2012年01月01日

通俗名曲

指揮者のフェレンツ・フリッチャイがスメタナのモルダウをリハーサルしている映像がある。これを僕は昔LDで出た頃に見たのだが、とても面白かった。正直これを見るまで、スメタナのモルダウなんて、通俗名曲だというだけで知っている気になっていたけど、フリッチャイのリハーサルを見て、あの部分この部分にこんな意味があったのか、といちいち目が覚める思いがした。と同時に、名曲には名曲というだけでは済まされない深みというか、奥行きがあることを思い知らされた。

最近、これと同じことをとてもよく感じる。何か聴きたいなと思って手に取るCD、DVDは、たいていが有名作曲家の有名曲。モーツァルトのピアノ協奏曲や後期の交響曲、ベートーヴェンの運命、ピアノ協奏曲やピアノ・ソナタ、シューベルトの歌曲、チャイコフスキーの後期の交響曲、ドヴォルザークの新世界より、シベリウスの1番と2番、マーラーなら聴き慣れた1番と5番、小曲ではモルダウ、ハンガリー舞曲とスラヴ舞曲、軽騎兵序曲、天国と地獄など。いわゆるクラシックを聴き始める人が最初に聴くような曲を、自分は未だに聴いている。でもこういう通俗名曲は、古典文学と同じで、長い間たくさんの人に聴かれるのに耐えてきている。こういう曲を聴くのはまったく、ローリスク・ハイリターンだ。普通の曲を普通に聴くというのは、なんと幸せで実りの多いことだろうか。

2012年が皆さまにとって実りの多い年でありますように。

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2010年09月20日

スリリングでした

前回書いてから知らないうちに1ヶ月以上たってしまって、しかも演奏会が1つ終わってしまいました。昨日は名古屋市立大学OB管弦楽団の演奏会でしたが、なんか非常にスリリングでした。大学祝典序曲はそれまでの練習ではありえない速さで始まるし、ドヴォルザーク7番4楽章の冒頭は止まるんじゃないかと思ったし。そんな緊張感がお客さんに伝わっていればいいなと思います。

今日の中日新聞の朝刊に、なぜか写真付きで記事になっていました。自分も写ってるけど、構えがかなりシュタルケルっぽい。長い間弾いていなくて弾き方を忘れてるのをチャンスだと思い、できるだけ疲れない弾き方はないかと模索中なのですが、最近読んだ「ヤーノシュ・シュタルケル自伝」、それに一時期話題になったヴィクター・セイザーのチェロ奏法を読み返したりして、自分はどうしたらいいかと考えて試してみてます。結果今回は以前に比べると残った疲れがかなり少ない気がするけど、単に以前より練習量が少ないからというだけかもしれず、まだまだ先は長いと思って地道に取り組むかと思っているところ。

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2009年12月31日

「火の鳥」

最近、ストラヴィンスキーの「火の鳥」をいくつか聴いています。ケント・ナガノ指揮のものはいつもながらの律儀な演奏で飽きがこない演奏。ラトル指揮ベルリン・フィルの何年か前のヨーロッパコンサートのものは、指揮というよりオーケストラの超絶技巧を見るべき演奏。とても速いテンポを何事もなかったかのようにこなす管楽器は圧巻で、ほんの一瞬のクヴァントくんのソロも、ほんの一瞬だけですごいとうならせる含蓄の深さ。アバド指揮の2008年ルツェルンフェスティバルのものは、超大編成のオーケストラで迫力の演奏。でも「火の鳥」よりチャイコフスキーの「テンペスト」の方が印象深い。

最近忙しくてなかなか更新できないけど、のんびりやっていきますのでどうぞよろしく。皆様よいお年を。

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2009年11月08日

大野和士&リヨン歌劇場管弦楽団

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昨日はとても楽しみにしていた、大野和士指揮フランス国立リヨン歌劇場管弦楽団の演奏会を聴きに行ってきました。前半にショーソンの交響曲、後半にドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」とストラヴィンスキーの「火の鳥」。

いくつか聴いていた録音の「一糸乱れぬ」という印象は、実演を聴いても全く変わらなかった。この人はどのオケを振っても、張り詰めた緊張感のある、一糸乱れぬ演奏になるなぁ。指揮ぶりはシンプルで明快、余計な動きはせずに拍を刻んでいく。初めて聴いたショーソンの交響曲はメリハリが効いて冗長にならず緊張感を持って聴けたし、つかみどころなく終わってしまいがちな「牧神の午後への前奏曲」も輪郭がはっきりした演奏、「火の鳥」は場面ごとの演じ分けがすごかった。オーケストラの音量も大きく、みんな一生懸命に弾いていた。割と若い人が多めではあったけど、指揮者を中心にまさに一つになった演奏だった。「火の鳥」の最後の音が消えるや否や、うめくような「ブラボー」「すごい」という声があちこちで聞こえた。本当に凄まじかった。こういう演奏会に当たると本当にうれしい。

楽団員が舞台から去った後も拍手は鳴り止まず、指揮者だけ再び舞台上に現れると一段と大きな拍手が。こういう光景はテレビでしか、ベームとかアバドとかでしか見たことなかったけど、名古屋で体験できるとは。もちろん、あまりに素晴らしい演奏には長く拍手を送っていたいというのは当然かと。

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2009年09月23日

ベートーヴェンの7番とか

ばたばたしててなかなか更新できない間に、名市大OBオケの演奏会に出てきました。ベートーヴェンの7番、スメタナの「モルダウ」、レスピーギの「ローマの松」と、弾いたことのない曲ばかりだったけど、さらうのがそう大変じゃなかったので助かった感じ。特にベートーヴェンの7番は素直な譜面だなぁという印象で、さらうのは楽だったけど、その分曲としていまいち完全じゃないというか詰まってないというか、ベートーヴェン自身が8番より7番の方が聴衆の受けがいいことに意外な気持ちを持っていたというのが、弾いてみてよくわかった気がした。

でも第2楽章だけは絶品。こういう曲は淡々と、ため息混じりに世の中に対する諦めの気持ちでもって演奏したいところだったが、自分の演奏に対する諦めの気持ちになってしまいそうだった。

冗談はさておき、今回はABQのギュンター・ピヒラー氏の言葉が思い出されて仕方なかった。曰く、「一流の作曲家の曲は二流のそれよりも、少ない脚色で十分だ。」

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2009年07月20日

はしご

昨日は結婚披露宴のはしごでした。昼の部と夜の部。昼食と夕食がフルコースですよ。これを続けると間違いなくメタボになるね。

夜の部でチェロを弾いてきました。ハイドンの「ひばり」第1楽章とショスタコーヴィチのロマンス。初っ端からプロのバイオリニスト(新婦の妹)によるマジな演奏があって、それを聴いた自分と大学の時からのいつものメンバー達はビビってしまってせっかくの食事をしっかり味わう余裕もなく。でも綿密なリハーサル?のおかげといつものメンバーという気安さも手伝って、楽しく弾けました。僕以外の2人は新婦母に上手になったと褒められ、ご満悦のようでした。

さて、ショスタコーヴィチのロマンスはピアノ五重奏版の楽譜で無理矢理ピアノ四重奏で弾いたけど、U井くんの選曲。とても綺麗ないい曲で、素晴らしい選曲でした。そしてチェロは結構高い音で弾く箇所があるんだけど、これ昔だったら適当にあてずっぽで弾いてただろうなと。今は以前に比べるときちんと左手のポジションを取ろうという意識があるので、割とすんなり弾けた。誰も言ってくれないから自分で言うけど、自分は上手になった。

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2009年06月09日

ランチタイム名曲コンサート

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昨日は宗次ホールへ、長谷部一郎氏のチェロを聴きに行ってきました。お昼11:30からのランチタイム名曲コンサートで、白鳥やエレジーといった有名な曲から、プーランクの「フランス組曲」、ソリマの「アローン」といった珍しい曲まで、正味1時間のコンサート。

この宗次ホールのお昼のコンサートは初めて来たけど、すごいたくさんのお客さんでした。いつもこんなに多いのだろうか。演奏者自身による曲紹介等の話も面白く(こんな面白い人だったなんて!)、とても楽しいコンサートでした。一郎氏は左手のポジション移動がシステマティックで素晴らしく、とても参考になった。パガニーニの「モーゼの主題による変奏曲」が伸びやかで的確で、一番印象に残ったかなぁ。

サン・サーンスの白鳥はいつも思うけど、なんでこんなに有名なのだろうか?他にもたくさんいい曲はあるのに、そして弾くのは実はとても難しいのに、チェロといえば白鳥、という世の中の風潮は未だによくわからないなぁ。

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2009年04月28日

モーツァルティアーデ

昨日は「モーツァルティアーデ」と題された酒井淳氏のクラシカルチェロ・リサイタルを聴きに、電気文化会館ザ・コンサートホールへ行ってきました。モーツァルトの四男、フランツ・ザビエル・モーツァルトの「グランド・ソナタ ホ短調」を中心にすえ、これとダンツィの「ドン・ジョヴァンニの主題と変奏」をモーツァルトの2曲の幻想曲ハ短調とニ短調ではさみ、さらにこれらをベートーヴェンの2曲の「魔笛の主題による変奏曲」ではさむ、という手の込んだプログラム。チェロにはガット弦を張り、ピアノはアントン・ワルターのフォルテピアノのコピーと、楽器にもこだわってます。

クラシカルチェロは、思ったより音が通って、わりと後ろの方の席で聴いていたのだけれど全然距離を感じなかった。ピアノとの音量のバランスもいいし、何より低弦の、コントラバスとの相の子のような深い響きがいい。スチール弦ではああいう音が出ないのです。酒井氏の演奏は何年か前にバッハの無伴奏を聴いたのが最後かなぁ、その時よりとても味のある演奏で、とてもよかった。珍しい曲を聴ける楽しさと演奏者の深化を感じる楽しさと、両方楽しめてとてもよかった。

さて、初めて聴くフランツ・ザビエルの「グランド・ソナタ」ですが、沈鬱な第2楽章と快活な第3楽章は興味深く聴いたけど、第1楽章はちょっと冗長に感じた。メンデルスゾーンがチェロソナタ第1番を書いた時に影響を受けたそうだけど、メンデルスゾーンの方がはるかに完成された立派な曲に思える。アンコールでウォルフガング・アマデウスの未完の「アンダンティーノ」を弾いてくれて、これも僕は存在は知っていたけど聴くのは初めてだったんだけど、簡潔な曲ながら不思議と詩情があるような気がするんだなぁ。息子の曲より断然印象深く感じた。アマデウスの曲だと知らされて聴いたからかしらん。

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2009年04月06日

不況以外にも

何日か前の朝のニュースで、クラシック音楽業界に不況が直撃している、というのがやってました。先日の新聞の記事と内容はかぶるんだけど、この朝のニュースでは海外オーケストラの来日中止の他、日本のオーケストラの苦しい台所事情も話題になっていました。不況でチケットが売れず、企業からの支援金も減っているとのこと。

どうなんだろうか?最近はDVDも安くなったし、YouTubeもある。ベルリン・フィルはネット上での定期演奏会配信を始めた(ラトル指揮のブラームス2番4楽章が試視聴できます)けど、世界最高のオーケストラのリアルタイムの演奏を世界のどこにいても見て聴くことができる。恐ろしい世の中だ。わざわざチケット買って足を運んでその辺のオーケストラを聴きに行くなんて、そんな機会が減るのは間違いないんじゃないかなと。チケット売れないのは単に不況だからだけではなく、他の要因もおおいにあるような気がする。

でもそんなこと言ってても仕方ないし、もともと生演奏には臨場感という大きな強みがあるわけで、企画に独自色を出して、また聴きたいなぁと思わせる演奏をしていれば、チケットはきっと売れると、そんなふうに前向きに考えてもらって面白い演奏会をどんどん提示してもらいたいなぁと感じる今日この頃。

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2009年03月20日

OEK

先週の水曜日なので1週間以上経ってしまったけど、オーケストラ・アンサンブル金沢の名古屋公演を聴きに行ってきました。ハイドンの「軍隊」、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番、そして休憩後にビゼーの「アルルの女」。指揮は井上道義。

ハイドンの1楽章が終わったところで、名古屋公演30回を記念して井上氏の簡単なごあいさつ。そのハイドンはなんか音が散ってしまって、芯がないような感じがして聴いてて消化不良だった。しかしブルッフでは俄然調子が出てくる。調子付けたのは一昨年のチャイコフスキーコンクールで優勝した神尾真由子。まだ20歳そこそこなのにすごい存在感で、強靭な音色でガンガン弾く。ブルッフのコンチェルトなんて、って昔は軽いちょっとした曲くらいにしか思ってなかったけど、いろいろ聴いて、最近はとてもいい曲だなぁと思っていたところ。この日の演奏も曲の素晴らしさを堪能できた。特に第1楽章はゾクゾクするね。でも第2楽章は退屈で第3楽章はいまいちだった。アンコールはパガニーニのカプリース第9番。

後半の「アルルの女」は、こういう劇音楽は井上氏は得意というかかなり好きみたいで、堂に入った演奏。しっかり楽しみました。

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2009年03月16日

「音楽事務所破産の舞台裏」

今日の中日新聞夕刊に「音楽事務所破産の舞台裏」という記事があった。海外からの招聘は、もともと都心の公演は赤字で、その分を地方の公演で穴埋めしている、という話を聞いたことがあったけど、この不況による財政難で地方が公演を買わず、都心の公演のチケットの売れ行きも当然良くない。それで招聘した音楽事務所が破産してしまったり公演が中止になってしまったりするケースもあるとか。

こういうのを見ると、芸術は立派なものかもしれないけど結局はビジネスとして成り立たないといけないし、難しいなぁと思う。ベルリン・フィルやウィーン・フィルのチケットはとんでもなく高くてもすぐに売り切れちゃうのに、アルバン・ベルクQのさよなら公演では空席が結構あったりするのを経験していると、いったい我々は何を基準にチケット買っているのか、と思ってしまう。

そのチケットだって、果たして買っているのか。裏で安く出回ったりしてるらしいからね。そういう僕も都響はどうしても聴きたかったから自分で買ったけど、読売日響はどちらでもいいなぁと思ってて、知人から譲ってもらえたから聴きに行った。本当に聴きたい人はお金出して買って、どちらでもいい人はタダで譲ってもらう。何か矛盾してるよね。

楽譜なんかについても思うけど、コピーで済ますと出版社が儲からないから次の楽譜を出版するお金が準備できなくて、世の中に出回る楽譜が少なくなって、結局コピー使ってると自分の首を絞めるかも、という罠。やっぱりちゃんとしたものにはしっかりお金を払わないといけないなぁと思う。タダでもらったものは自分の身につかないんだと言い聞かせながら。

先週の水曜日は、お金出してチケットを買ったアンサンブル金沢の演奏会を聴きに行ったんだった。どうしても聴きたかったので。その話はまた後日。

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2009年02月22日

グスターボ・ドゥダメル

グスターボ・ドゥダメル指揮の演奏会をテレビで見ました。ベネズエラのシモン・ボリバル・ユース・オーケストラを指揮した来日公演ではラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲とチャイコフスキーの5番、ベルリン・フィルを指揮したワルトビューネ・コンサートでは南米系の曲をいくつか。

何ヶ月か前にFMでドゥダメル指揮の演奏ばかり何時間か放送してたことがあって、ベートーヴェンやらコダーイやらストラヴィンスキーやらショスタコーヴィチやら、ほんとにいろんな時代の曲を指揮してて、若いのにすごい人がいるもんだと思ったけど、印象はその時と同じかなぁ。リズムのはっきりした曲が得意というか大好きみたいで、ゆっくりの部分を本当にじっくりと演奏するので、速い部分が余計に際立つ感じ。ベネズエラのユース・オーケストラは確か国を挙げてのプロジェクトで噂には聞いてたけど、人数も多いしとても上手で迫力あるし、映像からも真剣さが伝わってきてとてもよかった。いろいろなそっくりさんもいて、コンマスの子はかなり丸いディカプリオ、ホルンの子は浦和の三都主(あれもう浦和じゃないんだっけ)、ヴィオラのトップは顔からして楽器上手そうな、ヴェンゲーロフを小太りにした感じの子だった。チャイコフスキー終わった後は客席ほぼスタンディングオベーションで、生で聴いたら相当すごかったんだろうと思ったけど、アンコールのウェストサイドストーリーの「マンボ」と、あと1曲なんだっけ、では、舞台の上だけはしゃぎ回っていてまったく興ざめ。

後半はベルリン・フィルだったけど、番組の構成として問題があるような気がしてしまって、というのはせっかくのシモン・ボリバル・ユース・オーケストラの素晴らしい好演も、ベルリン・フィルと比べるとまったく見劣りがしてしまったから。放送の順序が逆じゃなかっただけ良かったか。しかしあんなに完璧に弾いているのに一体何が違うんだろうか。何が違うかわからないけど全然違うんだなぁ。

ベルリン・フィルの演奏、自分的にはヴィラ・ロボスのブラジル風バッハ第5番が取り上げられていたのが吉。いつもは指揮者なしで演奏する有名な「ベルリン・フィル12人のチェリストたち」が、ドゥダメルの指揮で、しかも8人で弾く。もともと8人で弾く曲なのね。首席のゲオルグ・ファウスト氏の無理のない自然な演奏ぶりと強靭な音に感嘆せざるをえなかったけど、それよりうまいなぁと思ったのはソプラノ。この曲そういろいろ聴いたことはないけど、このアナ・マリア・マルティネスって人は断然すごかった。

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2009年02月17日

すべてはつながっている

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何とはなしに、クレーメル独奏のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を久しぶりに聴いてみたら、有名なシュニトケのカデンツァに、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲の節が入っているのに気がついた。今まではブラームスの協奏曲のフレーズしかわからなかったんで、おおっショスタコだ、みたいな感じでちょっとうれしかった。まだまだ僕が気がつかないだけでいろいろ手の込んだことになってるんだろうけど、おいおいわかってくるだろうか。

しかし、ベートーヴェンの協奏曲に、ブラームスやショスタコーヴィチみたいな、まったく後の時代の人の曲を引用するってのが面白いなぁと。すべてはつながっている、ってことかしらん。

そして今日行った病院の待合室で、幼稚園くらいの女の子が歌っていたのを思い出した。「もしもしかめよ、かめさんよ、おまえのあたまはどこにある~」「あったまだせ、あったまだせ、あたま~だせ~」...なんか、まったく違う曲がつながっている。すべてはつながっている、ってことかしらん。

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2009年02月15日

ハイドンのピアノ・ソナタ

今年はハイドンの没後200年。これに備えてGetしたのがアルフレート・ブレンデルによるハイドンのピアノ・ソナタ集。
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この4枚組のCD、2枚目以降が断然面白い。ハイドンの音楽って作りがシンプルだけどすべてが過不足なく詰め込まれている感じがする。うれしさとか悲しさとかユーモアとか。そしてそれらの感情が、ちょっと距離を置いて表現されてるのが、聴いてて面白いというか、飽きがこないというか。これがベートーヴェンとかブラームスとかになるとこてこてに直接的に感情移入されたりして、こちらの気分によってはちょっと敬遠したいなぁという場合もあるけど。ハイドンはすべてをシンプルな音と作りで表現してる。日本語で音楽って、音を楽しむって書くけど、ハイドンの音楽ほどこの言葉にぴったりな音楽はないと思う。

そして、演奏するのが理知的で皮肉やユーモアも持ち合わせているブレンデルだから、悪いわけがない。今自分が持っているCDで、どれか1枚だけ選んであとは手放さないといけないと言われれば、これまでは何度聴いても絶対飽きないグレン・グールド演奏のゴールドベルク変奏曲(新しい録音の方)だったけど、このブレンデルのハイドンはそれに匹敵するくらいだなぁ。でもこちらは4枚組だからちょっと反則だけど。

1枚目だけはなぜか、あんまり面白くない。曲のせいなのか、一番録音が古いので演奏者の中でまだこなれてなかったのか。

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2009年01月31日

読売日響名曲シリーズ

1/26、読売日響を聴いてきました。このオケを聴くのは初めてです。コンサートマスターは昨年アンサンブル名古屋に出た際に指揮をしていた藤原浜雄氏、そして指揮者は今話題の上岡敏之です。曲は「こうもり」序曲、モーツァルトのピアノ協奏曲23番、ヨゼフ・シュトラウスのワルツ「隠された引力」、そしてR.シュトラウスの「ばらの騎士」組曲という、すべてウィーンがらみと言っていいプログラム。

この上岡敏之という指揮者は見るのは初めてだったんだけど、まだ若いだけあってすごい身振りが大きくて、ちょっと振りすぎなんじゃないかと、特に最初の「こうもり」序曲はオケと全然合ってないように見えたもんだから、いくらなんでも大振りすぎるんじゃないかと思いながら見てました。でもだんだんこちらが慣れてきたのか、モーツァルトの第3楽章になるとピアノのフランク・ブラレイよりもオケの細かい表情付けの方に耳が行くようになった(表情豊かでとても面白い!)し、後半の2曲は指揮とオケがしっかりかみあっていたように感じました。

しかしこの「ばらの騎士」の解釈は、どうなんだろうか?確かにウインナワルツって日本人が思っているより下品なものなんだと思う。けど、面白くはあったけど、もうちょっと流麗で品があってもいいんじゃないかなと思った自分は、新たな世界を受け入れられない頭の堅い人間なのかも。でも曲の最後がドンチャン騒ぎになっちゃってワルツも旋律もへったくれもなくなってしまったのはなぁ。ああいう音圧だけで聴き手を圧倒しようというのは素人のやることみたいでどうしても好きになれないなぁ。

そして昨日の中日新聞の夕刊に、都響、読売日響を含めた4公演の、音楽評論家さまの批評が掲載されてました。音楽の感じ方は人それぞれとはいえ、ああいうのを読むと、音楽評論家というのはいい加減なものだと思ってしまいますね。

