクワ音楽院で作曲を教えていたが、そのモスクワ音楽院に、まだ16歳のムスティスラフ・ロストロポーヴィチがチェロと作曲の勉強をするために入学してきた。

当時からテクニックに関してはずば抜けていたであろうロストロポーヴィチに、ショスタコーヴィチは度々チェロの演奏技術の可能性について尋ねていたようだ。1943年の秋も深まったある日、ショスタコーヴィチは彼独特のぎくしゃくした筆跡の楽譜を手渡した。彼はチェロで高い音のハーモニクスが演奏可能かどうかわからなかったのだが、ロストロポーヴィチはその場で完璧に弾いてしまった。他のチェリストにとっては神経が引きちぎられそうなほど難しいこの楽譜は、それからたった数ヵ月後に完成されたピアノ三重奏曲第2番の冒頭に早速採用されることとなる。

当時ショスタコーヴィチが親しくしていた友人の1人に、作家のイヴァン・イヴァチノヴィチ・ソレルティンスキーがいる。学生時代からアイスキュロス、ソフォクレスなどを原文で読み、20ヶ国語以上を理解し、音楽にも精通していたというソレルティンスキーから学ぶところは多かったに違いない。「つねに私の世界観を広げようとしてくれ、私を啓発し、いわば『バッハからオッフェンバックまで』私の音楽に対する興味を広げてくれた」と感謝していたし、オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」がスターリンの気に召さず、ソ連当局から公然と非難された「プラウダ批判」の際も、ソレルティンスキーはショスタコーヴィチを支え続けた。(余談だが、この「プラウダ批判」に応える形で作曲されたのが、有名な交響曲第5番である。この曲の大成功でショスタコーヴィチは窮地を脱するのだが、歓喜に至っているはずの最終楽章が微妙に不協和な響きのおかげで喜びきれていない印象を与えるあたり、この作曲家の一筋縄ではいかない部分というか、皮肉に満ちた性格の一端を垣間見る思いがする。第7番「レニングラード」にも同じことが言える。)

そのソレルティンスキーが1944年に41歳で急死してしまうのである。一番の大親友を失ったショスタコーヴィチの悲しみはいかばかりであっただろうか。「イヴァン・イヴァチノヴィチの死の知らせを聞いて私を襲った悲しみを、すべて言葉で表すことはできません。私が成長できたのも、すべては彼のおかげです。彼なしで生きることは、あまりに辛すぎます。」また20年以上経った後でも、「新しい作品に取り組んでいると、いつも思うのです。イヴァン・イヴァチノヴィチならどう言うだろうかと。」とインタビューで打ち明けている。

そんな大親友の死後最初に完成した大作が、ピアノ三重奏曲第2番ホ短調作品67である。チャイコフスキーとラフマニノフによるロシアの伝統に従い、ピアノ三重奏曲を偉大な故人に捧げたという形にはなったが、実際はソレルティンスキーの生前から作曲を始めていたらしい。曲は4楽章形式で、今回演奏するのはその両端楽章。第1楽章はロストロポーヴィチのおかげで後のチェリストが苦労を強いられることとなったハーモニクスによる悲痛な主題が印象的(譜例1)。第4楽章は幾分グロテスクな雰囲気を持ち、また東洋風の雰囲気もある。ヴァイオリンのピッチカートによる旋律の後、両弦楽器が激しくピッチカートで連打する和音をバックにピアノで奏される旋律は、俗に「ユダヤの旋律」と呼ばれている(譜例2)。舞踊的な性格を持ちながらも、前年(1943年)に作曲された交響曲第8番第3楽章の金切り声に似た金管のモチーフをも連想させる、陽気さと悲劇性を併せ持った旋律で、後に弦楽四重奏曲第8番でも引用されている。またチェロによって奏される5拍子のメロディや、第1楽章の主題も再び登場するなど、非常に印象に残る楽章である。

この後、ショスタコーヴィチは交響曲第9番の作曲に取りかかる。1945年、ナチスドイツに勝利したソ連では、ショスタコーヴィチに戦勝をたたえる合唱付の大交響曲の作曲を期待していた。ベートーヴェンやブルックナー、マーラーなど過去の大作曲家が金字塔を打ち立て、また鬼門ともなってきた「第九」で、ショスタコーヴィチは期待に溢れる共産党幹部を煙に巻くような、軽く短く風刺に満ちた「第九」を発表。ナチスドイツとスターリンによる独裁国家、どっちもどっちだと思っていたのではなかろうかと、ショスタコーヴィチの胸の内を勘ぐってしまう。しかしそのためか、1948年の「ジダーノフ批判」でショスタコーヴィチは再び当局からの非難を浴びて窮地に追い込まれることとなる。


譜例1 第1楽章冒頭
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譜例2 第4楽章
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参考文献と参考サイト
 ・ショスタコーヴィチ ある生涯 (ローレル・E・ファーイ著 アルファベータ社)
 ・ショスタコーヴィチ大研究 (春秋社)
 ・作曲家別名曲解説ライブラリー ショスタコーヴィチ (音楽之友社)
 ・ギレリス&コーガン&ロストロポーヴィチ盤CD解説 (BBCL 4024-2 輸入盤)
 ・Dmitri Dmitriyevich Shostakovich(http://homepage2.nifty.com/shostakovich/







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