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2009年01月18日

東京都響ハーモニーツアー

水曜日ですが、ハーモニーツアーというプロジェクトの一環で名古屋に来た東京都交響楽団を聴きに行ってきました。指揮はレオシュ・スワロフスキーという人で、ブラームスのハンガリー舞曲第1番、ベートーヴェンの「皇帝」、ドヴォルザークの「新世界」。

都響はかなり前に名古屋へ来た時にも聴きに行ってて、その時もとても良かったんだけど、今回はそれにも増して、素晴らしい演奏会だった。演奏の質自体も以前に聴いた時より格段に上がっているし、何より、いい演奏をするんだ、向上するんだ、という気合がひしひしと伝わってくる。プロのオーケストラで向上心をこれほど露骨に感じさせる演奏を経験したのは、僕は初めてだと思う。今でも申し分なく質の高い演奏をするし、まだまだ良くなる、そんなことを感じながら聴いてました。

それと、音が大きい、特にビオラとチェロ。そのせいで響きが分厚くなるし、金管や打楽器がジャンジャン鳴らしても弦が埋没することがない。ハンガリー舞曲はすごい迫力だったし、「皇帝」はピアノのゲルハルト・オピッツ共々輝かしく華やかだったし、「新世界」も力強く熱のこもった演奏だった。

僕にとっては友弦合奏団でお世話になってる人が何人かいるからこんな風に思えてしまうのかもしれず、それは差し引いて考えないといけないのかもしれない。でも、プロのオーケストラがたくさんある東京でも都響の評判は高いというし、またチャンスがあったら是非聴きたいと思わせる演奏だったことに間違いはない。ここまですごいのかと衝撃を受けて帰ってきました。

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2008年12月31日

小澤征爾

NHKの「小澤征爾2008 今 あなたに伝えたい音楽がある」を見た。前半はヤナーチェクのオペラについて。女狐を主人公にした一風変わったオペラをハイライトで。ハイライトでもストーリーはしっかり追えたが、一見子供むけっぽいやさしさでありながらかなり深い。狐だからというだけで鉄砲を撃つのか。人間はおぞましい動物ですね。

後半はベルリン・フィルとのカラヤン生誕100年記念コンサートでチャイコフスキーの「悲愴」。これはムジークフェラインザールでのDVDを買ったんで最近よく見てたんだけど、放送されたのは本拠地フィルハーモニーホールでの演奏会。同じ指揮者、同じオーケストラ、同じ曲で同時期のライブを見比べれるってなかなかなくって面白かった。以外にもムジークフェラインでの演奏の方がはるかにいいように思えて、フィルハーモニーでの演奏はかしこまった感じがあって今ひとつ突き抜けた感じがなかった。実際の演奏がそうだったのか、ホールが広いせいか、録音のせいか、聴いてるこちらの気分のせいか、どれかはわからないけど。

この小澤&ベルリン・フィルの「悲愴」、小澤征爾っていいなぁとかなり強い印象を受けたんです。カラヤン生誕100年を祝う演奏会の割にはむしろバーンスタインばりの感情移入で、ゆっくり目のテンポでじっくり弾いていく。聴く方にも緊張を強いるけど襟を正して聴くにふさわしいかと。そして「悲愴」ってとてもいい曲なんだなぁと、あらためて曲の素晴らしさに感動する名演。


ここ数年、冠婚葬祭が多くて思うことが多い。なかなかに世の中は理不尽で住みにくいけど、人生に縁とか定めとかあるのかなぁと感じ、大切にしないといけないと肝に銘じているところ。そして読みかけの吉田秀和「私の好きな曲」を久しぶりに開いてみると、しおりはちょうどヤナーチェクの「利口な女狐の物語」のところに。最近たくさん本を読みたいなぁと思っているところ。がんばって読も。

というわけで、きっといい年になる2009年もどうぞよろしくお願いします。

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2008年10月14日

今回の教訓

一昨日の日曜日ですが、アンサンブル名古屋の本番でした。2週間で帳尻を合わせ、本番でそれなりにしっかりした演奏をしたことを、さすがだと思うかどう思うか。そんな中、自分は普通に弾いているのに「そこはそんな大きい音で弾くところじゃない!」と怒られたりして。ほとんどコメディというかネタというか。普通にしててもネタが作れる自分は特だなぁじゃなくて得だなぁ。

今回の教訓というか改めて認識したのは、速いパッセージをいくらゆっくり丁寧に練習しても、速く弾けるようにはならない、ということ。速いところはゆっくり音をさらうのと速いテンポで練習するのと両方やらないと。でもコダーイの曲なんかは速いテンポについてこれないおかげで、切迫感というかスピード感というか、いい具合に緊張感のある演奏になったんで、人生何がうまく転ぶかわかりませんね。

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2008年09月27日

苦笑い

今日はアンサンブル名古屋の練習へ行ってきました。こないだの名市大OBオケの時もだけど、あれだけヴァイオリンの音が小さいと、自分とか隣のビオラとかコントラバスが弾き始めるとほとんど聴こえないんでめちゃめちゃ怖い。だいたいあてずっぽうで、この辺!って感じで弾く。シベリウスの最後のとことか、フォルテだったりフォルッテッシモだったり、忘れた頃にいちいちsempre energicoって書いてあったり、曲を書いた人は相当気合入れて書いてるはずなのに、笑みを浮かべながらなでるように弾く意味がわからん。管楽器もほうほうの体。それで笑いが起きたりすると、笑ってる場合か!と思い、ついつい自分も笑ってしまう。自分のは苦笑いだけど。

最近よく聴くのは、「すべてのシベリウス演奏はここから始まった!」らしい、ロベルト・カヤヌスの録音。1930年だか32年だかの録音だけど、割と録音がいいので聴ける。この時代なだけに、テンポも揺れるし縦も合わないことあるけど、なかなかに熱い。我々が普段思ってるシベリウス、北欧の曲は特別だ、フィンランドの自然を感じる(フィンランド行ったことないのになぜわかる)、みたいなイメージってのは、いったいどこから来たんだろうか。

本番まであと2週間。

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2008年09月25日

アンサンブル金沢&クレメラータ・バルティカ

昨日は芸文コンサートホールへ、オーケストラ・アンサンブル金沢とクレメラータ・バルティカの合同コンサートを聴きに行ってきた。曲は前半にシベリウス、後半にグリーグという北欧の曲たち。まずはシベリウスで、アンサンブル金沢による「カレリア」は、こんな流麗な曲だったかしらんというくらい流麗な、全然知らない曲のようで感嘆した。続いてクレメラータ・バルティカのメンバーも加わり、ギドン・クレーメルが登場してのシベリウスのヴァイオリン協奏曲。まさにクレーメル独自のワールド。何か最近は、クレーメルがこういう普通の協奏曲を弾くというだけで、こんなの最近絶対弾いてないよな、ちゃんと弾けるのかな、みたいな、妙な心配をしてしまうんだけど大丈夫。しっかり独自のワールド。指揮者の井上道義氏の前に陣取り、まさに世紀の対決、みたいな。迫真の演奏で手に汗握ったが、何より手に汗握ったのが、いつもは余裕でブイブイ鳴らすコントラバスのおじちゃん、3楽章のジプシーちっくなリズムが上手く弾けずに四苦八苦。指揮者が鋭い視線を飛ばす。「オイゴラァ、ちゃんと弾けって練習の時にも言ったヂャねーか!」「ゴゴゴごめんなさぃ~」普通にキョドるおじちゃん、そしてかなり必死な姿を見てついつい笑ってしまう自分は性悪か。

後半はまずはクレメラータ・バルティカの演奏で、グリーグのホルベルク組曲、そして最後は再び両オケ合同で、「ペール・ギュント」組曲。うわぁペール・ギュントなんて聴いたの何年ぶりだろうか。「山の魔王の宮殿にて」とか、昔こればっかり聴いてたよな、なんて懐かしい気分になりました。

クレーメルが優秀な若い演奏家を集めたクレメラータ・バルティカ、初めて生で聴いたけど、正直どうなんだろう、と思った。完璧に、クレーメルでもってる。こういう若い人を集めたオーケストラというのはいくつもあるけど、この人たちが将来どうやって暮らしていくかを考えると、もっとけしかけて外の世界に出させないと。もちろんもうしてるかもしれないけど。でも今はどっちを向いても上手な人ばかりで、その中で自分を他と差別化していくのは大変だなぁと思う。

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2008年09月23日

うまくいかなかった

一昨日、日曜日は名市大OBオケの本番でしたが、いやー疲れました。疲れるということは多分うまくいってないということで、非常によろしくなかったなぁということ。こんなでは聴きに来てくださった方には失礼で申し訳ないのですが。うまくいくときもあればうまくいかないときもありますが、うまくいかない時にどれくらい持ちこたえられるかが、日々の研鑽の成果だと思うのです。一昨日のはどうだったんだろう。

自分は弾いてないところだけど、チャイコフスキー「1812年」の最初のチェロ4本ビオラ2本のところが一番よかったなぁ。特に3番チェロが、練習の時はいまいち出てなかったけど本番はしっかり音が鳴っていたのがよかった。ブラームスの2番の4楽章は、今まで結構何回も聴いたり弾いたりしてるけど、どうしても散漫な感じになっちゃう。曲のせいなのか解釈のせいなのか技量のせいなのか。

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2008年09月08日

ストラディヴァリウス・コンサート

昨日はしらかわホールへ、ストラディヴァリウス・コンサートと銘打たれた演奏会を聴きに行ってきました。日本音楽財団が楽器を貸与している演奏家たちによるコンサートなので、必然的に若い人たちが多くなるけど、その中でやはり年の功(失礼)というか、竹沢恭子は断然いい演奏するなぁと思ったし、イッサーリスは独自のキャラで攻撃してきた。イッサーリスはプログラミングも担当ということで、ヴィヴァルディの有名な4つのヴァイオリンの協奏曲ではヴィオラパートを弾いてご満悦だったし、バッハのドッペルも随分楽しそうに弾いてたし、英国博物館で見つけたというヒューベルト・レオナードという人の3つのヴァイオリンの「スペイン・セレナーデ」という面白い曲を日本初演させたり、ブロッホのユダヤのなんちゃらって組曲を全曲弾き切っちゃったりと、音は小さかったけど存在感は大きかった。

年の功と言えば、こういう演奏会では恒例のメンデルスゾーンの八重奏曲、若いソリストが集まったヴァイオリンパートに対して、全体の手綱をしっかり締めたのは東京カルテットの3人だった。磯村さんすごい上手。菊衛さんすごい上手。チェロのはげたおじさんもすごい上手。東京カルテットって最近メンバー代わってからちょっと影が薄い印象だったけど、どうしてどうして、全然いいじゃないですか。この日演奏したドビュッシーのカルテットの第3楽章もすごいよかった。昔しらかわホールができて間もない頃に、まだ1stVnがピーター・ウンジャンでチェロが原田さんだった時に、当時は僕は全然知らなかったドビュッシーの弦楽四重奏曲を聴いて、とても素晴らしい演奏で感動したんだけど、その時のことが懐かしく思い出された。この日の演奏も素晴らしかったけど、以前聴いたみたいな4人がまるで1人のような、音色の溶け合った響きとはかなり異なってはいた。その分輪郭がはっきりした、明快な演奏になっていた。

その他にもいろいろもりだくさん。とても楽しいひと時でした。

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2008年08月19日

夏休み

今年の夏は相当暑いので、かなりへばってます。ようやっとここんとこ、以前に比べたら涼しくなったような気がして、多少楽に感じるようにはなってきた。

昨日は毎年の恒例で、子供たちの前でチェロ二重奏を弾いてきました。正直今年はバタバタと落ち着かなかったんでまぁパスでいいでしょ、と思ってたのに、H岡先生に「まぁやろうよ」と言われ、あっさり承諾。作曲者もよくわからない曲だったんだけど、H岡先生は妙に気に入っていたらしく「譜面づらがいいんだ」とか言ってました。そんな彼に引っ張ってもらうばかりの今年でした。

その前に、せっかくの夏休みということで箱根へ行ってきました。彫刻の森美術館かなりよかったですよ。ありゃ丸々一日楽しめますよ。
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こういうときしか使わないCaplioR7ですが、さすがに屋外だとストレスなく撮れて、しかも光学7倍ズームは強力。下の写真は光学7倍。
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まぁこれだけ見てもわかんないけど。

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ワルキューレの奇行。

さてと、いろいろとさらう楽譜がたまってきてストレスもたまってきたところです。ついにシベリウスの未知の領域、3番目の交響曲を弾かなくてはいけなくなりました。シベリウスの3番以降なんて、マーラーとかブルックナーとかR.シュトラウスと同様、チェロ弾いてなかったら絶対一生関わることなかっただろうと思いますね。そしてチャイコフスキーの1812年は昔カラヤン&BPのCDを聴きまくってました。あの日本人にはおよそ不可能な重厚な音の演奏のイメージがすり込まれているので、どうして自分はこんな貧相な音しか出ないんだ!とついつい肩に力が入る。最後まで体力持たないよこれ、どうしたものかね。

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2008年07月16日

ベルリン・フィル 12人のチェリストたち

先週土曜日に、ベルリン・フィル12人のチェリストたちを聴きに行ってきました。かなりメンバーが入れ替わってて(ゲオルグ・ファウスト氏もいなかった。休暇中?)、若い人が増えたなぁーという印象。その中でもやっぱり光ってたのは首席のルートヴィヒ・クヴァントくんと、ソロ・チェリストの肩書きを持つオラフ・マニンガー、マルティン・レーアの各氏。オープニングのクレンゲル「賛歌」の冒頭、12番目の奏者から順々に入ってきて和音を重ねていくんだけど、もうこの時点で個々の音の良し悪しがわかっちゃうもんなぁ。楽器のせいか腕のせいかわからないけど、多分両方なんだと思うけど、チェロ12本のアンサンブルの発祥ともいえるこの曲、実はなかなか恐ろしい曲なんだなぁと感じた。

この日の演奏会は軽めの曲ばかりで、前半にあったボリス・ブラッハーとかピアソラの曲はかなり楽しく聴けたけど、後半になると同じような曲に同じような編曲、同じ音色ということでだんだん聴くのがつらくなってきた。こうなるとバッハとかベートーヴェンとか、「いかにもクラシック」的な曲がもうちょっと入ってもいいような気がしてくる。

でも先日のABQよりも客入りははるかに良好、熱狂的なファンらしきひともたくさん。でも期待してた「クヴァントく~ん!」みたいな黄色い声は残念ながらかからなかった。次からは僕がかけてあげようと思った。

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2008年07月10日

CM

昔こんなCMがあったそうです

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2008年06月04日

ABQ

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先週の金曜日、5/30にアルバン・ベルク四重奏団を聴きに行ってきました。すでに解散が決まっているABQ、フェアウェルツアーということで会場はとても広い愛知県芸術劇場のコンサートホールでしたが、かなり空席が目立ちました。

そのおかげで舞台の真後ろという一番好きな席が取れたのかも。

そして数は少ないながら、とても質の高い聴衆で、長年名古屋に住んでいてもこんな経験は初めてだった。演奏中の集中した雰囲気と、暖かくリスペクトの気持ちに溢れた拍手。僕の席では拍手の響きが下から浮き上がってくるようだった。

僕がABQを初めて生で聴いたのはしらかわホールのオープニングのシリーズで、2夜連続でハイドンやシェーンベルク、ベートーヴェンが演奏された時だった。その後も、特定の団体ではABQほどたくさん生で聴いた団体はないくらいだけど、この日の演奏会はその中でも別格で素晴らしかったと思う。演奏のパフォーマンス、聴衆の集中力、会場の雰囲気、すべてのトータルという意味で。

冒頭のハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」の序奏で未だ落ち着かない我々をコンサートを聴ける状態に誘った後、ABQの名前にもなっているアルバン・ベルクの「抒情組曲」。現代の作品を演奏することをモットーにしてきただけあって非常に素晴らしい演奏で、むしろ「難解なベルクの作品が、こうも苦もなくパーフェクトに演奏されてしまっていいのか?」という疑問すら感じさせた。

休憩後は、シューベルトの15番。この長大な作品でも最後まで緊張感を失わず、あっという間に聴き終えてしまった感じ。特に第4楽章のエネルギッシュさは秀逸で、彼らは誰かがつっかけても残りの誰かがセーブするのでなく、さらにつっかけに入る。聴いているこちらも息を呑み手に汗握る演奏だった。2ndVnのシュルツくんがとても効いていたし、ヴィオラのカリシウスさんは以前よりフィットしていて、完成度の高い演奏に大きく貢献していた。

「ロザムンデ」や「死と乙女」なんかよりはるかに傑作だと僕は信じて疑わないシューベルトの15番を、ABQは2回録音しているけど、以前からそのCDを聴きながら「こんなのが生で聴けたらなぁ」なんて、ありえない妄想にとりつかれていた。そんな妄想がこともあろうに実現してしまい、帰ってからそのお気に入りのCDを聴いても全然物足りなく感じてしまう。録り直しがきくCDを凌駕する生演奏というのは実際はそうそう経験できるものではないけど、ABQはそれを常に実現していた稀有な団体だったと思う。

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2008年05月19日

MADE IN JAPAN

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The Stradの5月号に、"MADE IN JAPAN"という記事があります。日本における弦楽器製作の歴史、つまりスズキバイオリンの歴史。鈴木政吉が安価で提供するバイオリンは、教師や警察官の初任給が8円~13円だった1890年代に5円ほど、輸入品は10円~15円またはそれ以上の値だったそうです。今の初任給を20万円ほどと考えるとまぁそんなもんかなと思うけど、この安価なバイオリンが大量生産されたおかげで、着物の女性が琴のかわりにバイオリンを演奏したり、芸者が三味線からバイオリンに転向したりと、明治末から大正バブルの時代の話なんだろうけど、ほんとかいなぁと思うような話が並んでいます。そして次のブームは戦後で、日本が豊かになると親は子供に音楽を習わせ、政吉の息子である鎮一がはじめた「スズキ・メソード」の広がりもあって、スズキバイオリンは再び大きな役割を担うことになります。

確かに、今日本ではバイオリンなどの弦楽器を弾く人がとても多いし、プロもアマチュアもオーケストラはたくさんあってまさにクラシック大国と呼ぶにふさわしい状況だけど、それはスズキバイオリンなくしては到達し得なかった境地だと思う。

その他の記事では、チェリストのナターリャ・グートマンのインタビューや、演奏旅行中にホテルで洗濯をするヒラリー・ハーン、eBayで買ったバイオリンはいかがなものか、そしてアンネ・ゾフィー・ムターの「本番で緊張する?何それ?」みたいな女王様コメントが読めたりと、全体に渡ってなかなか読み応えあり。


それにしても、日本の弦楽器製作のレベルというのはものすごく高いんじゃないかというのはここんとこ毎年行っている弦楽器フェアでとても実感していて、未だに楽器屋にいくとヨーロッパの古い楽器ばかり並んでいるのが、自虐史観を植えつける日本の戦後教育の賜物のように最近では感じられて仕方がない。先の記事で島村楽器の人が言ってたけど、何年か何十年かすると日本で製作された楽器のブームが来るかもしれない。僕的には、かもしれない、ではなく、必ず来る、と思う。希望も込めて。

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2008年05月06日

クレメンス・ハーゲン

今日はしらかわホールへ、ハーゲンカルテットのチェロ奏者であるクレメンス・ハーゲンとシュテファン・ヴラダーの演奏会へ行ってきた。ベートーヴェンの3番、ショスタコーヴィチ、バッハ無伴奏の1番、ブラームスの2番という、これでもかと有名なチェロ・ソナタばかりを集めた演奏会。アンコールはラフマニノフのヴォカリーズ。

ハーゲンカルテットは昔一度だけ生で聴いたことがあって、その時はあんまりチェロの音量が大きくないなぁという印象だったんだけど、今日はむしろ、かなり鳴らすピアノを相手にも負けずに弾いてるなぁという全然反対の印象だった。とてもよかった。ベートーヴェンはこの日の演奏の中で一番素晴らしいように感じられて、若いショスタコーヴィチによる才気溢れる作品は才気が溢れすぎていて僕には未だよくわからない。休憩後のバッハはメヌエットが印象に残ってて、短調の中間部を長調の部分より早いテンポで弾いていて、今までこういうのは聴いたことなかったけど別に問題ないよね。最後のブラームスは非常な力演でお腹いっぱい楽しみました。

さて、しらかわホールではよくある、CDを買うと終演後にサインがもらえるというのにあっさりつられるミーハーは、休憩中にCD売り場を物色。通常売られているものの他に、本人が持ち込んだというマイナーレーベルのマニアックなCDが2種。1つはザルツブルクのたぶん音大生オケを相手にしたエルガーの協奏曲、もう1枚はなんとフリードリヒ・グルダのチェロ協奏曲!
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ハインリヒ・シフによる名盤の他にも録音しちゃう人がいたんだね。セレブ風のおばさまが「これはエルガー?は?グルダ?」とかなんとか店員さんとやりあって結局買ってたけど、おばさま、それ、うち帰って聴いたら、なんぢゃこりゃ、とか思うよ絶対。

そして終演後に、サインもらいながらベートーヴェンの第2楽章のことを聞いてみた。シンコペーションのリズムが印象的なこの楽章を、スラー・スタッカートみたいにして弾くのを聴いたのは初めてだった。こっちも英語が不自由なんでその場ではよくわからず、帰ってきて楽譜見て確認したりして、どうやらテヌートとかスタッカートが付いてるわけではなくて、原典に書いてあるピアノのフィンガリングを基にしているらしい、という結論に至った。クレメンス・ハーゲンは10年くらい前にパウル・グルダとこの曲を録音しているので改めて聴いてみたけど、今日のようには弾いていなかった。話をしているときにピアニストのヴラダーさんがさかんに「フィンガリングが4、3、4、3になってるんだ」と言ってきたので、今日の解釈は彼のアイデアだったのかもしれない。

あとバッハのジーグもなんか変な部分があった。繰り返しても同じように弾いていたので、明らかに意図的にやってると思うんだけど、そんな版は見当たらず、結局わからずじまい。これも聞いてこればよかったけどサイン会では後ろもつかえてるし。

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2008年04月09日

10年がかりで最後まで

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マイペースでのんびりと取り組んでいたポッパーの練習曲ですが、ようやく!全40曲、最後まで行きました。一応さらい始めた日にちを楽譜にメモってたんだけど、1曲目を始めたのが'99年1月。前世紀ですか。足かけ10年ですか。途中で挫折したり他の曲に目移りしたりして長い中断が何度もあったりして。パラパラと前の方をめくってみると、9番とか13番とかが一番しんどかったかなぁ。23番から26、27番のあたりなんか、こんな曲やったっけ?みたいな、全然記憶にないのに日付だけしっかりメモされてたりする。誰が書いたんだろこのメモ。

この10年の間に時代は変わった。僕が使ってた楽譜はインターナショナル社ので、昔はこれしかなかったけど、今はその他に2種類の版が出てる。そして今では全曲のCDが出ていたりする。楽譜読むのが大変だったから、CDの登場は画期的。Martin Rummelって人の演奏で、下手ではないがそう上手くもない。僕はアマチュアなので安気に言うけど、プロならこれくらいは最低ラインじゃないかと思う。何曲かはシュタルケルのトンデモ演奏があるけど、こっちはあまりにトンデモすぎてむしろ参考にならない。

そして、全40曲制覇したとは言っても、全然達成感がないのは、とりあえず最後まで行ったというだけで、形になったとはとても言えないから。死ぬまでにあと何回か、最初からさらい直さないといけないんだろうなぁと、終わったとたんに憂鬱な気分になっているところ。

しかしこの練習曲は効く。それなりに取り組むだけでも、自分が上手くなるのが実感できる。僕はこういう練習曲の存在を教えてくれる人が周りにいなかったからいかんけど、もっと若い時というか子供の時に、練習曲の必要性を教えてくれる人がいれば、今こんなに苦労しなくて済んだのになぁとは常々思ってきた。もちろん、小さい頃からこんなのでみっちり練習させられてたら、楽器弾くこと自体がイヤになってたかもしれないけど。

これを読んだあなたはもう練習曲の存在を知ってしまったので、知らなかったとは言わせないから、上手くなりたかったらポッパーの練習曲を10年かけてさらって下さい。

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2008年03月22日

ブラッハー&紀尾井シンフォニエッタ東京

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だいぶ経っちゃったけど、先週の日曜日に何年ぶりかで岐阜のサラマンカホールへ行ってきた。コリヤ・ブラッハー&紀尾井シンフォニエッタ東京。モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番をルドルフ・バルシャイが弦楽合奏に編曲したもの、以上3曲。ブラッハーは協奏曲ではもちろんソリストでしかも弾き振り、他の2曲もコンサートマスターの席に座って弾き振りで、かなり大変そう。そのせいかアンコールはなかった。

モーツァルトはビブラートを廃した歌い回しで印象的だったけど、さすがにヴァイオリニストなだけに、ヴァイオリンはノンビブラートで弾いていたけど低弦まで徹底されていなかった。まぁでもご愛嬌ということで。2曲目のブラームスのヴァイオリン協奏曲、この大曲を弾き振りとは!長い前奏を素人っぽい指揮で切り抜け、いよいよソロが入ってくる段になって客席の方を向きおもむろに楽器を構える。その音のなんという力強さ!強い箇所は男性的に力強く、弱い箇所では繊細でかつ強い意欲がみなぎり、40分の大曲があっという間に終わってしまった。ブラームスのこの曲はオーケストラが分厚すぎてソロがよく聴こえないって言うけど、ありゃ全然嘘だね。しっかり弾くソリストに、丁寧なオーケストラなら、とてもいいバランスで素晴らしい響きで聴くことができる。そしてソロが一通り終わる度にオケの方を向いて指揮をしていたけど、素晴らしいオケなので、ぶっちゃけ指揮必要なし。ソロの後ろでピッチカートをパート間で受け渡す部分とか、もちろん第2楽章冒頭のオーボエのソロとか、とても綺麗で充実した演奏だった。もともと好きでよく知ってるつもりの曲だったのに、改めて曲の素晴らしさに感激してしまったけど、それも素晴らしい演奏のおかげ。休憩後のショスタコーヴィチは強弱の幅を非常に大きくとっていたのが印象に残った。やっぱりあんなに小さい音で弾いても大丈夫なんだ。

この日はもう1つうれしいことがあって、旧知のおじさま・おばさまと何年ぶりかで再会したこと。とても元気そうでよかった。ここは娘さんが3人いて、上2人とは昔よく一緒に弾いたりして、一番下の人はドイツでバイオリンやってて、3人とも美人で性格もいいけど、僕的に一番ポイント高いのはこのおばさま。相変わらずの高エネルギーにたじたじとなってしまった。そして一番下の子が最近ケルンのオーケストラのコンサートマスターになったってことは風の便りに聞いていたんだけど、落ち着いてよかったとか、あのコントラバスの真ん中の人河原さんじゃない?あらーケルンでよくお話させていただいたわ、とか言っていた。やっぱケルンまでよく行くんだって。でもすごいよなーヨーロッパのオーケストラのコンマスだよ。僕らから見たら単にすごいなーうらやましいなーって感じだけど、それはそれで大変なんだろうけど。そしてドイツで豊田先生の後に誰につくかって時に、「まぁブラッハーでいいんじゃない」とアドバイスしたってのを確か豊田先生が自分で書いてたよなぁ。僕はブラッハーの演奏聴いてあっさり感激しちゃったんですけど、そのブラッハーに対して「まぁ、いいんじゃない」なんて、豊田耕兒氏さすが、レベルが違うと惚れ直したところ。

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2008年03月10日

コリヤ・ブラッハー

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昨日はヴァイオリンのコリヤ・ブラッハーのリサイタルを聴きに、しらかわホールへ行ってきました。しらかわホールの「11AM」という、昔やってた卑猥な深夜番組からパクったのかと思わせる名前のコンサートシリーズの1つ。

曲は、バッハの無伴奏パルティータ第2番、フランクのソナタ、ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」という、これでもかと通俗名曲を並べたプログラム。バッハは最初あまり気が乗らない感じだったけど、徐々にペースを上げていき、終曲の有名なシャコンヌは充実した圧巻の演奏。バッハのこの曲はすごいね、弾いてる方も聴いてる方もどんどん曲に引き込まれていき、早速ブラボーの声もかかる。続くフランクのソナタからはピアノの若林顕との共演、バッハとは打って変わって、1楽章冒頭をすごいビブラートをこれでもかとかけて始め、ピアノともども情感たっぷりの演奏。休憩後の「クロイツェル・ソナタ」も堂に入った立派な演奏で、しっかり堪能しました。こういうあまりに有名な曲を、充実して聴かせるのが真の実力者ですね。

客席はほぼ満席で、こんな通好みのリサイタルにこんなに入るんだなぁとちょっと意外だったんだけど、どうもブラザーが協賛に入ってたらしくて、会社の付き合いみたいな風貌の人もいた。それでも名フィルの時とは違い、客席も演奏に集中している雰囲気があった。僕みたいにもともと好きな人が多かったんだろうけど、いい演奏をすれば泣く子も黙る。あの演奏なら泣く子も黙る。

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2008年02月28日

戦う才人

僕はロリン・マゼールって指揮者はいつも奇をてらってるようでどうも好きになれなかったんだけど、この記事の一言でなかなかなヤツだと思ってしまいました。

将軍様が姿を見せなかったことについて聞かれ、「それを言うなら、まずは米大統領にわたしの公演に来て欲しいね。」

これは正しい!

そんな戦う才人マゼールの、戦う音楽を聴く。

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チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」と「1812年」、ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」、リストの「フン族の戦い」。この中だったらやっぱベートーヴェンの最高傑作、「ウェリントンの勝利」だよね。フンメルやシュポア、サリエリも初演に参加したという壮大な作品。マゼールはこの曲を2回も録音してるから、よっぽど好きなんだろうね。流行作曲家ベートーヴェンの本領発揮な作品。

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2008年02月27日

「将軍様はお忙しい」

わが将軍様は大変お忙しい」ため残念ながら欠席だったニューヨーク・フィルの平壌公演、でもやっぱり才人マゼールがやってくれた!「いつの日か“平壌のアメリカ人”という曲も登場するだろう」と、得意のリップサービス。やっぱりねー。僕の事前の予想と微妙だがしっかりかすった。やったやった。


こんなことがうれしくて仕方ない自分、いかにも平和ボケした日本人って感じで、微妙。

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2008年02月26日

ニューヨーク・フィルの平壌公演、いよいよ

話題のニューヨーク・フィルの平壌公演、いよいよ楽団員が平壌の空港に到着したようです。いやー、どんなことになっちゃうんだろ。やっぱ昔のモスクワ公演でショスタコーヴィチがたまらず舞台に飛び乗ってバーンスタインに駆け寄ったみたいに、「新世界」終演後に将軍様が舞台に上ってマゼールと抱き合っちゃったりするんだろうか。キムとマゼールのツーショット。テレビカメラに向かって声を合わせて「新世界へようこそ!」とか叫んじゃったりして。微妙。それとも「パリのアメリカ人」演奏前にマゼールが大演説をぶっちゃうかも。「俺はピョンヤンのアメリカ人!」。あれ、マゼールってどこの出身だっけ。でも将軍様も神妙な面持ちで「許可する。」とか言っちゃったりして。それとも芸術に造詣の深い将軍様なだけに、アリラン演奏中に「それは違う!」とか言ってマゼールから指揮棒取り上げて自分で指揮したりしちゃったりして。それとも才人マゼール、朝鮮語でアリラン歌い切って将軍様から後継者に指名されちゃったりして。


いろいろ妄想が膨らむ自分、いかにも平和ボケした日本人って感じで、微妙。

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2008年02月18日

ABQのブラームス

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ブラームスの弦楽四重奏曲全3曲、アルバン・ベルク四重奏団の2回目の録音。なんとなく聴きたくなって出してみたけど、規律正しくかつロマンティック。でもブラームスの室内楽は、ABQの明快な演奏でもやっぱり難解。

この2枚組のCD、買ったばかりの頃かなりよく聴いたんだよね。暗い情感がうごめくOp.51-1がチェロ・ソナタの第1番とかぶって、曲的には一番気に入ってるんだけど、残りの2曲も捨て難い。なんといっても、ヴィオラのトマス・カクシュカを聴いてくれ!ブラームスはヴィオラを好んで云々、なんて野暮ったい講釈は不要、普段はやる気なさそうなカクシュカ氏、本番でうまくいかないとピヒラー氏に注意されて逆ギレするカクシュカ氏、そんなカクシュカ氏が大活躍するOp.67の第3楽章とか、やればできる!って感じで今なお強い印象を与えてくれる。そして忘れてならないのがOp51-2の最終楽章。冒頭バイオリンで出されたメロディをヴィオラが引き継ぐ。ピヒラーに勝るとも劣らない、カクシュカ氏のアクの強さ!途中、開放弦を交えて流麗さを排除、あえて作り出す無骨な表現がたまらない。

いつ聴いてもいい演奏はいい。もう生で聴く機会がないのが残念だけど、これまでの楽しい思い出とともに生きていくことにする。

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2008年02月09日

「イタリアのハロルド」とか

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今日はしっかり雪が降りました。積もったのは今年初めてです。例年だとクリスマス頃には一度ぱらつくんだけど、この冬は今までぱらつきすらしませんでした。そして降ったら降ったで突然積もりました。

そしてこの雪の中、コンサートを聴きに行ってきました。円光寺雅彦指揮名古屋フィルですが、目的はメインのベルリオーズ「イタリアのハロルド」。ビオラのソロはベルリン・フィル首席を務める清水直子。一度聴いてみたかった人なので非常に期待して出かけたのですが、とてもよかった。体全体を大きく使って、聴いているこちらも楽しくなってくる演奏をする人でした。名フィルも最近上手くなったし悪くない演奏はしているんだろうけど、なんか全然違いますね、上手下手じゃなくて、演奏に対する姿勢とか、そういう根本の部分から違う感じがする。聴いてるこちらが無意識のうちに引き寄せられてしまうというか、本当の一流の人にはそんな雰囲気というかオーラみたいなのがあります。清水直子さんすごいですよ、ほんとによかった。うれしかった。まだまだ日本も大丈夫だ。

この「イタリアのハロルド」、恥ずかしながら僕は初めて聴いたんだけど、噂に違わず、曲が進むにつれてハロルドの出番は減っていき、最終楽章ではハロルドはほとんどいなくなってしまった。今まであえて聴こうとしなかった自分は正しかったんだと思える妙な曲。ソリストは出番を待つ間直立不動でかわいらしく立っていたが、明らかに手持ち無沙汰だった。ああいうの見てると何か叱られて立たされてるみたいで気の毒な気持ちになる。

前半1曲目は、ボリス・ブラッハーの「パガニーニの主題による変奏曲」という珍しい曲。これも初めて聴いたけど、オーケストラのそれぞれの楽器がそれぞれ活躍する、とても面白い曲だった。けど、演奏する方も初めてなのか、なんか、しっくりこない演奏でしたね。舞台上から?マークがたくさん飛んでくるような。演奏会前に何回か練習してるんだから、それなりに理解してからお披露目してもらいたい。まぁ最初の有名なパガニーニの主題を弾いたバイオリン・ソロからしてビミョーな感じだったんで、それを引きずってしまったのかもしれないけど。それに比べると2曲目のリスト「レ・プレリュード」は堂に入った演奏だった。これで終わりの部分が、もっとトロンボーンのメロディラインを鳴らし切れればよかったんだろうけど、それができないので打楽器がジャンジャンやるだけの空虚なコーダになってしまった。このオケは、強いところは強くしきれず、弱いところは弱くしきれない。常に中庸でコントラストに欠けるのが今ひとつ物足りない演奏になってしまう一番の原因だと思うなぁ。まだ同じプログラムで明日もあるので、がんばってください。

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2008年02月04日

タスミン・リトル

バイオリニストのタスミン・リトルのホームページで、"The Naked Violin"と題する最新アルバムが無料でダウンロードできるってんで早速アクセス。こちら。バッハのパルティータ第3番と、Paul Pattersonっていう人の割と聴きやすい現代曲と、イザイの無伴奏ソナタ第3番。CD用の画像ファイルまで用意するという手の込みよう。

ページ末には、タスミンのThree Step Challenge!!

Step1: イントロ聞いて、CDをダウンロードしてね。
Step2: 曲を聴いたら、どこが好きでどこが嫌いか私にメールで教えてね。
Step3: そしたらコンサートに来るか、CDを買って頂戴。どっちもしないなら、その理由を教えて頂戴!(多少キレ気味)


こんなにネットを駆使するなんて発想が若いなぁと思うけど、外国の人の年齢は見た目ではよくわからん。まぁともかく、今の世の中、どこの国でも楽器の腕だけでなくビジュアルも良くないといけないんですねぇ。

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2008年01月27日

「道楽者のなりゆき」

先日BSで放送されていた、ストラヴィンスキーのオペラ「道楽者のなりゆき」を録画で見た。放送に気が付いたのが遅かったので、後半1/3程度だけど。このオペラ、最後にエピローグとかいって、出演者が出てきて、「このお話には、こうこうこういう教訓があるのですよ」という説明をしてくれる。余計なお世話だが面白い。今軽くネットで検索してみたら、ストラヴィンスキーがバイロイト詣でに行ったあと、もっと広い聴衆に向けてのわかりやすいオペラを作曲する必要がある、と思って書いたらしい。まさに仰るとおり。ワーグナーなんて限られた人たちにしか受け入れられない音楽だから。

というか、ストラヴィンスキーも限られた人たちにしか受け入れられない音楽のような気が。

というか、クラシック音楽自体が限られた人たちにしか受け入れられない音楽のような気が。

演出とか歌とかはよくわからないけど、オーケストラは小編成で、引き締まった音で緊張感があり、鋭く力強く、とても素晴らしい。大野和士指揮モネ劇場。

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2008年01月22日

大野和士のチャイ4

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チャイコフスキーの交響曲は全部で6曲あって後半の3曲が特に有名だけど、5番と6番「悲愴」に比べて4番は、昔からどうも馴染めなくて、それだったらむしろ初期の1番と2番の方がよっぽどいいなぁなんて思ってた。4番は作曲者が30代半ばの作品で、脂乗り切ってやる気満々だもんだから、そういうギラギラした感じがさめた性格の自分には合わないんだろうなぁと、最近わかり始めてたとこ。で、ギラギラ感のないすっきりと見通せるジョス・ファン・インマゼール&アニマ・エテルナの演奏以外は、なかなか受け付けなかった。

しかし今日のこのCD、これはギラギラ感とすっきり感を両立した、今のところ僕の中では最高の演奏。大野和士指揮バーデン州立歌劇場管弦楽団。金管もガンガンに鳴らせつつ引き締まった音で、これみよがしなクレッシェンドやありえない全休止など、聴き手の意表を突くことも忘れない。これは素晴らしい。カップリングはグバイドゥーリナで、チェロと管弦楽のための「いまだ祭は高らかに」って曲。ダヴィド・ゲリンガスの力強く引き締まった音がオケとマッチ、曲自体はよくわからない現代曲だけどなぜか聴き入ってしまう名演。

大野和士って指揮者、今まで自分はまったくノーマーク、「音楽家の肖像」と「プロフェッショナル仕事の流儀」で、ヨーロッパで評判らしいってのを知ってたくらいで、そんな自分の目の付け所の悪さがほんと情けない。これって10年も前の録音ですよ。日本銀行の広報誌「にちぎん」2007年冬号の巻頭インタビューにも登場している。ストイコビッチ擁する全盛期のグランパスを知る身としては、ザグレブ・フィルの常任指揮者だったっていうだけで冷静ではいられない。ほんと、今まで知らないですいません。

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2008年01月16日

上岡敏之&ヴッパータール響

昨日FMで、昨年の上岡敏之&ヴッパータール響の来日公演の録音を放送してました。上岡敏之っていう指揮者は何年か前のN響の年末の第九を振ってたのが特にいいとも思わなかったし、最近発売されたブルックナー7番の「演奏時間世界最長」みたいなキャッチコピーが、なんかわざと目立つためにやってるのかなぁとか、そういう胡散臭い雰囲気を感じてしまって、今まで聴くことなく済ませてきたんだけど、昨日のFMで聴いたのはどの曲も面白かった。

R.シュトラウスの「ドン・ファン」はむしろ速いテンポで始めて、音量の強弱とかテンポの緩急とかしっかり作って、曲の最後ではテンポを落としてしっかり歌わせたりしてスケールが大きくてよかった。2曲目のモーツァルトのピアノ協奏曲は上岡自身のピアノで、妙に元気のいいピアノが既製の演奏とは一線を画していて面白かった。メインはベートーヴェンの「運命」で、第2楽章の楽譜に指示のある音量の強弱をしっかりつけていたのとガーディナー風のフレージングが面白かった。

オーケストラなんですけど、まぁこれが何というか、ヴッパータール交響楽団って150年の歴史があるって言ってたけど、ドン・ファンのバイオリンソロをいきなり音程外してみたり、ドン・ファンってやっぱりとても難しい曲だから露骨にいっぱいいっぱいに頑張ってますみたいな雰囲気があったり、運命は第4楽章で「ワーイ」ってな感じでどんどん突っ走ってしまいそうになったりと、150年の歴史を感じさせない落ち着きのなさがあったけど、それも愛嬌って感じで。おそらくこのオケって日本人が指揮者にならない限り日本に演奏旅行に来ることなんてなかっただろうから、日本はとてもいい国なのでしっかり楽しんでいってもらいたいと思います。

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2008年01月13日

プフィッツナーのヴァイオリン協奏曲

たまにN響アワーを見るんだけど、今日はウィーン・フィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヒルを迎えてのプフィッツナーのヴァイオリン協奏曲。プフィッツナーの曲ってブゾーニとかレーガーと同じでどうも僕にはとりとめなく聴こえてしまうなぁ。しかしウィーンゆかりの作曲家ということで、キュッヒルの演奏には熱が入る。だんだん顔が紅潮してきた。と思ったら、おでこを通り越して頭のてっぺんまで紅潮してきた。

というかこのキュッヒルさん、今何歳か知らないけど、だいぶ若い頃から天下のウィーン・フィルのコンマスをやってたはずだけど、そういう若くして頂点を極めた人でも、今聴くと昔より断然上手くなってるのね。なんか昔のキュッヒルってひたすら攻撃的で雑な演奏をするって印象があったけど、今日のプフィッツナーは全然そんなことなくて細部まで神経行き届いてる感じだった。それでいてアグレッシブなところでは積極的に攻める。そして弓は元から先まで余さず使い切るので見た目にも豪快。聴き応え十分でした。

指揮は下野竜也。有名な人だけどN響初登場なんだって。指揮姿は初めてみたけど、小澤征爾そっくりだね。小澤を小太りにしてコミカルにした感じ。プフィッツナーの後に演奏されたリヒャルト・シュトラウスの「死と変容」のとても立派な演奏とコミカルな指揮ぶりにギャップを感じてしまう自分は性悪。それにしても、やっぱり日本の指揮者って誰しも小澤征爾の影響からは逃れられないんだなぁと思った。それだけ小澤の存在は大きい、さすが世界のオザワ、ってことでしょうか。

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2008年01月12日

クラシック音楽を取り巻く状況

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久しぶりにThe Stradを買ってパラパラとながめています。英語は不自由だけど、全頁カラーで綺麗な楽器の写真とか満載なのでながめているだけで結構楽しいのです。

で、目に付いた記事だけ拾っていくんだけど、ピンカス・ズーカーマンが、チケットの値段の高騰や赤字の増大、CD売り上げの落ち込みを引き合いに出し、クラシック音楽界に対して悲観的な見方を示す。そして問題に取り組むためにリーダーたちが集まってサミットを開くべきだ、なんて言ってる。読者からの手紙は、クラシック音楽は価値のあるものなんだから、コンサートホールというセーフティネットから抜け出し、勇気を持って外へ出るべきだと言っている。その一方で、サイモン・ラトルはカーネギーホールでベルリン・フィルとマーラーの第九を演奏した際に、客の咳が止まらないので、演奏を止めて静かにしとれと説教したらしい。

クラシック音楽を取り巻く状況は厳しい。だからコンサートホールという閉じた世界にこもらず、外に打って出るべきだ。でもそのお膝元であるはずのコンサートホールでもセーフティではない。救いはどこにあるのか。


でも正直、マーラーの第九は僕もキツイ。途中で絶対寝ると思う。あ、寝れば静かだから別にいいのか。と思って安心して寝るといびきという罠にはまる可能性。

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2008年01月09日

ラトルのハイドン

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初めて東京までクラシックの演奏会を聴きに行ったのが大学生の頃で、高速バスで行って大垣夜行で帰ってくるという節約プチ旅行。わざわざそうまでして聴きに行ったのが当時若手のホープと騒がれていたサイモン・ラトル指揮のバーミンガム市交響楽団。この時の来日公演では大物ソリスト2人と一緒に来てて、ギドン・クレーメルとのエルガーのバイオリン協奏曲も良かったらしいけど、僕が聴いたのはマルタ・アルゲリッチとのプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。アルゲリッチを生で聴くのも初めてで、むしろラトルよりそちらを期待して出かけたんだけど、もちろんそのプロコフィエフもスリリングで良かったんだけど、それよりも感服したのがオープニングのハイドンの交響曲、第102番。とても面白いし、第2楽章のチェロのソロも本当に浮かび上がって聴こえてきて、感激して帰ってきた。

それ以来僕の中ではラトルのハイドンは素晴らしいということになってる。事実、バーミンガム市響と録音した2枚のCDもとても機動力とユーモアがあって楽しかった。で、今回はベルリン・フィルを振っての88番から92番と協奏交響曲というマイナーな曲を揃えた2枚組。番号順に収録されていてその1枚目から聴き始めたんだけど、期待が大きすぎたせいかもう1つ消化不良の感あり。ベルリン・フィルってとてもよく鳴るので、それでかえって機動力が損なわれている気もする。そして1枚目最後の90番の最終楽章、偽終止があって曲が終わったと見せかけて拍手をもらっておいて、また演奏を続けるみたいな、いかにもハイドンっぽい楽章。これラトルは大好きらしくてバーミンガム市響とも録音していたけど、もう手の内を知っちゃうとむしろなんかうっとうしい。

でも2枚目になると調子も出てきて、だんだん面白くなってきた。協奏交響曲では安永徹、ゲオルグ・ファウストら、ベルリン・フィルの首席奏者たちの個人技が炸裂。とてもうまい。思うにどの曲も、車のない時代の音楽とは思えない速度で演奏してるんだけどあまりにうまくて余裕がありすぎるので聴き手には速く感じられなくて、それでいまいち消化不良な感が残るような気がする。

今バーミンガム市響とのCDを引っ張り出してきて聴き直しているんだけど、こちらの方が自然な感じがするなぁ、長く聴き慣れてるせいかもしれないけどしっくりくる。ベルリン・フィルとの録音は余裕があるから何かいろいろやろうとして策に溺れた感じがする。昔五嶋みどりがメンデルスゾーンの協奏曲を弾くのを何かで聴いたときもそんなこと思ったなぁ、あまりにうまいから、メンデルスゾーンの協奏曲ごときではあり余る技術を持て余しちゃうわみたいな。うまけりゃいいってもんじゃないとは、世の中難しい。

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2008年01月08日

クナッパーツブッシュのワーグナー

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同居人がワーグナーの「ワルキューレ」の音源がいるというので、どうせならとクナッパーツブッシュ指揮のDVDを購入。すこぶる立派な雰囲気でとてもいい。クナの映像は一時期かなりDVDで発売されたけど、僕が持ってたのはバックハウスとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番で、ピアノと指揮が全然合ってなくてコンマスのボスコフスキーの投げやりな表情がかなり笑えた。このワーグナーは真剣な雰囲気が伝わってくる。バリリもブラヴェッツも真剣そのもの。そしてクナの指揮ぶりは時々ムラヴィンスキーと非常に似て見える。年取って透徹してくるとああいう感じになってくるのかしらん。

オットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」ってオペラがあるでしょ、その序曲をアマチュアだと平気で演奏会で取り上げたりするけど、オットー・ニコライって人はウィーン・フィルの創始者で、ウィーン・フィルがこの曲を演奏するのは特別なことで、よほどの指揮者じゃないと振らせないらしい。で、クナッパーツブッシュはちゃんと録音が残っている。それだけウィーン・フィルからの信頼も厚かったということだと思うけど、このDVDからはそんな信頼関係をしっかり感じ取ることができる。

しかしワーグナーの曲を1時間も聴き続けるのはしんどい。途中で挫折してネットサーフィン(って死語かも)。


クナッパーツブッシュというと昔読んだ何かで思い出すことがあって、ハイドンの交響曲をあまりに遅いテンポでやるもんだから団員の1人が質問したら、「これはロココなのだよ、君、自動車などない時代の音楽なのだよ」と答えたとか。今ってバロック音楽とかとんでもなく速く演奏してみたり、ベートーヴェンとかでもメトロノームの指示に忠実にやるからむしろとんでもなく速いテンポで演奏したりするのが多いし、僕もそれが正しいんだと思っていたけど、そういう速いテンポでやるのって、曲に忠実とかじゃなくて、現代のIT化しちゃった効率重視の慌しい世の中を反映してるんじゃないかって気が最近しているとこ。

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2007年12月31日

バッハ無伴奏、日本人初録音

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今は日本人のバイオリニストが世界中で活躍しているけど、その先駆けと言える人がこの人、豊田耕兒。僕は高校生の時に豊田先生の公開レッスンを受講して、とても影響を受けたので、この人の名前を聞くといてもたってもいられない。チェロには門外漢の僕がレッスンをするなんてお門違いなんだけど、と言いつつ、「いろいろやりたいことがあるのはわかるんだけど、それが演奏に出てきてない」というようなことを言われて、客観的に自分の演奏を聞くことの大切さを教わった。今から思うとこのたった1回のレッスンが結構今の自分の原点みたいになっている。何度接しても何とも思えない人もいれば、たった一度で大きな感銘を与えてくれる人もいる。

このバッハの無伴奏は、日本人として初の全曲録音だったそうです。実直な人柄をそのまま投影した実直な演奏。曲の全体を大きな目で俯瞰しているような懐の深さがある。僕も近視眼的にならず、大きなものを見通せる視野の広さがますます必要になるなぁと思いつつ。

良いお年を。

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2007年10月19日

音楽ライフ

前回書いてから1ヶ月以上経ってしまいました。うちのステレオは10年ほど前のパイオニア製、片方のスピーカーから音が出なくなったり突然何かしらの信号をキャッチしてCDが動き出したり(しかも夜中に。こわっ!)して、もう寿命かとしばらく使わずに置いていた。こないだ久しぶりにコンセントつないで動かしてみたら、困った症状はすべてなくなっていて、未だかつてない美音でお気に入りのCDたちを鳴らす鳴らす。パイオニアは会社自体も瀕死の状態から立ち直ろうとしている真っ最中だけど、我が家のステレオも作り主に似たのか。買い替えの危機から幾度となく復活。

というわけで充実した音楽ライフを満喫中。

その他には、藤森氏の演奏に感化されて時間ができたら絶対にさらおうと思っていた、ハイドンのハ長調協奏曲の3楽章をさらいはじめたら左手の親指にあっさり水脹れができて挫折しそうになってみたり、演奏会も何回か聴きに行ってて、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲で「!」と思ったり、エルガーのチェロ協奏曲で「?」と思ったり、今日も行ってきたけどこの演奏は何というか、僕にはチャイコフスキーとシベリウスに対する侮辱としか思えず、若者がこんなことでは日本の将来はやっぱりエネルギー欠乏で衰退するしか道はないのかなぁと思ったりした。

やっぱり昔はよかった。昔は学研の「学習」と「科学」ってのがあった。その現代版がこれ。
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昔を思い出させる学研の「大人の科学」、なんと付録があの「テルミン」ですよ。世界最古の電子楽器。思い出すなぁあの頃、なんてことは絶対ない。思い出すにはあまりに昔すぎる。でもちゃんと音が鳴る。「ブヒュイーン」って鳴る。ビブラートもかかる。「チューリップ」を演奏して最後の音でビブラートかけまくるのが吉。でもチューニングは難しい。全然チューニングできてない気がする。でもいっか、きちんとチューニングできてないのはチェロ弾くときも同じだから。

世の中には「テルミスト」を名乗る人もいるらしい。テルミンを演奏する人をテルミストって言うんだ。これで僕もテルミスト。日本できっと第2543874号くらいのテルミスト。ところで大人の科学は「テルミンの音を一言で表すと?」という質問を取材した人たちにぶつけてみたそうだ。その答え。「尺八。」「チェロだと思います。」「中国の二胡、胡弓とか。」「コントラバスの音も出せます。」というのから、「幽霊が出てくる前の前奏曲とか?」「横山ホットブラザーズのノコギリ演奏」というのまで。

ふむぅ、チェロの音と横山ホットブラザーズのノコギリ演奏の音は同じ音だったんだ。

という感じで、あまりに充実した音楽ライフを満喫中。

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2007年09月17日

とてもよかった

昨日は名古屋市立大学OB管弦楽団の演奏会でした。フレーズの長いワーグナーの音楽は聴くのはとてもつらいけど、それを弾くことにはチャレンジ精神をかきたてられた。ドヴォルザークのソリストのロシア人は、練習が始まる時間になると行方不明になったり、他にもいろいろ大変だったらしいけど、本番はいい演奏をしたし、オケも柔軟性があった。僕はこの曲を以前に1度やったことあるけど、その時より全体の完成度は明らかに数段上だった。

チャイコフスキーの4番も、とてもよかった。この曲の最後はアマチュアがやるとたいてい管楽器があおって弦の音はどんどん薄くなり、パーカッションばかりがジャンジャンやって気分がいいのは自分たちだけの空虚な演奏になってしまうんだけど、最後までギリギリの理性を保っていたし、集中力と緊張感が途切れなかった。1楽章の弦楽器のテーマはずいぶん速いテンポで始まっちゃってどうなることやらと心配したけど、心配したのは僕だけではなかったらしく、徐々に落ち着いていった。外で聴いてると結構テンポがぶれたかもしれないけど、そのせめぎ合いの中で、落ち着いてしっかり曲を作りたい雰囲気の方がお祭りをしたいという雰囲気を上回ったんだと思う。それも練習の時から真面目に取り組んできた賜物。演奏後のブラボーとなかなか鳴り止まなかった拍手は、義理だけではないと思う。

指揮者の北原さんは以前と比べるとだいぶ、上のほうから降りてきて合わせてくれているなという印象。技量に合わせてテンポ設定をしてくれるし、それでがんばってきちんと弾けばきちんと音楽になるということを実証してくれた。ツァラトゥストラもワーグナーもドボコンもチャイコの4番も、北原さんでなかったらこれほどまでの実力以上の演奏ができたとは思えない。

それにしてもチャイコフスキーの4番はとてもよかった。有名な4番から6番までのシンフォニーの中で4番だけはなかなか馴染めなかったんだけど、真面目に取り組めばとてもいい曲に仕上がるんだということが実感できたのはとてもよかった。なかなかこういう経験はできるものではないので、こういう機会を与えてもらったことに感謝したいと思う。

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2007年09月06日

「続・クラシック音楽と本さえあれば」

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遅ればせながら、考える人2007年夏号「続・クラシック音楽と本さえあれば」を読んでいるところ。表紙でビルスマが5弦のチェロ・ピッコロを構える。ページをめくるとビルスマの自宅の雰囲気がうかがい知れて興味深いけど、自然が多くてゆったりした雰囲気で、そしてたくさんの本と楽譜!それに写真にうつるビルスマの表情が、穏やかないい表情をしてるんですね。あの落ち着きのない演奏姿しか知らなかったから、ちょっと意外というかギャップがあった。

この本ではさかんに演奏家と時代背景との関係を探る。ビルスマやアーノンクールなどの、古楽器演奏に早くから取り組み世間に広げた人たちの世代は、ちょうど幼少期を第二次大戦の最中に過ごしているわけです。この多感な時期に戦火を経験したことによって、時代に対する警戒感が培われて、それがそれまでの慣習にとらわれない古楽演奏に精力的に取り組むモチベーションになったと。メンデルスゾーンを中心とした、当時忘れ去られていたバッハの復活活動の背後にも、多分に政治的背景があったのではないかと。

あとは吉田秀和とかバーンスタインとかグールドとか、音楽と関係ないけどユニクロのUT STOREとか。内田光子のインタビューがとても面白かった2年前の「クラシック音楽と本さえあれば」と比べると、表紙の紙質がよくなくなって経費削減って感じ。

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2007年09月02日

演奏会終了

愛知教育大学管弦楽団同窓会の演奏会が終わりました。今はやりのネーミングライツで「中京大学文化市民会館」と名前も変わった名古屋市民会館で、大ホールも「オーロラホール」などというたいそうな名前がついていましたが、中ホールに至っては「プルニエホール」になってました。プルニエって誰ですか?と疑問を抱きつつ会場入り。

13:00というとても早い時間の開演で、リハーサルが終わってから落ち着く間もなく本番、まぁそれはいいとしても、仕切り役の人が「今日は時間がないから急いでください」とあんなに絶えず急かしていては、そうそういい演奏ができるとは思えないけどなぁ。誰か落ち着ける役の人が一人でもいればよかったのに。

でもプロだと開場時間を延ばしてまでもリハーサルをしてることもあるから、場慣れはそれなりに大事。友弦の演奏会の時はいつも直前までコーヒー飲みに行ってリラックスしてるんで、多少は慣れていて良かった。でも昨日はリラックスしすぎてむしろ本番でなかなかテンションが上がらなかったのは失敗。気持ちのコントロールもなかなか難しい。

「ツァラトゥストラはこう語った」は、止まらずに最後まで通るようなコツはオケ全体としてつかめていたような感じなので、本番でも変な切迫感というか緊迫感はなく演奏できたのではないかと。むしろ問題はブルックナーの方で、やっぱりこのブルックナーの4番って途中でだれるなぁと。3楽章でもう全然緊張感なくなっちゃってこれはまずいなぁとか思いながら弾いていました。プログラムが長くて疲れてきたせいもあるのかもしれないけど、やっぱり曲が冗長で聴かせる演奏をするのが難しいこと、それと朝から急かされ続けて無意識のうちに精神的な疲労がたまっていたんだと思う。

なんにしてもいろいろ勉強になりました。気持ちのコントロールはもうちょっと意識的に、テンションを上げたり下げたりできるようになりたいなぁと思ってます。

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2007年08月27日

ツァラトゥストラのこと

この週末は愛教大OBオケの練習へ行ってきた。R.シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」とブルックナーの4番という我々には不相応な長大なプログラムだけど、日曜日の練習では両曲とも一応最後まで通ったので、本番で止まってしまうという非常事態だけは避けられそうな見通し。と楽観的なことを言っているとバチが当たるかも知れないけど。

R.シュトラウスの曲は大変だけど、だいぶ弾けるようになってきて、だいぶわかってきたところ。この曲は生で聴いたことある割には冒頭の有名なテーマしか知らなかったんだけど、自分的には最後の部分が衝撃的。シャープが5つだからH-durだと思うんだけど、低弦にはピチカートでドの音を弾かせる。全然調和しない。H岡先生によると、H-durが人工物でC-durが自然を表現しているそうです。で、最後はCの音で自然が人工物に勝るんだと。さすがに勉強している。

でも息も絶え絶えな最弱音のピチカートで終わるあたり、結局すべてのものが破滅するんだという風に僕には感じられるなぁ。

それにしてもこんな曲が通るようになるなんて、指揮者の力は偉大だと思わざるをえない。練習の進め方とかしゃべりとか、上から降りてきて合わせてくれている。「ここは本当に夢に出てくる」って言ってたけど速いテンポで3連と4連が交互に出てきて僕はまだ全然わからないところも、きちんと振ってオケが勝手に拍が揺れちゃうのにもしっかりつけてきて、しかも妙にニコニコしながら振っている。

そして「お、まだ時間があるから最初の方に戻って....」という必殺のフレーズ。やっぱ巨匠になるとみんなこう言うんだなぁ。

21日の火曜日にはH岡先生とチェロ二重奏を2曲+アンコール、それにカサドの無伴奏組曲の終曲を弾いた。ポジションの跳躍するところもそれなりに音程が当たり、鳴らしにくいフラジョレットもそれなりに鳴ったので良かった。「完璧だったよ」とH岡先生に言われて有頂天で帰ってきたのも束の間、改めてツァラトゥストラの楽譜を見てかなり焦ってCD聴いたりさらったりして、自分なりには結構弾けるようになったなぁと自画自賛して日曜日の練習から帰ってきて、改めて家で一人で弾いてみると音程がとんでもなくてかなり焦っているところ。やれやれ。あと1週間でどうなりますことやら。

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2007年08月17日

分をわきまえる

R.シュトラウスとブルックナーをさらっていますがかなり大変です。相場も荒れ放題でかなりパニくってきました。僕の中でツァラトゥストラは「まだまだ株は下がるぞ、おまえもいい加減くたばりやがれ」と語っています。

昔はまったく理解できなかったR.シュトラウスの曲が、最近はとてもすごいものに思えてきた。これだけたくさんの音を要求しつつ、全体としてはまったく濁りのない響きが形作られる。僕なんかチェロの1つのパートを弾くだけでヒーヒー言ってるのに、それをたくさんのパートに書いて全体でも調和が取れているというのはすごいことだなぁと。何かとてつもなく大きなものに対峙しているような気がする。と同時に、楽器を弾くことを生業としている人だったらこれくらいはマスターできるだろう、マスターできなければならない、とも思う。これはドン・ファンを弾いたときにも感じたことだけれど。

いずれにせよ、根本的に我々ごときが取り組むべきものではない。分をわきまえるべきだと思う。


いい加減さらうの嫌になってきた。おまけに来週はソロも二重奏もやらなくてはいけなくてさらにパニくる。もうこんな生活は二度としないぞと思っていたのに。「まぁ嫌になったからリヒャルト降りてもいい?」って聞いたら「君にはそう言われると思ったよ」と言いつつ首を縦には振ってくれなんだ。本番まであと2週間、どうなりますことやら。

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2007年08月05日

ゲストがすごいぞ

今日はお誘いいただいた演奏会というか発表会を聴きに行ってきました。ゲストがすごいぞ、N響主席の藤森亮一氏。バッハの無伴奏3番全曲に始まり、ハイドンのハ長調の協奏曲、チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレはチェロのソロと弦楽合奏による版、そしてヴィヴァルディの弦楽の曲とアンコールのサウンド・オブ・ミュージックもチェロ・パートの後席で参加するという、N響主席をこれでもかと使い倒すプログラム。

この人は以前も思ったけど、音量はやっぱりあまり大きくないけど、とても音が綺麗なんですね。後ろで弾いていたバイオリンの子供たち(分数楽器使用者も大勢いると思われる)とは言わずもがな、それなりの職業音楽家を揃えたビオラやチェロやコントラバスと比べてもその美音ぶりは際立っていた。それにあれだけ長時間弾いても結構平気で疲れてなさそうなのは、普段はハードワークなオケマンならではでしょうか。

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2007年08月04日

予習

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9月は北原幸男氏の指揮で2つ演奏会があるので、その予習。今までも何回かこの人の指揮で弾いたことがありますが、ただひたすら謙虚に丁寧に曲の良さを引き出そうとする姿勢がとても素晴らしく、毎回楽しい経験をさせてもらってきました。

このCDはブラームスのダブル・コンチェルトと交響曲第1番という、かなりしっかり詰め込んだ満腹感溢れる選曲とともに、演奏ももちろん素晴らしくて満腹感×2。どちらも有名な曲なので巷では何種類もCDが出てるけど、その中からあえて手にする価値は十分にある。この指揮者らしい、ただ誠実に楽譜を音にすることで立派な音楽に仕立て上げてしまうという趣。戸田弥生&山崎伸子というソリストも購買意欲をそそられた大きなポイントで、期待に違わぬ誠実な演奏を展開。

「節目の年に」と題された北原氏の寄稿によると、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの3人は氏にとってとりわけ偉大な存在らしい。9月の演奏会では、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、R.シュトラウスなどとともに、ブルックナーの交響曲もしっかり入ってます。自分はいまだにブルックナーの音楽は苦手だけど、この認識を変えてくれるか、ちょっと楽しみ。

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2007年07月15日

宗次ホール初体験

金曜日に、ソンミン・カンという韓国の若いチェリストのリサイタルを聴きに宗次ホールへ行ってきた。栄にできた宗次ホールは初体験。壁は白で舞台は黒、床はコンクリート打ちっぱなしというクールな作りがなかなかよい感じ。客席数は確か400に満たないけど2階席まであり、奥行きが狭く天井が高い。教会とかこんな感じかもなぁと思いました。

ソンミン・カンという人はここで書いた、韓国の女の子。コンクールでの様子はちょっとだけウェブサイトで見たことがあって、あの一弓スタッカートがすごいなぁと感心しきりだったこともあり、とても期待して聴きに行った次第。プログラムは、その一弓スタッカートを聴かせるロカテッリのソナタニ長調(もともとバイオリンの曲なんだね)に、カサドの無伴奏にドビュッシーのソナタ、休憩を挟んでブラームスの大作、ソナタ第2番。

前半は2階で聴いていて、おやっと思った。音が上に抜けるかもと知ってる人から聞いていたので2階に座ったんだけど、音はあまり聴こえないし、ピアノの方がよく聴こえる感じ。そんな消化不良のまま休憩に入り、やっぱりチェロのリサイタルだから僕の知ってる人も何人か聴きに来てて、みんながみんな「素晴らしい!」なんて言ってるもんだから、あらー僕の耳っておかしいのかなぁと落ち込みつつ、後半は1階に座ってみた(途中で席を移動できるのが自由席のいいところ)。確かに1階だと生音も聴こえてきてピアノとのバランスもかなり改善。でもそう特別なインパクトを感じることもなく、アンコールまで終わってしまった感じ。

最近名前を聞かないけど、オーフラ・ハーノイっていうチェリストがいたでしょ、とても美人の。あの人はなんか軽やかなんだけど鼻歌っぽくて全然薄っぺらな感じで、ありゃ美人だから売れただけだよななんて思ってたんだけど、そこまでではないにしてもソンミン・カンの演奏はどちらかというとそちらの系統のような印象を受けた。テクニックはほんとすごくて、高いポジションへ跳躍しても音程合いまくりだし、表現もきちんとできてるし、一弓スタッカートなんてあれは世界でもできる人は数少ないくらいじゃないかと思うけど、肝心の、聴き手へのインパクトに欠けると感じた。そう広くない宗次ホールで、2階席に座ったくらいで音がいまいち聴こえてこないなぁと感じるくらいだから、今のままではちょっと厳しいなぁと。まぁまだ若いし、基本的なテクニックは出来上がってしまっているので、今後どうとでもなるでしょう。先は長いのでこれからに期待。

なんて偉そうに書いてるけど、当日聴いてるときはちょっと焦った。僕の耳はやっぱりおかしいのかなぁって。でも演奏会後に名古屋では重鎮のN先生も僕が感じたのと同じようなことを言ってて、かなり安心して、それなりの自信を持って書いた次第。

ピアノはとてもよかった。経験の違いか、チェロとは格が違うと感じた。沢木良子って人。ちょっと覚えておこう。

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2007年07月04日

友弦の演奏会

友弦合奏団の演奏会が終わりました。今回もまたいろいろと考えさせられることが多くあり、非常に勉強になりました。自分の演奏はまあまあ、本番1週間前に張り替えた弦の調子がなかなか良好で、特にドヴォルザークの弦楽セレナードで悪くない演奏ができ、足を引っ張ることはそんなになかったかもと少しほっとしているところ。

今回の演奏会の目玉は何と言っても世界初演のすぎやまこういち作曲「チェロのためのオキナワ」だったわけですが、当日のリハーサルが全体的にあまりによくなくてかなり危険だなぁと、ビオラのお二方とクリエでコーヒーを飲みながら話していたんだけど、本番ではそれがいい緊張感になってなかなかうまくいったように思った。そしてソリストとコンサートマスターは、本番にばっちり照準を合わせてくるという、プロの演奏家の真髄を見た感じがした。ほんとに本番はソロを聴きながらそしてバックで弾きながら、もっと気を入れて弾かないとと、いい緊張感を感じることができたし、自分がどんどん乗せられていくのがわかった。演奏後に作曲者のすぎやまこういち氏とかソリストとかコンマス氏とか指揮者氏とかが握手を交わしているのを見て、感激して泣けてきてしまった。自分にとっては何もかもがとてもよかった。こんなところに参加させてもらうなんてまったく分不相応だけど、他力本願的に周りの人たちのおかげで自分も実力以上の演奏ができたような気がするし、ただただ感謝するばかり。

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2007年06月26日

名フィル

土曜日に名フィルの演奏会を聴きに行ってきました。ヤコフ・クライツベルク(いつもながら指揮者はいいのを連れてくる)の指揮で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と、ショスタコーヴィチの「1905年」というタイトルのついた交響曲第11番。ピアノはキリル・ゲルシテインという若い人でした。

名フィルを聴くのはいつぶりか忘れたけど、この日の演奏はとても良かった。やっぱりショスタコーヴィチの曲はインパクトが強くて聴き栄えがするというのと、指揮者が相当厳しく練習をしたらしいってもあるだろうけど、正直驚いた(演奏後のとんでもないフライングブラボーと解説にもなかなか驚いたけど。残念ながら聴き手のレベルは低かった)。団塊世代の退職と若い人の補充で、人が順番に入れ替わっているみたいで、ひょっとしたらここ最近で劇的にいい演奏をするようになっているのかもしれない。ルドルフ・バルシャイが来てショスタコの4番を振ったのはせいぜいまだ3、4年前だと思うけど、その頃に比べると隔世の感すらある。

以前はあまりに下手で何ともならなかったけど、いい指揮者連れてくるなぁ面白いプログラミングするなぁと思い始めてから何年も経って、ようやく音楽としてどうこう言えるレベルまで来た。もちろん、ここからの方が道は長い。がんばってください。

この週末は他にも、本番が来週に迫った友弦合奏団の練習もあった。あまりに音程が定まらなくてかなり焦っているところ。道具に頼るべく弦を新品に張り替えたところ。弦が新しくなると響きも変わるね。

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2007年06月17日

シュタルケルのコダーイ

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有名なヤーノシュ・シュタルケルによるコダーイの無伴奏チェロソナタ、最近CDで手に入らなくなっていたと思うんだけど新たに発売されたので早速聴いてみた。有名な1950年の録音。この演奏かなり久しぶりに聴いたんだけど、やっぱりというか、トンデモなくすごいです。今はみんな上手くなってこの曲のCDもいろいろな人の演奏で聴くことができるけど、そうなってますますシュタルケルのすごさが際立つ感じ。発売された当時は「松ヤニの飛び散る音が聞こえる」と形容されたそうですが、そんなわけないやんなんて情緒のないことを言わないでください。ほんとに聞こえます。

このCDにはシュタルケルのこの曲の1回目の録音とされる1948年の録音も収録されていて、1枚でコダーイの無伴奏が2回聴けるしくみ。1948年でシュタルケル24歳なんだって。そんな年でこの曲が弾けてしまうのかね。ただ録音が悪く演奏自体も不安定。1950年の録音には遠く及ばない感じだけど、たった2年でそこまで改善してくるか。でも1950年でもシュタルケルは26歳なんだよな。やっぱりいつの時代でも上手い人は最初から上手いんだなぁ。でも20代半ばにしてこの頭のはげ具合はちょっとなぁ。

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2007年05月09日

GW

GW中に聴いた中で、近く閉鎖されてしまうルンデで聴いたこのえ弦楽四重奏団のことを書かなくてはいけなくてはと思いつつ、なかなか、何をどう書いたらいいのか。さすがに経験が長いだけあって立派な演奏だなぁという感嘆と、我々のレベルではこれ以上は無理なのかなぁという落胆が半々。ビオラのT氏によるプログラムノートは非常に力作で示唆が多く、演奏もそれを反映した興味深いもので、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」の後のアンコールにR.シュトラウスの「アンダンテ・カンタービレ」を弾く(こんな曲あるんだね、よく探してくるなぁ)というのも選曲の妙だし、でもだからといって手放しで賞賛できる演奏だったかというと、僕にはそう言うのは難しい。

曲はベートーヴェンの2番とチャイコフスキーの1番。ベートーヴェンもチャイコフスキーも何の気なしに曲を書いたわけではなくて、やっぱり何かしら思い入れがあって、一生懸命書いたと思うんだよね。そういうエネルギッシュさが演奏から感じられないのが、僕には非常に消化不良の印象があった。何かきれいにまとめることばかりに気が行ってて、フォルテで強い音の箇所が、ルンデの狭いホールでも聴き手まで強い音として聴こえてくることがなく、結果せっかく繊細に演奏されていたピアノで弱い音の箇所とのコントラストがはっきりせずに、演奏自体が聴き手に訴える力が弱いように感じたのが残念だった。

それと明らかに意図的に行なっていたと思うビブラートを控えての歌い回しが、意図は非常に面白いんだけどなかなか難しいなぁと感じた。ビブラートをかけない音はノリントンが「ピュア・トーン」というように非常に純粋で印象深い音が出るんだけど、それはそういう音を出した時にそうなるのであって、左手でビブラートをかけないときは右手が相当気を使った弾き方をしないとむしろ神経の行き届かない耳障りな音になってしまう。全然関係のない昔のことを思い出しちゃったけど、マーラーの交響曲でグリッサンド(音のずり上げ、ずり下げ)って書いてある箇所がある時に、普通にやるとグリッサンドはたいてい貧相な雰囲気になってしまって、それでも楽譜に書いてある通りにやってますからって弾いてる人たちは全然改善しようという雰囲気もなかったんだけど、いやそれは違うだろうと。グリッサンドも品のいいグリッサンドと貧相なグリッサンドがあって、品のいいグリッサンドじゃないと曲に合わないでしょうと思ったんだけど、そんな昔のことを思い出してしまった。ビブラートをかけない音が、ピュア・トーンになり切っていなかったことで、結局はせっかくの興味深い試みの印象を奏者たち自らで弱めてしまっているのがとても残念だった。

と書いてると、なんか単に僕の理想が高いだけのような気がしてきた。なかなか満足できないというのは人生素直に楽しめず、ほとほと損な性格だと思う。

他には愛知学泉大学のオーケストラを聴きに行ってN響コンサートマスター堀正文氏の至芸(パガニーニのテクニカルなのをあっさりと弾いちゃった)をいやと言うほど堪能したのとチェロのエキストラの演奏ぶりに腹を立てたのと、久しぶりにロッシーニやらバリエールやらのデュオを弾いて技術的にはそれなりに上達しているらしいことを確認したのと。


はぁ、しかしなんか人前で弾くのは難しいね、僕なんて今まで何を晒してきたんだろうか、やれやれだ。

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2007年05月02日

バッハの協奏曲

前回の続きですが、バッハの3台のバイオリンのためのコンチェルトは、3台のチェンバロのためのコンチェルトBWV1064の編曲。ハ長調の明るい曲です。

バッハのチェンバロ協奏曲はたくさんあるんだけど、基本的になにか他の楽器のための協奏曲から編曲されたものという認識があって、実際バイオリン協奏曲として残っているイ短調とホ長調の曲はチェンバロ協奏曲のト短調BWV1058とニ長調BWV1054と同じ曲で、有名な2台のバイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043は2台のチェンバロのための協奏曲ハ短調BWV1062と同じ曲で、チェンバロ協奏曲のヘ長調BWV1057はブランデンブルク協奏曲第4番と同じ曲で、番外として4台のチェンバロのための協奏曲はヴィヴァルディの有名な4つのバイオリンのための協奏曲と同じ曲。

まぁこうやって両方とも残っている場合は何も問題はないと思うんだけど、チェンバロ協奏曲は他にもたくさんあるんで、ここから元の楽器のための協奏曲へ復元しようという人がいるわけです。その中で最も有名というかこの曲ばっかりが知られているというのが、バイオリンとオーボエのための協奏曲で、これは2台のチェンバロのための協奏曲ハ短調BWV1060からの復元。その次によく知られているのが(と言ってもすでにほとんど知られていないけど)バイオリン協奏曲ト短調で、これはチェンバロ協奏曲ヘ短調BWV1056からの復元。第2楽章が「アリオーソ」という名前で有名な曲と同じ旋律のもの。そして僕がチェンバロ協奏曲の中で一番カッコよく最強な曲だと思っているニ短調BWV1052はバイオリン協奏曲に復元されたものがある(ファビオ・ビオンディとエウローパ・ガランテの録音が最強によい。曲がいいから当然だが)。

しかし、こういう復元って本当に正しいのだろうか?チェンバロ協奏曲でチェンバロの楽譜しかないはずなのに、なんで元の曲がバイオリンとかオーボエとかってわかるのだろうか?今回の3台のバイオリンのための協奏曲だって、本当に元は3台のバイオリンなのだろうか?というわけで、合宿で同室だったT氏は先日までブリュッセルにいてプティット・バンドで弾いていた人なので、聞いてみたんだけど、きちんと調べてみないとわからないという前提付きで、断片が残っているのかもしれないし、まぁこういうのはそうだと言えばそうなんだよ、ということだった。

まぁ、そりゃそうだよね。

今回の3台のバイオリンのための協奏曲は、こういう編曲があるってことは全然知らなかったんで初めは驚いたし、送られてきた楽譜(チューリヒのHugって出版社?こういう出版社があるの?)がルドルフ・バウムガルトナーの編曲って書いてあって、この人はフルニエが弾いたハイドンのチェロ協奏曲の録音のバックで指揮をしてる人だし、記憶違いかもしれないけどカザルスとも何やら演奏していたような覚えがあるんで、へーこんな人がこんな編曲してるんだ、面白いけどうさんくさいなぁ、なんて思ってたら、合宿に行ったらベーレンライター版を渡されて、つまりベーレンライターからも編曲者は違うけれど同じ編成で楽譜が出てたので、3台のバイオリンというのはきちんと市民権を得た編曲なんだろうと感じた次第。日本のクラシック音楽の権威である音楽の友社の「作曲者別名曲解説ライブラリー12 J.S.バッハ」には「3つの旋律楽器がヴァイオリンだけであるか、ヴァイオリン、フルート、オーボエであるかは意見のわかれるところだが、音域がほとんど同じであること、共通の音型が多いことなどから、今日では3つのヴァイオリンであることが確実視され、新バッハ全集の復元もそれを踏襲している」とある。さすが、権威に言われるとなるほどといった感じで納得してしまう。

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2007年04月30日

合宿

一昨日と昨日は友弦合奏団の合宿でした。2日目には低弦が全員揃い、かなり感じがつかめたので自分としてはとても有意義でよかった。曲はとりあえず3曲で、ドヴォルザークの弦楽セレナードと、すぎやまこういちの「チェロと弦楽のためのオキナワ」と、バッハの3台のバイオリンのためのコンチェルト。

僕はドヴォルザークの弦セレを演奏会で弾くのは3回目になるけど、とても難しいね、弾けば弾くほど難しく感じる。ほんの少し音程がずれるだけで違和感があって気持ちが悪い。ムードとしてはリラックスした気分の箇所が多いんだけど、リラックスした雰囲気を出すには隅々まで細心の注意を払って弾かなくてはいけないので全然リラックスできないという、矛盾に満ちた曲。ドラクエで有名なすぎやまこういち氏の「チェロと弦楽のためのオキナワ」は、今回が本邦初演。南国の野趣あふれる、ではなく、都会的に洗練された沖縄。作曲者公認のもとで初演するという機会はそうそうあるものではないので、貴重な経験ができるのがとてもありがたいところ。ほんとに自分はラッキーな人間だなぁと思う。

練習ではトラブルもあって、弾いてる最中に弓の先の毛を止めている部分が外れてしまい、弓の毛がザンバラ状態になってしまいました。こんなこともあるんだなぁ。本番中だったら人気者になれたのに。本番でなくてよかった。

バッハの3台のバイオリンのためのコンチェルトについてはまた次回。

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2007年04月27日

パガニーニのカプリース

パガニーニは悪魔に魂を売って超絶技巧を身に付けたのに、録音に聴く演奏には妙に健康的な雰囲気が蔓延しているような気がする。有名なコンチェルトの1番は定盤アッカルドのあまりに明るく無垢な演奏が世間を席巻しているし、古今東西のバイオリン独奏曲の最高峰であるカプリースも若い優等生バイオリニストが社会へ出る時に必ず通る道みたいな感じで録音されてきた。私こんなにじょうずにひけるのよ、私には輝かしい未来がまっているのよ、みたいな。

そんな状況に喝!なディスクが登場。
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人生が輝かしいものであるわけがない!人生の酸いも甘いも知り尽くしたイヴリー・ギトリスによる30年前に録音された濃厚な1枚。細かいことなんか知ったことか!とにかく気合だ!という1枚。ギトリスは何年か前にアルゲリッチが別府でやっている音楽祭にきてパガニーニのコンチェルト1番を弾いてテレビでも放送されてたけど、メロディは歌わず音を1つづつ置いていくだけで、健康的ではなかった。このカプリースも、健康ではない。音程の悪さすら芸風の1つと妙に納得させられてしまい繰り返し聴きたくなってしまう自分にはもう不健康な毒が回ってしまったということだろか。

ギトリスは最近DVDも発売されて、
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このチャイコフスキーのコンチェルトはオケもよくなく、ギトリスもあまりに場当たり的な演奏で、あまり好きにはなれなかったんだけど、一緒に入っている小品の数々がもの凄い。この人のどぎついまでの音のパワーと、一弓スタッカートの上手さは凄いですね。特に一弓スタッカートは絶品。この人より上手い人なんていないんじゃなかろうか。

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2007年04月19日

「音楽家の肖像」その4

山本直純の次は中川牧三という、僕は今まで全然知らなかったんだけど、101歳でのコンサートで友人マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲を振ったという、何ともかくしゃくとした方でもって、指揮者は終わりらしい。続いてはピアニストで、日本音楽界の黎明期で外せない安川加寿子から始まり、中村紘子、園田高弘と続いています。その中でも興味深かったのは安川加寿子氏が身体が動く最後まで毎年のリサイタルを続けたという話で、「芸術家は、人前に自分を晒(さら)さないと駄目になります。その緊張感が大事なの。写真家も同じでしょう」と語っていたと。

芸術家や写真家だけでなく、これは何にでもあてはまるような気がしますね。


唐突ですが次回こそパガニーニのカプリースのことを書こうと思っています。

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2007年04月15日

「音楽家の肖像」その3

中日新聞に連載されている木之下晃氏の興味深いシリーズ「音楽家の肖像」ですが、大植英次の後は小林研一郎、上岡敏之、佐渡裕、本名徹次、広上淳一、天沼裕子、外山雄三、若杉弘、秋山和慶と、日本人の指揮者が続いています。しかし、日本人の指揮者って結構いるんだね、しかも実力派ぞろいで、なかなか素晴らしい国だなぁと思い始めています。

そして、昨日は山本直純氏。言わずと知れた、戦後日本音楽界を代表する人ですが、なかなか辛辣。「時代の中で才能消費」だって。これまでの人については、こんな業績がある、こんな期待が持てる、誰も彼も素晴らしい人だ、みたいな論調だったのに、ここへ来て突然厳しい物言い。よほど若い頃から才能があって期待されてたんだろうけど、期待が大きすぎたということか。木之下氏は山本氏のことを天才だと断言した上で「多才ゆえに器用貧乏にに終わった」「才能を大成されることの難しさを如実に感じさせられる」と書いています。

確かにその時代に生きている以上はその時代にあった活動をしていかないといけないんだけど、僕のような後の世代になると、山本直純という名前は知っていても、じゃぁ何をやった人なんだといわれるとほとんど何も出てこない。単に僕の勉強不足なのかもしれないし、僕の世代にまで残るほどのものがなかったのかもしれない、たぶんその中間地点くらいが正しいかなぁと思っているところ。ただ僕が山本直純さんのことで思うのは、音楽は楽しいものだけど、度を過ぎてちゃかしすぎるのも良くない、ということかなぁ。

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2007年04月12日

ゲルト・アルブレヒト

今日の朝日新聞夕刊に、読売日本交響楽団の常任指揮者を退任したゲルト・アルブレヒトのインタビューが掲載されていた。というか、もう退任していたんだね。僕が興味深く感じたのは、偉大な楽団かどうかを判断するのはピアニッシモ(最弱音)、との持論がある、という下り。僕も同じ考えなので、素直にうれしかった。

近現代の楽器の改造は、大きく強い音を出すにはどうしたらよいか、ということばかりに重点が置かれていて、弾く方も、いかに大きな音を出すかという方法論ばかりが幅を利かせているような気がする。音楽ホールも大きくて舞台の上からは一番後ろの席の人の姿はおぼろげながらにしか見えないけど、現代の音楽ホールはとても性能がいいし、聴く人はちゃんと聴いていてくれる。信念と勇気を持ってかそけき音を出すことも大切だと思う。

頑固一徹ぶりというか偏屈ぶりに笑っちゃったのは、チェコ・フィルと来日した際にエージェントにドヴォルザークをと言われたのに、チェコ・フィルの本領はブルックナーだと言って突っぱねたという話。昔、当時チャイコフスキーに取り組んでいたアバドがなにかのインタビューで、「日本ではロシア物はロシアの楽団で、という風潮があるが」と言われ「それじゃイタリア人の僕はオーケストラコンサートで演奏できる曲がほとんどなくなってしまう」と答えていたのを思い出した。

僕的には、チャイコフスキーとショスタコーヴィチはムラヴィンスキーの指揮が一番いいと思っているので、ロシア物はロシアの楽団で、というのには一定の理解があるけれど、チェコ・フィルのチェコ物、ドヴォルザークやスメタナが本当にいいかどうかはわからない。もちろん、チェコ・フィルの本領はブルックナーなのかどうかもよくわからない。

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2007年04月11日

これはいい

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松井秀喜公式応援歌「栄光の道(ひかりのみち)」。これはいい。故岩城宏之氏の遺志だった企画で演奏はオーケストラ・アンサンブル金沢、作曲はゆうがたクインテットでおなじみの宮川彬良氏。親しみやすいメロディに妙に強調するシンコペーション。カッ飛ばせとかやっつけろみたいな雰囲気は皆無で、目先の1打席に惑わされたりなどしない、ほんの一時の出来事などに惑わされずに偉大な大リーガーの王道を歩み続ける松井にはピッタリの名曲。松井の故郷、石川県のアンサンブル金沢の超名演も花を添えている。

余白に大リーグ中継でおなじみの「Take Me Out To The Ball Game」が収められているのも非常によい。

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2007年04月03日

「音楽家の肖像」その2

昨日紹介した、中日新聞夕刊に連載されている「音楽家の肖像」、現役世代の2人目はやっぱりというか、大植英次。最近よくCDも発売されてきてます。僕はこの人の名前を聞くといろいろと思い出すことがある。バーンスタインの最後の来日ツアーはロンドン交響楽団とだったんだけど、当日になってプログラムの前半をアシスタントの若い日本人に振らせてバーンスタインは後半しか振らなかったので、バーンスタインだからと高いチケット料金を払ったお客さんの中には当然気に入らない人もいて、演奏会後にスポンサーだった某証券会社(日本で最大手)とちょっとごたごたが生じた、なんて話が昔々にあった。そういう話を聞いてから、僕はどうも証券会社というものに胡散臭い匂いを感じてしまって好きになれない。

その時のアシスタントの若い日本人ってのが、大植英次。

上の話は東京でのコンサートの話で、名古屋で振ったのはマイケル・ティルソン・トーマス。この名古屋のコンサートは、うちの父親が又穂のたー坊からチケットをもらってきたので、僕も聴きに行った。最初は確かベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番でまだよかったんだけど、2曲目がアイヴスの交響曲、メインはリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲だったか、家庭交響曲とか英雄の生涯だったかもしれないけど、まぁ何にしても1回聴いただけで理解しろと言うには不可能な曲たちで、そんな曲たちに対する免疫などなかったから、非常にグロッキーになって帰ってきた記憶がある。今でも僕の生涯の中で最悪なコンサート、ベスト1に輝く一品。

ちなみにその時の会場は、当時すでに取り壊しが決まっていた愛知文化講堂だった。僕って文化講堂に入ったことって何回かあったのだろうか、ひょっとしてこの時1回きりだったかもしれないけど、その光景は今でも目に焼きついている。いかにも講堂というような、クラシック音楽とは縁遠い雰囲気の舞台に、見たこともない打楽器がたくさん並び...。これから恐ろしいショーが始まるという匂いがぷんぷん漂ってたなぁ。

リヒャルト・シュトラウスという作曲家は有名なんで、彼の曲は度々耳にしたりエキストラ頼まれて弾いちゃったりすることがあるけど、アメリカ現代の作曲家チャールズ・アイヴズの作品とは幸いなことに、それ以降接触することはなく、平穏無事な人生を送ってきた。

というわけで、大植英次という名前を聞くと思い出すことがいろいろある。でも彼の指揮による演奏は未だ1度も聴いたことがない。あららら。

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2007年04月02日

「音楽家の肖像」

写真家の木之下晃さんという、音楽家の写真で有名な人なんだけど、その人が先週から中日新聞夕刊に「音楽家の肖像」という連載をしてます。先週は斉藤秀雄に始まり、朝比奈隆、渡邊暁雄、山田一雄、岩城宏之と、今の日本の音楽界の礎を作り、すでに亡くなった人たちを取り上げていたけど、今日は現役のトップバッターとして、指揮者の大野和士氏。僕は未だCDですら聴いたことはないけれど、これだけいろいろな人を見、写真を撮り続けてきた人が「現在、海外で最も活躍している日本人指揮者は、まぎれもなく大野和士で、その内容は小沢征爾を凌駕しつつあるといえる。」と言うのだから、間違いはないのだろう。オーケストラがストで出演しなかった時に、現代の難解なオペラを短期間で2台のピアノに編曲して公演を成功させてしまった話はつい最近の話だったっけか、まだ記憶に新しいところ。NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」に出演していた際には、非常にエネルギッシュでクレバーな人だなぁという印象だった。ぜひ一度きちんと聴いてみないとなぁと思っているところ。

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2007年02月20日

バルトークの引用

こないだFMで、チョン・ミョンフン指揮東京フィルの演奏でバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を放送していた。昔うちの父親が、バルトークがショスタコーヴィチを引用してヒャラヒャラと笑う箇所があるんだ、と力説してて、その時は軽く聞き流してたんだけどちゃんと聞いてなかったもんだから、バルトークの確か管弦楽のための協奏曲だったよなぁ、ショスタコーヴィチの何の曲だったかなぁ、なんて長年謎のままだったんだけど、FMの吉松隆氏の解説でようやく謎が解けた。やっぱり管弦楽のための協奏曲だった、それの第4楽章。引用されている曲はショスタコーヴィチの交響曲第7番、「レニングラード」というタイトルがついてて、シュワルツェネッガーがチチンブイブイとか言っていたアリナミンVドリンクのCMで使われていた箇所だった。

そうやってわかって聞くと、ああなるほどと、かなり面白い。

吉松隆氏によると「当時ラジオで放送されていたショスタコーヴィチの曲を引用して云々」ということだったけど、この曲が作曲された1943年当時は第二次大戦の真っ最中で、ショスタコーヴィチの「レニングラード」はソビエトではナチスに対抗するシンボル的な音楽として初演から大成功で、アメリカでもトスカニーニとストコフスキーとクーセヴィツキーが演奏の権利を争ったりしたそうで。それにしても、バルトークはアメリカに来てろくに仕事がなくて生活も苦しく体調も悪かった、そんな彼を助けるべく破格の値段で作曲を依頼してきたのは「レニングラード」を演奏しようとしたクーセヴィツキーで、なぜその曲でわざわざ「レニングラード」の勇ましい部分を引用して嘲笑する理由があったのだろうか。

この引用した部分は、ソビエト軍隊を表しているというのが一般的だと思っていたんだけど、どうもネットでいろいろ調べてみると、ショスタコーヴィチ自身もレハールの「メリー・ウィドウ」から引用したものらしい。そしてレハールはヒトラーから支持を受けていたそうで。バルトークはそこまで理解して、ナチスを嘲笑する意味で引用していたのだろうか。それとも彼は「国家の奴隷にまでなって作曲するものは馬鹿だ」と言っていたらしいから単にショスタコーヴィチのことが嫌いだったのだろうか。クーセヴィツキーは演奏してどう思ったのだろうか。1つ謎が解けるとまた新たな謎がやって来る。

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2007年02月16日

「のだめ」に思う

僕はマンガというものは「家裁の人」と「マスターキートン」、それに「地球を呑む」くらいしか読まないので、その程度の人がマンガを語るんだということで読んで欲しいんだけど、「のだめカンタービレ」がクラシック音楽人口の増大に貢献したのか、ということですが、僕はまずそういうことはないと思っています。直感的に、マンガ好きの人が「のだめ」を読んで面白いと思ったところで、突然楽器を始めたりクラシックのCDを買ったりコンサートへ行ったりするには、あまりにも敷居が高いのではないだろうかと思う。それに僕の周りでは「のだめ」のことを話題にするのはやっぱりクラシック音楽に何かしら興味があったり最初から関心があったりする人だけで。すなわち「のだめ」でクラシック音楽人口が特に増大することはないと思う。

それでは次に、あまりにもマニアックなクラシック音楽を題材にしたマンガがなぜこうも話題になるのか、ということ。これは僕は最近とても強く思っていることなんだけど、クラシック音楽は特にマニアックなものではなく、日本はクラシック音楽大国で、このようなマンガが流行る土壌がすでにあったんだと思う。東京でのプロのオーケストラの数はロンドンに匹敵するほど、アマチュアでは山手線の駅1つにアマチュアオーケストラが1つあると言われるくらいだし、それぞれの地方にもプロ、アマチュア問わずオーケストラはたくさんある。海外からもさかんに演奏家がやってくるし、クラシック専用のホールが1つの都市にいくつもあったりする。ドラマやCMでもクラシック音楽をアレンジしたもの、またはそのものずばりが頻繁に使われている。

というわけで、もともと日本は世界でも有数のクラシック音楽大国と言って間違いない。だからこそ「のだめ」も流行る。という結論。


...と言いつつ僕の中に釈然としない思いもあって、僕はついこの間まで日本ではクラシック音楽はマイナーなものだと思っていたし、今でも日本に全然根付いていないと思っているし、僕以外の人にどんどんクラシック音楽を聴いたり楽器を始めたりして欲しいと思っている。それでも日本はすでにクラシック音楽大国だと思っている。どちらの考えも絶対に正しいと思っている。自分の中でこの相反した考えを両立させているのもなかなか妙な話だけど、どこかでつながっているような気もしている。とりあえず今のところはそんな感じで。

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2007年02月09日

デプリーストのマーラー5番

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東京都響の常任指揮者を務めるジェイムズ・デプリーストがロンドン交響楽団を振ったマーラーの交響曲第5番。これが実に謙虚な、一歩一歩踏みしめて進むような細部まで丁寧に作り上げた演奏で、こんな素晴らしい演奏が1000円より安い値段で買えてしまうのがNAXOSのすごいところ。今では過去の名盤と呼ばれるものが1000円くらいで買えてしまうけど、過去の名盤に匹敵する演奏を最新録音で作ってしまうのが、1枚1000円の流れを最初に作ったNAXOSの面目躍如といったところですね。

帯には必殺のセールストークが。「あのテレビドラマにもなった、音大生を主人公にした人気コミックに実名で登場するデプリーストによる熱演で」。というわけで、次回は「のだめカンタービレ」がクラシック音楽人口の増大に貢献したのかを考えてみたいと思います。

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2007年02月05日

オーケストラ経営

ワールドビジネスサテライトでオーケストラ経営の話をやってました。オーケストラ経営は補助金頼みでどこも苦しい。神奈川フィルではプログラム冊子のサイズを小さくして輸送費を削減。圧巻は広島交響楽団で、広島カープとコラボレーションしたTシャツや、モーツァルトとカープの応援歌をカップリングしたCDを制作したりと、意表を突いた地域密着ぶりで黒字経営。年間250公演を行なう予定の株式会社楽団の話など、非常に興味深かった。

まぁしかし文化的なことは日本にはなかなか根付かないのかね。いろいろ漠然と思うところはあるけれど、なかなかまとまらない。またいろいろ考えて書いていけたら楽しいだろうなぁとは思うけど。

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2007年01月18日

ガスパール・カサドのこと

年末にガスパール・カサドの無伴奏チェロ組曲の楽譜を買ったので、せっかくだからちょっとさらっているところ。わかりやすい第2と第3楽章から。この曲は一応バッハの組曲に影響を受けて書いたということになっているらしいけど、曲自体は全然そんな雰囲気はなくて、スペインの人なのでそういうエスパニックな雰囲気になっているのが親しみやすい。全曲通しても15分くらいの短い曲だし、チェリストの書いた曲なので難しいけど弾けないことはなさそう。

本人が弾いた録音がないのかと思ってネットで探してたんだけど、どうもないらしい。結構録音残ってる人なのにね。まぁでもこの人はシューベルトのアルペジョーネ・ソナタをオーケストラ伴奏にしてしまったり(恐れ多くもメンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ管に伴奏させて弾いてる録音もある)、バッハの無伴奏の録音では変ホ長調の第4番をヘ長調にしてとてつもなく明るく輝かしくしてしまったり、結構やりたい放題の感はあるけどかなり面白い。ちなみにウェブサイトもある。

というわけでうちでかき集めたCDは4種類。シュタルケルは速すぎ、ブルネロはいろいろこねくり回しすぎ。NAXOSの看板チェリスト、マリア・クリーゲルはとても上手くて第1楽章はあまりに素晴らしいけど、残りの2つの楽章がなんかこねくり回しすぎの感がして僕は馴染めない。楽譜と違ってピッチカートで弾いている箇所も多くて、今までは気にしなかったけどなまじっか楽譜を知ってしまうと違和感が大有り。うちにあるのはUniversal Editionのだけど、他の出版社からも出てるのだろうか。そして全曲通して一番堂に入ってるのは借り物のCDだけど、林峰男氏。この人特有の非常に太くて力強い音がこれでもかと炸裂。

その峰男氏が審査員を務めたという「ガスパール・カサド国際チェロコンクールin八王子」、出場者の演奏がホームページで見れた(!)んだけど、いつの間にか見れなくなっていました。残念。見たときの感想は、今のネットはすごいなぁというのと、日本人と他の国の人たちとではあまりにレベルが違うなぁということ。あれでは確かに、とても最後までは残れない。BSでも放送されてたらしいけど、それを見たらしい知人のおばさんは全然素人なのに「あの韓国の丸い女の子、すごい上手だった。日本の子はだめだわ、全然レベルが違うもん」と言っていた。今や国際コンクールで優秀な成績を収めることができるのは石坂団十郎氏のみか。

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2007年01月07日

Vivaceは速いのか

新年早々ですが、名古屋市立大学オーケストラの演奏会が昨日終わりました。ドヴォルザークの交響曲第4番とか、フンパーディングという作曲家とか、その人の「ヘンゼルとグレーテル」というオペラとか、今まで全然知らなかったものをいろいろ知ることができて、なかなかよかった。そして学生さん達の中に入ってもまだまだ十分やっていけるエネルギッシュな自分を知ることができたのもよかった。

そしてスメタナの「わが祖国」の終曲「ブラニーク」の最後の最後の部分では、16分音符で書いてある箇所を8分音符で弾くように指示があったのに、D肥先生に「あれ、先生そこは16分音符で弾くんですよ」「先生なら大丈夫ですよ」とか言って、今にして思うと我ながらひどいからかいようだなぁと恐縮しきり。しかし今回自分の中で引っかかっていた部分はまさにここでありまして。

この最後の部分の楽譜上の指示はVivaceになっていて、慣例的にはクライマックスということでテンポを上げて高揚感を高めるわけですが、それだとチェロの417小節目から、バイオリンだとその数小節前からの16分音符はほぼ演奏不可能で、弾いたとしても音が痩せてしまうし、しっかり鳴らすためもあって慣例的に8分音符で弾いているのだと思う。しかし、あくまで楽譜上は16分音符、スメタナ自身も16分音符で書いているのだと思う。

というわけで、今度はVivaceという指示について考えてみるんだけど、そういえば昔読んだことがあるなぁと思い出して、アカデミア・ミュージックから出ているアーノンクール著「音楽は対話である」を何年ぶりかで引っ張り出してきた。この中のモーツァルトについての記事で、時代が違うかもしれないけれど面白いのでここに引用すると、Allegro vivaceの項で、「ヴィヴァーチェと表示された楽曲における小さな音価の音型は、生き生きとした活発な表現に相応しい。そのためこの細かい音型は、細部に活気を与えるためにあまり速く演奏されてはならない。....」と書かれていて、Allegro vivaceは単なるAllegroよりもゆっくりで、Allegrettoと同じくらいのテンポになるようで。つまりVivaceは活発な雰囲気で、でもテンポはむしろ落ち着いた感じで、ということかと思う。

そして最後に当日のプログラムから、スメタナ自身が残したこの曲の解説文には「....フス教徒の歌の中には幸福と栄光、開放にあふれたチェコ王国の復活があり、この勝利の行進曲で曲は結ばれる。」とあるそうで。最後の部分が行進曲であるならば、慣例的な速いテンポでは行進曲じゃなくて徒競走って感じになってしまうので、むしろゆっくりなテンポで、中日ドラゴンズの優勝パレードとか、ああいうゆっくりと胸を張って沿道の人々の喝采を受けるような雰囲気の方が理にかなっている気がする。

というわけで、考えれば考えるほど慣例的な速いテンポで高揚感を高めるやり方よりもゆっくりなテンポで堂々と曲を終える方が正しいような気がしてくる。実際、昨年末に相次いで来日し話題を呼んだアーノンクールとノリントンの、曲を洗い直して新鮮な視点で演奏する二人は、この部分はゆったりとしたテンポで演奏している。民族自立の運動が盛んだった時代に作曲され、よりにもよって「わが祖国」などという大仰な標題を付けられた、全6曲を演奏すれば1時間になるという大曲のクライマックスを、速いテンポでちゃっちゃかちゃっちゃかと駆け抜けてしまうのはいかにも味気ない、堂々と大手を振って勝利の行進をしてもらいたいと思う。


ちなみにアーノンクールは417小節目の、「高い城」のモチーフが出てくるところでさらにテンポを一段落としている。どこかにそういう資料があるのか、曲が循環していることを強調するための指揮者の個人的な解釈なのか、まぁともかく天下のウィーン・フィルを納得させて演奏させているのだから、それなりの理由があるのかと。

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2007年01月01日

あけましておめでとうございます

最近よく思うのは、同じ情報があっても受け取る人によって全然反応が違うってことで、例えばそこに同じ楽譜があっても、面白いなぁと思わせる演奏をする人もいれば、全然つまらない演奏をする人もいる。それじゃその違いは何によるのかと考えてみると、その人の引き出しの多い少ないによるような気がする。それじゃどうやって引き出しの数を多くしたらいいのかと考えてみると、どれだけいろいろなものを自分の中にインプットして消化するかってことによっているような気がする。

「国家の品格」の中の英語の話で、最近の若い人はなまじっか英語を話せるから中身のないことをベラベラとしゃべってしまって、それで外国の人に日本人は中身がないと思われている、みたいな話があった。まぁこのホームページとか我々の演奏なんてのもまさに典型的な例だよね。というわけで、自分で発信する前にそれよりはるかに多くのことを受信して消化しないといけないなぁと思う今日この頃。そんな感じで今年一年やっていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

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2006年12月23日

練習も難しい

先週と今日と、名市大オケの練習に行ってきた。今日は本番の指揮者の人が来るというので練習にくる人数も多かったけど、そのせいでだいぶばらける印象だった。指揮者はとても若い人で僕は初めてだったんだけど、丁寧にやってくれてとてもいいじゃないですか。

チェロのエチュードはまぁいろいろあって、左手のポジションの練習ならフィヤールの8番とか、重音ならコスマンとかシュタルケルとか、あとはまぁドッツァーをひたすら順番にやっていくとか、デュポールとか、まぁそんな感じだけど、プロになるんならともかくアマチュアなら上手くなってもそういいことはないし、エチュードをやって楽器を弾くこと自体が嫌になるよりは、好きなコンチェルトとかソナタとか、今目の前にある曲を暗譜で弾けるようにしっかりさらうとか、その方がいいと思う。実際今日のスメタナのブラニークだって、指揮者は立場上難しい言葉であーだこーだいうけど、楽器を弾く方の立場からすれば、単に右手も左手もメカニックに動かないからテンポがあっちにふらふらこっちにふらふらしているだけで、これは音楽ではなくて大道芸の一種だと開き直ってメトロノームと首っ引きになって指がメカニックに動くように練習すれば、弾いてる本人は欲求不満でも聴いてる人には必要十分な演奏だという印象を与えることができる。

というわけで、今そこにある曲を丁寧に粛々とさらっていくのがいいのではなかろうか。


....とは言うものの、それではたまに出てくるハイポジションとか右手の妙なテクニックとかを練習する機会がほとんど得られないので、そのためにエチュードは必要だという認識も僕の中にあって、まぁそんな感じで、いろいろやったりやらなかったりしながら、遠回りでも自分で考えて進んだり止まったり戻ったりするのも、人生そんなでも楽しいかなと思う今日この頃。

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2006年12月11日

アーノンクール&VPのモーツァルト

書こうと思ってだいぶ日が経ってしまったアーノンクール&ウィーン・フィルのモーツァルト39番から41番ですが、飽きもせずに何回か見てまだまだ見足りないなぁと思う今日この頃。最初に見た時はあれいまいち消化不良な演奏かなとも思ったけど、何回か見てわかってきたというか。自分がもともと1度では理解できないでCD聴くのとか本読むのとかでも何回か聴いたり読んだりしないと身体に入ってこない体質だからってのもあるけど。

アーノンクールはモーツァルトの最後の3曲の交響曲は3曲セットとみなしてるとかいう話をどこかで読んだことがあるのだけれど、まぁ確かに39番は前座、40番のフィナーレから41番の最初の楽章辺りに緊張感のピークがあって、最後は賑々しく幕を閉じる、といった感じ。この40番はすごい。モーツァルトは美しいメロディのイージーリスニング風に料理されることがほとんどだけど、アーノンクールはモーツァルトを深く思索する哲学者に仕立て上げてしまった。

あとテヌート・スタッカートを多用してるなぁという印象。テヌート・スタッカートってテヌートとスタッカートのあいのこで、音をしっかり伸ばしつつ音と音の間をあけるんだけど、これを品良く弾くのはとても難しくて。普通のスタッカートは飛ばすだけでいいし、テヌートで伸ばすならベタベタと弾くだけでいいんだけど。残念ながら飛ばすか伸ばすかのデジタル的二者択一が横行、その間に無数の段階があるのにね。ウィーン・フィルはさすがにうますぎる。こういうマニアックな重箱の隅をつつくかのような部分が演奏全体に大きく影響してくるんだなぁ。


全然関係ないけど、スメタナのわが祖国のヴラニークっていう最後の曲を聴こうと思ってうち中のCDをかき集めてきた。とりあえず送ってもらった演奏者不明のやつと、ノイマン&チェコ・フィル、ノリントン&ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ、アーノンクール&ウィーン・フィル、レヴァイン&ウィーン・フィル。僕のじゃないのもあるけど、まー結構あるなぁ、これだけあれば充分やろ。だいたいスメタナのわが祖国って、モルダウと何年か前に弾いた高い城しか知らないんだよね、これだけCD持ってる割には。聴いてみると全部が全部かなり違ってスタンダードがまるで見えてこない。それも面白いけど。

と、聴いてるだけなら楽しいのに、それを自分がさらわないといけないとなると、また弾けるようになるまでが気分が重いね。

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2006年12月09日

ドヴォルザークの4番

先週行きつけの喫茶店に行った時に、「今度ドヴォルザークの4番なんて弾かないといけなくて。誰も知らない曲なのに」という話をしていたら、すぐにCDを出してくるマスター。ドヴォルザークの交響曲第4番がリクエストするとすぐにかかるジャズ喫茶って。

まぁしかしなんだかんだ言って、楽譜と一緒に送ってもらった演奏者不明のやつと、行きつけの喫茶店で聴いたオトマール・スィトナー指揮のと、うちにあった昔ダビングしたクーベリック指揮ベルリン・フィルのと、3種類聴けた。やっぱりクーベリックのがベルリン・フィルなだけあって一番ゴージャスな音で奏でてるけど、第3楽章のスケルツォはこの時代の人はこういう雰囲気の楽章も遅く重厚なテンポでやるけど、これじゃ全然スケルツォじゃないと思う。しかし実際問題これより速くなると演奏するのが大変。第4楽章のチェロパートにはとても演奏できるとは思えない箇所が出てくる。こういうメカニックなの一番苦手なんだよなぁ。でも同じモチーフを何度も何度も繰り返すのは結構好き。マイケル・ナイマンのピアノ・レッスンの音楽を思い出す。

曲としてはいい曲だと思うけど、演奏が難しくて、ほんの少し冗長。その辺が7~9番との知名度の違いかもしれないと思った。

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2006年12月02日

井上頼豊門下生による12人のチェロアンサンブル

今日はH岡先生に教えてもらった「井上頼豊門下生による12人のチェロアンサンブル」演奏会を聴きに四日市まで行ってきた。四日市の文化会館へ行くのはもう何年ぶりだろうか、10年くらい経ってるかもしれない。昔はチェロのお手伝いでよく行ったなぁ。

今日の演奏会は行くまで誰が出て何の曲をやるのかもよく知らずに行ったんだけど、行ってみてびっくり、かなりの充実ぶりで、今の日本のチェロ界の最先端が体験できたと言ってもいいくらい。鈴木秀美氏の長い話とガブリエリ&バッハから始まり、古川展生氏のコダーイ無伴奏第1楽章、その古川氏と山本裕康氏、小川剛一郎氏のトリオで井上鑑氏(頼豊氏の長男)のIn The Cloud、長谷川陽子氏を中心とした女性4人でのフィッツェンハーゲンのワルツ、そして後半に12人のアンサンブルで、バッハのシャコンヌ、クレンゲルの讃歌、カザルスのサルダーナ、ジョン・レノンのイマジン、そしてアンコールは鳥の歌。

とりとめもなく書いていくと、ガブリエリのリチェルカーレはあまり面白くない曲という印象しかなかったんだけど秀美さんの話はとても楽しく、バッハの組曲5番と同じ変則調弦を用いているのも興味深かった。演奏し慣れてる感じでしっかり手の内に入ってる感じで、素晴らしい演奏だった。古川氏のコダーイは若々しく、難しいパッセージの箇所も勢いで乗り切ってしまったが、好みだけど僕はどうもナンパな感じの芸風が好きになれなかった。この曲に関しては禁欲的なシュタルケルのイメージが強すぎるからかもしれない。トリオは三者三様、若い古川氏にいぶし銀の山本氏に独特のキャラで攻撃する小川氏。音質は圧倒的に山本氏が広がりのあるいい音だった。長谷川陽子氏は生で聴くのは初めてだったんだけど、正直がっかり。あの細い腕では楽器を鳴らすのは難しいのか。スタッカートは弦に叩きつけるだけでなく、きちんと弾いて音を出すことも重要だと再認識した。アンサンブルはこれだけのメンバーなら悪いわけないんだけど、12人12様、地に足をつけた安定した演奏だった。

チケットは売り切れとかで開場前に着くくらいに行ったんだけど、それでもすごく並んでいた。自由席だったのでいい席に座れてよかった。そして我々よりもかなり前の方にM口君の会社の社長夫妻がいらっしゃった。次回の20周年記念演奏会ではまた楽しみな曲を弾かせていただけるようで、社長も「楽譜はまだだけど作曲者に許可はいただきましたので、ドラゴンクエストでねお世話になってるんですよ」とか何とかおっしゃっていた。難しいドヴォルザークの弦楽セレナードをまた弾かないといけないのは大変だけど、でも楽しみの方が圧倒的に勝っている今日この頃。楽譜は早めにお願いします。

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2006年11月28日

弦楽器フェア

あらあらまた日があいてしまいましたが、ほぼ1ヶ月経とうとしている弦楽器フェアへ行った時の話をいよいよ書きましょう。

行った目的は2つあって、夏前にチェロ(チェロピッコロだったかしら)を出品するからという話を聞いていて楽しみにしていたら残念ながらまだ完成しなかったということで、まぁそれは残念だけど仕方ないんで別の機会でも全然問題ないので。

もう1つの目的が弓で、いやぁついに現物を試しました、カーボン弓の最高峰ARCUS。いや、これはマジでいいです、今まで試したカーボン弓とは次元が違います。Sonata、Concerto、Cadenzaなどいくつかのランクがあって値段も結構違うんだけど、柔らかい、悪く言うともたっとした感じから、値段が高くなるにつれてパリパリ感が増す感じ。僕はパリッと音が立つ感じが好きなので一番高いCadenzaがいいなぁと思ったけど、まぁその辺は好みでしょう。ほんとは自分が普段使っている楽器で試し弾きできれば普段使っている木の弓との違いもよくわかったんだろうけど、まぁしかし、アマチュアが使う分には、よくわからないオールドの弓で変なのをつかまされるリスクも考えると、ARCUSで十分すぎるのではなかろうかと。

まぁそれでも高いけど。

その他、日本人の製作者の方々の楽器もいくつか弾かせてもらって、どれも素晴らしい楽器なので、どこぞの楽器商が出品していたビソロッティ550万円を買わなくても日本人の楽器を買って美しい国を実感して愛国心を養えばいいじゃないかと思ったり、フィリップ・クイケンさんの自作のチェロよりもお父さまが昔使っていたというとても大きくて古いベルギー製のチェロに心を惹かれたり、前の日から出張で東京に来ていたマリナーズのイチローと佐々木を足したような名前のお方とまた飲みに行く約束をしたり(その飲み会は一昨日でした)と、なかなか面白い一日だった。

さらに、帰りの新幹線に乗るべく並んでいたら、僕の後ろに並んでたおじさんがウィーン・フィル演奏会のプログラムを読んでいた。おおっ!もう来日していたのか!というわけでついつい話しかけてしまった。来日公演初日でブルックナーの5番だったんだって。いいなぁチケット取れなかったんだよなぁ。その人はキャンセル待ちしてて回ってきたそうで、そんなワザが使えたんだなぁ。その人はブルックナーが好きでチェリビダッケをよく聴くそうだけど、クセの強い演奏だったと言っていた。

いや、クセが強いの一言で片付けて欲しくないのだが...。

曲は違うけど一昨日テレビで放送されていた。録画したのをちょっとづつ見ているので、次回はその話でも。


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2006年11月15日

南山大学管弦楽団の演奏会

ちょっと間が開いてしまいましたが、月曜日に南山大学管弦楽団の演奏会を聴きに行ってきました。ここのところ何回か続けて聴いてるんだけど、学生のオーケストラはストイックなので中で弾くのは大変だけど、本番を聴く分には一生懸命だし変なおごりもないし、楽しく聴ける。社会人になってちょっとわかってくるとむしろ、偉大な作曲家の崇高な作品に二流の芸を上塗りして台無しにするパターンが大半なので。

昨日の指揮者は武藤英明氏。かつて名大のオーケストラを初めて振った時にうちの父親ですら「名大は凄い人を呼んでくるんだなぁ」と感嘆していたが、この辺のアマチュアを振ってくれる指揮者の中ではダントツだと僕は思う。そしてこの日も、オケは今までとなんら変わらないんだけど、完成度は圧倒的だったなぁ。同じオケでここまで違うか。この人は指揮ぶり自体はただただ機械的に振ってるだけなのになぁ。何年か前にこの人の指揮で弾いたこともあるけど、その時よりも良くなっている気もした。

楽譜にないアクセントをつけさせたりとかするのは一つ前の世代みたいで好きではないんだけど、演奏全体の完成度は素晴らしかった。こういうのがほんとにプロと呼ぶべきものだと思う。

その前の週に東京へ行った話がのびのびになっちゃってるけど、また後日(きっと)。

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2006年11月05日

ノリントン&N響

今日は昼間にFMでN響の演奏会の生放送があったので、聴いてました。かなり注目な、ロジャー・ノリントンの指揮。ノリントンはシュトゥットガルト放響と初めて日本に来た時に聴きに行って、モダン楽器のオーケストラに徹底したノンビブラート奏法を叩き込んでてかなり衝撃的だったんだけど、あのN響がどうなるのかと思いきや、モーツァルトの「後宮からの誘拐」序曲冒頭のバイオリンが早速ノンビブラートの、ノリントンがよく言う「ピュアトーン」を実現していて、おおっN響やるぢゃないかと感嘆を誘った。しかしだんだんビブラートかかり始めたような気がしたのは、気のせいということにしておこう。

そして2曲目が一番注目な、エルガーのチェロ協奏曲。チェロは何と言っても若手で一押しの石坂団十郎氏。普通の名演を期待していたのだが、演奏が始まってびっくり。

なんと!ソリストまでビブラート無しですか!

エルガーなんて割と新しい作曲家なのに、そこまでやりますかって感じ。それにこのソリストほんとに徹底してて、ほんとに最後まで極力ビブラートかけずにいっちゃった。初めて石坂氏の演奏を聴く人が、これがこの人の音なんだと誤解しちゃいかねない。しかしエルガーでノンビブラートなんて、ハイドンやそれ以前のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハならまだしも、シューマンでもサン・サーンスでもラロでも、ドヴォルザークのコンチェルトでもビブラートかけずに弾けってことですか!

というわけで今、エルガー指揮によるベアトリス・ハリスンの録音とか、その同時代のイギリスの名手ヘンリー・スクワイヤーの録音を聴き返しているところ。確かに今の一般的な感覚よりはビブラートが少ないような感はあるけど、今日の石坂氏の演奏はそれ以上に徹底していた。ノリントンによるとビブラートが広く使われ始めたのは1930年代に入ってから、確かフリッツ・クライスラーがその先駆け的な存在だったとどこかで読んだような覚えがある。ビブラートをかけない時代のウィーン・フィルの最後期の録音として有名なブルーノ・ワルター指揮のマーラー9番は、1938年の録音。そしてエルガーの協奏曲が作曲されたのは1919年。うーむ。

余談だけど、第2楽章のちょっとしたテンポの揺らしなどエルガー指揮の演奏に似ていたような気がする。参考にしている可能性ありかと。

まぁそれにしても、ビブラートって結構音程をごまかすことができて演奏する時には便利な代物でもあるんだよね。石坂氏はビブラートなしでパーフェクトな音程を実現していた。名手。アンコールのペンデレツキも秀逸。

メインのモーツァルト39番は最初のうちは聴いてたけど途中から何かやりながらのついでに聴くくらいになってしまった。

本当は生で聴けたらよかったんだろうけど、僕が気がついたときにはもうチケット売り切れだったんだよね。FMの放送があってよかった。そしてこの演奏会に先駆けて東京へ行ってきた話はまた近いうちに。

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2006年10月23日

気楽な稼業

昨日はアンサンブル名古屋の演奏会、サブのステマネをやってきた。これだけきちんと裏方をやるのは何年ぶりだろうかなぁ。楽器弾くよりもこの方が僕には合ってるかもなぁ。ステマネ、それもメインではなくてサブのステマネでなくてはならない。経験豊かなメインのステマネさんともう一人のステマネさんにおんぶにだっこ、言われた通りに動くだけ。気楽な稼業やなぁ。ドア開けて「は~い、いってらっしゃ~い」って送り出すだけで。楽しかった、僕には絶対にこっちの方があってる。

曲は3曲で、合唱が入ってミサ曲ハ長調と合唱幻想曲、その間に田園。合唱団はドイツ人が半分だったんで全然コミュニケートできなんだなぁ。まちょっと英語勉強しとかんとなぁ。そして合唱の入る曲はよくわからないけど、田園は、手堅くまとめてるんだけど、やっぱりこうパンチがないんだよなぁ。メリハリがない。もっと強いところは強く、弱いところは弱く弾いてほしいなぁ。

全然関係ないけど、田園はアーノンクール&ウィーン・フィルで生で聴いたんだよなぁ。あの時はかなり眠かったけど、今思うとすごい演奏だったなぁ。第4楽章の冒頭の静かな部分で、2ndVnの不安定な音型に震えるような1stVnがからみ、本当に嵐の前の不気味な静けさを感じさせたり、はっきり聴こえる低弦の動きが地獄の底から湧き上がるようだったり、すごかった。ヨーロッパ室内管とのCDとか、昔LDで出てた映像が最近DVDでも発売されたようだけど、そんなのもう生ぬるくて聴いていられへん。

そのちょっと前には、大垣の奥の方まで、ビオラとコントラバスとピアノの演奏会とプチパーティに行ってきた。有名人がたくさんいて、僕の後ろの席にはやしきたかじんのくりそつさんがいて、あと大山のぶ代とかダニー・ケイがいた。プチパーティはプチという割にはたくさんの料理が出てとても豪勢なパーティだった。ダニー・ケイと話をしてた後にやしきたかじんが寄ってきて「カッコいいねぇ、英語わかるんだねぇ、うひゃーカッコいい」って言われたけど、その前にダニー・ケイの美人の娘さんにバイオリンはいつからやっているのと聞こうと思って「Do you... いや How long have you えーと」ってどもりまくってたら、「は?いつからってこと?」と日本語で返されたことは、たかじんには内緒にしてある。

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2006年10月07日

日本のオーケストラ

相変わらずタイムリーじゃないこのページ、先週日曜日の中日新聞サンデー版大図解は「日本のオーケストラ」。「のだめカンタービレ」のドラマ化、それに芸術の秋を前にして、日本のクラシック界を支えるプロオーケストラの現状についてまとめたそうです。音楽評論家の方が書いてるけど、まぁだいたい評論家ってのが書くことは胡散臭いんだけど、それでも、日本のオーケストラの水準は極めて高くなっているというのは本当だと思う。例としてデプリースト指揮東京都響のプロコフィエフ「イワン雷帝」で、珍しい作品の素晴らしい演奏に出会ったと書いている。確かに都響が(ひいき目に見てしまう部分を差し引いても)素晴らしい演奏をするのは知っているのでさもありなんと思うんだけど、日本のオーケストラがすべてそうかと言われれば、いやそりゃ違うんじゃないの、と感じざるをえないわけで。水準が極めて高くなっているというのは技術の話であって、感覚としてどう感じるかはまた別の問題だし。

それより家族全員からケチ呼ばわりされる僕的には団員の年収が気になるところ。おおむね400万~600万で一般社会から見ても妥当な水準かなと思うけど、彼らはその他にいくらでもバイト演奏とか生徒教えたりとかの副業ができるんで、かなり生活レベル高いんだろうな、まさに今はやりの勝ち組というわけで。しかし、N響なんて団員平均年収993万円ですよ、これはどういうことなんだろうね。それだけハードワークなのか、でも本書いたりしてさらに儲けてる人もいるからね。まぁ何かあったときの和解金も必要だろうから、これくらいもらってしかるべきだ、って思っているのかも。名フィルも677万円かぁ、まぁ頼むから給料に見合った仕事をしてくださいよって感じです。

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2006年09月25日

手段と目的

土曜日は八事の喫茶店で、川田知子さんとベルンハルト・直樹・ヘーデンボルクさんのヴァイオリンとチェロのデュオ。バッハ、コダーイ、ロンベルク、ヘンデルの曲をヘーデンボルクさんの解説とともに。どれもこれも間近で素晴らしい演奏を聴くことができ、すごい迫力で贅沢な時間を堪能した。ヘーデンボルクさんはとても若いのにとても上手で、テクニックも確実で基本がしっかりしていてぶれない感じ。ロンベルクの曲ってとてもテクニカルで今までできるだけ避けてきたんだけど、弾く人が弾けば弾けるんだなぁ。

しかし、芸大生とかこの辺の一応プロを名乗っている人とか、全然聴きに来ないのね。どこでなにしてるんだろ。

日曜日は六番町の喫茶店で、真空管アンプの視聴会を覗いてみた。いい年のおじさんたちがなんやかやと言いながらアンプつなぎかえたりニヤニヤしながら真空管を眺めていたりするのを見ると、面白い趣味もあるんだなぁと妙に楽しい。そしてマスターに教えてもらってYouTubeとかパンドラの箱(URLがわからない)とか、今やネットで好きな音楽とか映像を見ることができて、便利かもしれないけど音楽自体がなんか軽くなってしまったような感じ。

というか、音楽っていうのはいったい何?「音楽を楽しみましょう!」とか「演奏技術よりも音楽の方が大切なのだ!」とかしたり顔で言ってても、じゃその音楽ってのはいったい何なんだろ。間近で上手な人の演奏を聴いて、難しいパッセージが流れるように歌うように演奏されるのに感動したり、ひそやかなppから迫力あるffまで雄弁な表現に感動したりしたところで、それは音楽に感動しているのか、演奏技術に感動しているのかわからない。綺麗なメロディやハーモニーに感動したとしても、実はそれを作った人の作曲技術に感動しているのかもしれない。アンプやスピーカーをいろいろ試して最高のシステムを作り上げても、音には感動するけど音楽はまた別。

というか、音楽好きな人は僕もだけど音楽が目的のような言い方をするけど、本当はむしろ音楽は単なる手段でしかないような気がする。音楽を手段にして、自分の退屈な時間を埋める。音楽を手段にして、がんばった自分を見てもらう。音楽を手段にして、がんばった自分に酔いしれる。音楽を手段にして、仲間を作って自分の存在を確認する。音楽を手段にして、友人や彼氏や彼女を作る。作曲技術や演奏技術の達者な人は、音楽を手段にして自分の技術を誇示する。音楽で生計を立てている人は、音楽を手段にしてお金を稼ぐ。

まぁ結局音楽は何か別の目的のための手段でしかないわけで、音楽じゃなくてもスポーツとか競馬とか麻雀とかでもいいわけで。

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2006年09月10日

名市大OBオケの本番

名市大OBオケの本番が終わりました。巨匠はいつも通り本番直前まで入念なリハーサルを行ない、本番前にすでに一仕事終えた気分でした。そしてブルックナーの交響曲は長い。特に7番は第1楽章でチェロの出番が多いのでついつい力が入ってしまい、第2楽章ですでにグロッキー状態。しかしスケルツォな第3楽章でバイオリンの音量が落ちているのを聴くと、ついつい「今が奴らをやっつけるチャンスだ!」と思ってさらに力が入ってしまう。家に帰ってきて冷静な気分になると、何をどうやっつけるのかはなはだ謎だが。第4楽章ではとなりで弾いていたビオラのおじちゃんに触発されて、力任せのトレモロ。弓の正しい持ち方などあったものではなく、げんこつで握り締めてひたすら弾きまくる、気分はショスタコのコンチェルトを弾くロストロポーヴィチ。

しかし今日は演奏以外にもいろいろあってそっちの方が疲れた。

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2006年09月04日

名市大OBオーケストラの練習へ

この土日は、名市大OBオーケストラの練習へ行ってきた。ブラームスの悲劇的序曲、リムスキー・コルサコフのスペイン奇想曲、ブルックナーの交響曲第7番、の3曲。このうち僕が今までに弾いたことがあるのは悲劇的序曲だけだけど、ふと楽譜を見ると今まで音を間違えて弾いていた箇所に気がついた。あちゃー、気付かずに何回も本番やっちゃったよ。

ま、よくあることではあるが。

難しいことを言う人は、ベートーヴェンはこうでなくてはならない、ブラームスはこうでなくてはならない、とかなんとか言うけど、本当にそうなのだろうか。楽譜をきちんと音にできれば、自然とその作曲家の響きになるはずで、きちんと音にすることをほかっといて講釈ばかりたれる人にはいつも閉口します。その点巨匠は、ブラームスだろうがリムスキー・コルサコフだろうがブルックナーだろうが、チャイコフスキーだろうがシベリウスだろうがリヒャルトだろうがマーラーだろうが、虚飾を廃した一貫したアプローチ。そしてひたすら通して弾かせる。何回も言っていることだけど、アマチュアに対してこのやり方はまったく正しい。演奏会を開いて人に聴いてもらうことが目的の場合、技術の足りない我々アマチュアに必要なのは講釈ではなくて反復練習。

でも昨日はさすがに反復しんどくて閉口したけど。

スペイン奇想曲のコールアングレのソロはとても味があっていいと思っていたのだが、練習中に「私こんな風に吹いちゃっていいのでしょうか」って、もっと自信を持ってくださいよ。巨匠も「いや合わせますから」って、巨匠に合わせますと言わしめるとは、まさに大物。

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2006年08月20日

なんちゃってバロックチェロのデビューとクレンゲルetc.

18日のチェロ二重奏は、マルチェロのソナタ、バッハのブーレ、クレンゲルの組曲からアリオーソとフゲッタ、そしてアンコール2曲。マルチェロのソナタはチェロを弾く人の間では結構有名な曲だと思うんだけど、僕は弾くのも聴くのも初めて。通奏低音のパートを受け持ったんだけど、スチール弦を張ったモダン仕様の楽器にバロック弓という、バロック専門の人には邪道だと言われかねない組み合わせだけど、事前のリハーサルでモダン弓と両方弾いてみて、バロック弓で弾いた方が出したい音が出しやすかったので。H岡先生も「その方がバロックの雰囲気が出ている」と太鼓判。弓が違うだけでもそれなりに音が違ってくるというのは新鮮な発見だった。

2曲目のバッハの無伴奏チェロ組曲第3番のブーレは、なんと私のソロ。人前で一人でバッハを弾くのはかなり久しぶりだな。今回は冗長なプレトークのあと、ガット弦を張ったなんちゃってバロック仕様のチェロとD.Badiarov氏制作のバロック弓がうなりをあげ、アンナ・マグダレーナ・バッハの筆写譜を参考にしたアーティキュレーションが炸裂。なんちゃってバロックチェロはこれが記念すべきデビューコンサートであった。

メインはクレンゲルの組曲からアリオーソとフゲッタ。重音の多い難曲だった。有名なチェリストの作曲というだけあって、チェロの演奏技術の可能性を追求してはいるが、曲的にはいまいちの感は拭い切れず。アリオーソは繰り返しを省略して間をもたせ、フゲッタは僕のトークと同じくらいの冗長さ。どれも悪い曲ではないんだけどどうも単一的というか広がりがないんだよね、もちろん演奏のせいかもしれないけど。まぁしかし、こういう知られざる曲というのは自分たちで楽譜から音にしないといつまでたっても聴くことができないし、また一つ新しい曲を知ることができたのはとても楽しい経験だったかなと。

アンコールは、聴き手の予想をはるかに上回って疾走するウェブスターのスケルツォで固定観念を粉々に打ち砕き、パーセルのリゴードンでどっしりと落ち着いて幕を閉じる。自分で弾いててなにげに楽しかった。聴いてる方もよく知っている曲だからか、受けもよかったようで何より。

それにしてもチェロは普通に1本でも持ち運びが不便なのに、チェロ2本に弓3本持ってって、どんどん自分で自分の人生を面倒くさくしている感あり。演奏以前に移動にも苦労していることに違和感を感じる今日この頃。

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2006年07月19日

奏法改造

楽器を弾くことは身体に悪いことで、肩やら腕やら指やらを壊す人も多い。まぁ僕のようなアマチュアなら体が何ともならなくなったらやめちゃえばいいだけなんだけど、これがプロだと生活がかかってくるわけだし、特にハードワークなオーケストラ奏者だったりするととても大変。整体行ったりエクササイズしたりは必須なんだと思う。

チェロに関しては、何年か前に「身体にやさしいチェロ奏法」(だったかな?)なんて本も出て、日本語版を購入してしっかり読みました。それだけ需要もあるってことなんだろうけど。僕も例に漏れず、もうかなり昔から右肩というか背中に故障持ち。学生の頃は演奏会の時に背中にでかい湿布を貼っていてU井くんにあきれられていたことがあったっけ。その後いろいろ試して革新的に良かったのはロイヒつぼ膏ファイテンのネックレスやリストバンドやローションも劇的だった。今でもしっかり使用してるんだけど、さすがに何年も同じことやってると今までは何ともなく我慢してた軽い痛みでも楽器弾くのが嫌になってしまうようになって、まぁ完全にやめちゃうのも手なんだけど、とりあえず最後の悪あがきでもしてみようかと、痛みの出ない弾き方を自分なりに模索しているところ。こないだまで1ヶ月半くらい楽器を弾かなかったおかげで楽器の弾き方をちょっと忘れている今が弾き方を変えるチャンス。

でも楽な弾き方が一概にいいとは言えない。先日生で見たN響の藤森さん、あの弾き方は明らかに何かしら身体を壊した結果行き着いたリラックスした奏法だと僕には見えたんだけど、そういう楽な奏法だと演奏自体も楽な、軽くて訴えるもののない演奏になってしまう危険があるわけで。自分の楽しみで弾いてるだけならそれでも構わないのかもしれないけど、僕は嫌だな、それだったらやめちゃった方がいい。僕には楽しみで弾くという感覚はあまりないからなぁ、あまりに下手な自分の演奏と向き合うよりはお気に入りのプロの人のCD聴いたりDVD見たりしてた方がよっぽど楽しい、自分は苦労せずに苦労した人の名人芸のおすそ分けを頂けるわけだから、ストイコビッチやジダンのプレーを見てあまりの華麗さにため息をつく、あの感覚。

まぁそれはともかく、今のところは以前よりは長時間弾いても多少いいような気がする。単に最近導入されたファイテンのTシャツのせいかもしれないけど。

ジャン・ギアン・ケラスが弾いたドヴォルザークのチェロ協奏曲のCDを聴いているけど、力まない伸びやかな演奏が他のチェリストとは一線を画していて素晴らしい。この人はそう大柄でもないし細身だし、この人の弾き方は自分の参考になるのではないかと思っているところ。

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2006年07月13日

打ち合わせ

昨日はH岡先生と、8月のチェロ二重奏の綿密な打ち合わせ。と言いつつ無駄話に時間を費やし選曲はなし崩し的に。まぁ何でもいいでね、と相変わらず他人任せな自分。

というわけで、クレンゲルの組曲抜粋とモーツァルトのなんとかって曲。以前のヒンデミットのデュオのような掘り出し物はないなぁと思ったけど、今日クレンゲルを弾いてみたらまぁ結構面白いかなぁと。クレンゲルは有名なチェリストなので、楽器的に効果的に書いてある箇所もある。aの開放弦を鳴らしながらd線でポジションを行ったり来たりしてメロディを奏でたりとか。こういうのは効果としてとても楽しいんだけどすぐに弾けるわけではなく、要猛練習。生誕250年だからということで選んだモーツァルトはなんやつまらん曲だったので、ちょっと曲変えたほうがいいんぢゃないのかね。

と、何でもいいと言って他人任せに曲を決めてもらっておいて後で文句を言う。これ基本。

ここ1ヶ月半くらい、意識して楽器に触らないようにしていたので、リハビリ兼ねてちょっとずつさらおうかと思っているけど、リハビリにはちときついです。並行してブルックナーもさらっていこうかと思ってたけど、焦ってもすぐに弾けないものはすぐに弾けない。まぁ人生長いからのんびりやろうかなと。

無駄話の方が面白かった。野菜を食べなさいという話から始まり、引っ越しとかスズキの教則本とかチェロ・コングレスとか。ひたすら羅列すると、スズキの教則本は絶対に今の方がよくて、僕のようにあとで苦労することはないと思う。日本人とヨーロッパ人で根本的に弾き方が違う。日本人若手チェリストで将来を嘱望されているらしいY氏と、ハンガリーかどこかのバルダイ氏。見たことも聞いたこともないけど、バルダイはすごいらしい、バルダイ恐るべし。根本的に違うんだよね、音の出し方が。音が軽いというか、軽いんだけど重厚で、力強い。日本は割とジュリアード系というか、常に弓で弦に圧力をかけ続ける。まぁ好き好きなんだろうけど。そして最後はスクワイヤーの「ダンス・ラスティック」とマリーの「金婚式」。曲としてはあまりに似通ったサロン風ムード小品な2曲だけど、文句なしに「ダンス・ラスティック」に軍配が上がる。「金婚式」はどこがどう金婚式なのかさっぱりわからない。きっと「金婚式」が「ダンス・ラスティック」という名前だったら好きになっていると思うが。

まぁそんなとこで。

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2006年06月26日

耳が痛い

NHKに残されている貴重な映像がDVDで楽しめるシリーズがスタートしました。音楽評論家の黒田恭一さんという人がいて、ラジオやテレビの「20世紀の名演奏」という番組の司会をしている人ですが、その方が序文を書いています。非常に耳が痛い。引用します。

今、クラシック音楽界は、空前絶後の飽食の時代を迎えている。その結果、多くのききては、ファーストフードの店で食べ物を残して恥じることさえ知らない、躾の悪い子供さながらに、音楽を丁寧にきかなくなった。

非常に耳が痛い。ライナーノートの中で、ワルター・バリリもカラヤンとの世界ツアーがウィーン・フィルの輝かしい1ページになっている理由の1つに「東京の聴衆のような、いまだかつてないほど関心が高く、完璧な心構えのできている聴衆を前に演奏ができたから」と言っている。それが現代の我々はどうだろうか?音楽を聴くことも楽器を弾くことも、非常に軽いものになってしまった気がする。自分もわが身を省みて、聴き手になる時は作曲者や弾き手に失礼のないよう真剣に聴き、弾き手になる時は作曲者や聴き手に失礼のないよう最善を尽くし、間違っても演奏後の宴会のみが楽しみな人種に成り下がらないようにしなくてはならない。


それにしても楽しみなシリーズが始まりました。ムラヴィンスキーとジョージ・セルの来日公演は是非出してください。映像が残ってないとは言わせません。ほんとに、どうかよろしくお願いします。

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2006年05月28日

ちょっと悲しい

今日の本番、合唱合わせも無事におわり一段落。まぁ編曲がよかったので、あとは弾くだけだしって感じで。これでさらにのんびりできるかな。

全然関係ないけど、僕はナカタってかなり好きなんだよね。結構強引なパスを出したりするでしょ、FW必死に走りこんでも絶対追いつけないぞ、みたいな。でもそれが通ればすごいチャンスになるわけだし、実は世界標準ではそのパスがちゃんと通って実際チャンスになったりするわけで、それと同じことを日本代表とか五輪代表とかでやったりすると「自分勝手なプレーだ」なんて言う人も出てくるんだけど、僕は、ナカタはきっちり仕事をしているんだと思うし、ナカタが世界と戦うにはどうするかってのを身をもって教えていると思うわけ。FWの選手たちだってそれで特にナカタに文句を言うわけでもないしね(実は言ってたりして。まぁ話し合いくらいはあるだろうけど)。

で話は変わって、今日の本番というか本番前の練習でちょっと僕的にはかなり悲しいなぁと思うことがあって。ピッチカートで次の譜例のような伴奏をする箇所があって(音は適当)、
060528.jpg
こういう時にバイオリンの16分音符3つのピッチカートが遅くなったり速くなったりすると、拍の頭をはじく自分達チェロとしては正直苦しいわけですよ。遅くなったり速くなったりするのに合わせると全体の調子がめちゃめちゃになっちゃうし、きちんと同じテンポを守って弾くと縦が合わなくてめちゃめちゃになっちゃうし。だからチェロとしては「まぁそう不安定にならんときちんとテンポ守って弾いて」って言うわけだけど、「そこはチェロがリードしてくべき」と反論されるわけね、たいていの場合。

正直、なんで!?って感じで悲しいのね。テンポを守るかアンサンブルを守るかの板ばさみになっている自分達としては、それでリードしていけと言われても、だいたいリードしていったところでついてきてくれるのかよ、というのが本心。

こういう時に僕はナカタを思い出すわけですよ。別に僕が(残念ながら)世界標準というわけじゃなくて、こっちはこっちの仕事をきっちりやらせてもらいますから、ついてこれなくてもしらないよ、という悪い意味での開き直りというか。まぁしかし向こうにも開き直られてるんじゃ仕方ないよね。こういう時に非常に距離を感じますね、あぁここは僕のいるべき場所じゃないのかなぁって。

それとリハーサル終わってから本番までかなり時間があったのに、ずっと遊んでるばかりで、何故にその箇所をさらい直そうと思わないのだろうか。バイオリンで練習してたのは1人だけだったかな。ちょっと責任感なさすぎるんじゃないですかね。

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2006年05月22日

2005年のルツェルン音楽祭管弦楽団

昨日放送されてた、2005年のアバド指揮ルツェルン音楽祭管弦楽団で、ブルックナーの7番。ブルックナーは僕はよくわからないんだけど、こんなに明るく開放的に鳴るものなの?てかチェロ何人いるんだよ!8プルトもおるぞ。最前列にほぼ4人並んでいる。1楽章で度々現れるチェロやらビオラやらの旋律が妙に鳴る。聴き応えありすぎます。アバドは体調もかなり良さそうで、さかんに腕を高く上げる指揮で開放感のある音を引き出していた。とても明るい。世間でよく言われるブルックナーの神々しさとはちょっと違う気がしたけど。

まぁそれよりも聴き所は前半のベートーヴェン、ピアノ協奏曲第3番。ブレンデルのピアノは本当に面白い!一見すると理知的な真面目なベートーヴェンなんだけど、聴けば聴くほど面白い、むしろユーモアに溢れている感じ。スルメだ、スルメ。噛めば噛むほど味が出る。ベートーヴェンの生真面目さと毒々しいユーモアを両立させることにおいて、ブレンデルの右に出るものはいないと思った次第。

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2006年05月11日

あっと言う間にビルスマな音が

演奏会も終わって落ち着いたところで、バロック風にするべくa線とD線を裸ガットに、G線とC線を銀巻のガット弦にしてみた。そしてバロック弓で弾けば、あっと言う間にビルスマな音が....

出ない。

なんでビルスマな音が出ないんやろ。出るのは貧相なイケてない音ばかりで。難しいなぁ、そんな簡単なものではなかったらしい。Olivを張ってた時は、Badiarovくんも「いい音で弾くねぇ」と言っていたのに、あれはセールストークだったのか!?

いや、自分で聴いてもそれくらいの違いはわかるもんなぁ、明らかに今の音は貧相。あぁ貧しい。

ガット弦は、裸ガットはPirastroのCorda、銀巻は同じくPirastroのGold。まずもってこの組み合わせってバランスが悪いし、CordaはT内氏によると牛の腸を使ってて羊じゃないんだって。てか露骨にバッタもんやないか。ものの本を読むとかの鈴木秀美氏は裸ガットはGamutだし、T内氏はフランス在住の酒井淳氏に買って送ってもらったんだって。と言ってもまだそこまで手間をかけるのもなぁ、Pirastroは入手しやすいし....。とりあえずもうちょっとまともな音が出せるように練習してみよ。

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2006年05月07日

GW

今年のGWは演奏会が2つ。3日と5日。出来はどうだったのだろうか?自分で弾いているとなかなかどんな風に聴こえているのかはわかりかねるのがつらいところ。

両日とも、たくさんのお客さんに来ていただき、ありがとうございます。お世辞と義理が半分ずつでも、楽しかったと言ってもらえるのはとてもありがたい。感謝しています。

と思いつつも、賞賛の声は、3日のはコントラバスに、5日のはコンマス氏に送られる。まーいーさ、僕なんて所詮そういう役回りなのさ。昔から慣れてるもんねそんなこと。

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2006年04月24日

久しぶりに

土日に友弦合奏団の合宿へ行ってきた。ここのところ楽器を弾くことに対するモチベーションが全然上がらなかったけれど、この土日は久しぶりに楽しんだ感じ。エルガー「序奏とアレグロ」は、たくさんあるパートがちょっとずつ聴けるようになって曲もわかってきたし、テンポを作って引っ張っていく側にいるのを自覚しながら弾いたりもして、演奏に参加しているという気分をしっかり味わえた。あと個人的には音程だなぁ、メンデルスゾーンのちょっとした伸ばしの音とか、全然音程が取れへん。昔はもうちょっとマシだったような気がするけど、いつから自分はこんなに音程が悪くなってしまったのだろうか。

それにしてもここへ来ると昔のことを思って感慨深くなる。小さい頃は雲の上の存在だったような人たちと、今一緒に弾いているわけだからね。昔は楽譜もこなせなかったし周りも怖そうな人たちばかりだなぁと思って戦々恐々だったけど、月日の経つのは恐ろしい。僕は他のところでは態度はふてぶてしく頭も高いので、たまに友弦にきたところで高くなった頭はそう簡単には元に戻らない。気をつけよう。

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2006年04月13日

Top 100 Works

日本ムラヴィンスキー協会から、「Yevgeni Mravinsky A Concert Listing 1930-1987」が送られてきた。僕宛ではないけど今は僕のもの。この本はムラヴィンスキーが生涯に行なったコンサートの日時、曲目がすべて網羅されているというとんでもない代物。アーデンのマスターがビル・エヴァンスのディスコグラフィみたいなの持ってたのを見せてもらったことあるけど、まぁそういう感じのもの。どこの世界にもマメな人はいるものですね。

アーデンのマスターは目を輝かせながら僕に見せてくれたけど、その僕は今目を輝かせながらこれを書いてる。どこの世界にも似たような人はいるものです。

それはともかく、終わりの方に「Top 100 Works」ということでムラヴィンスキーが取り上げた回数の多い曲が順番に並んでいる。限られたレパートリーを繰り返し演奏していた人だからか、最後の方のウェーバー「オイリアンテ序曲」とかストラヴィンスキー「ミューズの神を率いるアポロ」とかシュトラウス「アルプス交響曲」とかボロディン「だったん人の踊り」なんか生涯に数回しか取り上げていない。てかこんな曲やってんだな。もっともTop100から漏れた曲もあるだろうけど。

ざっと見渡して、同じ作曲家の曲でもかなりの偏愛ぶりがうかがえる。ブラームスは2番と4番が多くて1&3は妙に少ない。モーツァルトの交響曲は33番と39番のみ。ハイドンは88番のみ。シューベルトは「未完成」のみ。ソ連のプロコフィエフでさえ6番の交響曲と「ロメオとジュリエット」抜粋のみ。チャイコフスキーの交響曲でも5番と6番だけが突出して多い。ブルックナーは7番と9番のみ。てかブルックナーなんてやってるんだな。ベルリオーズは回数少ないけど「幻想交響曲」と「ファウストの拷罰」と「レクイエム」がある。てかベルリオーズなんてやってるんだな。そして若い頃オペラの副指揮者をやってたからか、ビゼーのカルメンなんてのもあったりする。

ようやく上位に目を向けると、まぁソ連の作曲家が多くて、一番多いのはチャイコフスキーの5番、第2位がショスタコーヴィチの5番でまぁそうだろなと。そして4位はチャイコフスキーの6番、6位はショスタコーヴィチの6番。5とか6という数字が好きなのかな。7位は1965年の超高速快演が有名なグリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲。8位にやっとドイツ人が現れて、ワーグナーの「タンホイザー」序曲。てかムラヴィンスキーって割とワーグナーの曲はいろいろやってるんだけど、政治情勢的に大丈夫だったのだろうか。ワーグナーってヒトラーが大好きな作曲家なんじゃなかったっけ。

3位と5位がまだだった。5位はチャイコフスキーの「くるみ割り人形」抜粋。ムラヴィンスキーのいかつい顔にはおよそ似合わない曲だけど、CDも何種類か出てると思うし、かなりいいですよ。通常の組曲版も指揮したんだろうけど、ムラヴィンスキーは組曲にない曲を集めた独自の抜粋があって、くるみ割り人形がねずみの王様と戦うところとか、最後のワルツとか、僕は組曲に取り上げられている曲よりもはるかにいい曲だと思うので、彼の抜粋は非常に的確かと。

そして3位ですが、これはチャイコフスキーの名曲中の名曲だと思うんだけど普通の人は全然やらないよね。ロメジュリや1812年やスラブ行進曲やイタリア奇想曲なんかよりよっぽど深い、含蓄のある、哲学的な曲だと思うんですけど。幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」。確かにムラヴィンスキーの芸風にはぴったりやね。この曲は深いです。深い。この曲聴いたら他の曲はみんな軽率な尻軽な曲ですよ。

という自分にも十分に偏愛ぶりがうかがえる。そしてよりにもよってこんな曲、人生悟ってしまったかのような年寄り臭さ満載な自分。

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2006年04月04日

ベロフのスーパーピアノレッスン

NHK教育でスーパーピアノレッスンというのをやってる。忙しかったり忘れてたりでなかなか見る機会がなかったけど、今回のシリーズは特に食指が動いたので録画までしてしっかり見た。ドビュッシー、ラヴェルなどのフランス音楽、講師はミッシェル・ベロフ。

今日はドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」でこてこての通俗名曲、生徒役の日本人の女性もとてもうまいし美人だし(美人はあまり関係ないけど)、そんな今更教えるようなことがあるのかなぁって最初は思ってしまうんだけど、こういうのって違うんだよね。ベロフが弾き始めると、もう最初の音からして全然違う。どう言ったらいいかわからないけど、世界が違う、格が違う、というか。

ベロフがいいことを言っていた。良い絵を見たり良い音楽を聴いたりすることが、良い演奏をする糧になる。人前に出る前に、自分にいいものをインプットしておかないと。

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2006年03月31日

AERAの表紙は

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今週号のAERAの表紙はチョン・ミョンフン。自分自身の「これではだめだ」という思いがプレッシャーで指揮はやめても構わないと語る。この気持ちはめちゃめちゃよくわかるなー、僕がチェロ弾いてる時(レベルは全然落ちるけど)もそんな気分ばっかり。腹が立つやら落胆するやらでストレスが溜まるばかり。「チェロがご趣味なんていいですねー」と知らぬ人から言われたりすると、ああこの人は大変さを何もわかってないんだと思う。楽しんで楽器をやっている人の気が知れない。こんなにたくさんアマチュアの団体があって、嬉々として参加している人たちの気持ちは僕には理解が困難なものの筆頭であります。

そんなに嫌ならやめればいいんだけど、他にすることがないつまらない人間だということが続けている理由の1つ、もう1つの理由は練習しなかったりすると当然腕が落ちる、それもまたストレスなのです。別にこの広い地球上で、僕が練習さぼってただでさえいけてないチェロがさらにへなちょこになったところで誰も何とも思わないんだけど、自分にはそれはそれでストレスになってしまうんだな。逃げるも地獄、進むも地獄。袋小路にはまりこんで鬱になる半歩手前状態。

チョン・ミョンフンさんは他に教育活動などやるべきことがあるから、指揮をやめても悔いは残らないと言う。まぁいいわねやりたいことがあって、しかも社会に役立つことでカッコいいし、読んでてはいはいって感じ。僕は何かあるかな、せいぜい株くらいかな、経済の発展に爪の垢ほどの貢献をしてるかもしれないし。

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