小澤征爾
NHKの「小澤征爾2008 今 あなたに伝えたい音楽がある」を見た。前半はヤナーチェクのオペラについて。女狐を主人公にした一風変わったオペラをハイライトで。ハイライトでもストーリーはしっかり追えたが、一見子供むけっぽいやさしさでありながらかなり深い。狐だからというだけで鉄砲を撃つのか。人間はおぞましい動物ですね。
後半はベルリン・フィルとのカラヤン生誕100年記念コンサートでチャイコフスキーの「悲愴」。これはムジークフェラインザールでのDVDを買ったんで最近よく見てたんだけど、放送されたのは本拠地フィルハーモニーホールでの演奏会。同じ指揮者、同じオーケストラ、同じ曲で同時期のライブを見比べれるってなかなかなくって面白かった。以外にもムジークフェラインでの演奏の方がはるかにいいように思えて、フィルハーモニーでの演奏はかしこまった感じがあって今ひとつ突き抜けた感じがなかった。実際の演奏がそうだったのか、ホールが広いせいか、録音のせいか、聴いてるこちらの気分のせいか、どれかはわからないけど。
この小澤&ベルリン・フィルの「悲愴」、小澤征爾っていいなぁとかなり強い印象を受けたんです。カラヤン生誕100年を祝う演奏会の割にはむしろバーンスタインばりの感情移入で、ゆっくり目のテンポでじっくり弾いていく。聴く方にも緊張を強いるけど襟を正して聴くにふさわしいかと。そして「悲愴」ってとてもいい曲なんだなぁと、あらためて曲の素晴らしさに感動する名演。
ここ数年、冠婚葬祭が多くて思うことが多い。なかなかに世の中は理不尽で住みにくいけど、人生に縁とか定めとかあるのかなぁと感じ、大切にしないといけないと肝に銘じているところ。そして読みかけの吉田秀和「私の好きな曲」を久しぶりに開いてみると、しおりはちょうどヤナーチェクの「利口な女狐の物語」のところに。最近たくさん本を読みたいなぁと思っているところ。がんばって読も。
というわけで、きっといい年になる2009年もどうぞよろしくお願いします。
今回の教訓
一昨日の日曜日ですが、アンサンブル名古屋の本番でした。2週間で帳尻を合わせ、本番でそれなりにしっかりした演奏をしたことを、さすがだと思うかどう思うか。そんな中、自分は普通に弾いているのに「そこはそんな大きい音で弾くところじゃない!」と怒られたりして。ほとんどコメディというかネタというか。普通にしててもネタが作れる自分は特だなぁじゃなくて得だなぁ。
今回の教訓というか改めて認識したのは、速いパッセージをいくらゆっくり丁寧に練習しても、速く弾けるようにはならない、ということ。速いところはゆっくり音をさらうのと速いテンポで練習するのと両方やらないと。でもコダーイの曲なんかは速いテンポについてこれないおかげで、切迫感というかスピード感というか、いい具合に緊張感のある演奏になったんで、人生何がうまく転ぶかわかりませんね。
苦笑い
今日はアンサンブル名古屋の練習へ行ってきました。こないだの名市大OBオケの時もだけど、あれだけヴァイオリンの音が小さいと、自分とか隣のビオラとかコントラバスが弾き始めるとほとんど聴こえないんでめちゃめちゃ怖い。だいたいあてずっぽうで、この辺!って感じで弾く。シベリウスの最後のとことか、フォルテだったりフォルッテッシモだったり、忘れた頃にいちいちsempre energicoって書いてあったり、曲を書いた人は相当気合入れて書いてるはずなのに、笑みを浮かべながらなでるように弾く意味がわからん。管楽器もほうほうの体。それで笑いが起きたりすると、笑ってる場合か!と思い、ついつい自分も笑ってしまう。自分のは苦笑いだけど。
最近よく聴くのは、「すべてのシベリウス演奏はここから始まった!」らしい、ロベルト・カヤヌスの録音。1930年だか32年だかの録音だけど、割と録音がいいので聴ける。この時代なだけに、テンポも揺れるし縦も合わないことあるけど、なかなかに熱い。我々が普段思ってるシベリウス、北欧の曲は特別だ、フィンランドの自然を感じる(フィンランド行ったことないのになぜわかる)、みたいなイメージってのは、いったいどこから来たんだろうか。
本番まであと2週間。
アンサンブル金沢&クレメラータ・バルティカ
昨日は芸文コンサートホールへ、オーケストラ・アンサンブル金沢とクレメラータ・バルティカの合同コンサートを聴きに行ってきた。曲は前半にシベリウス、後半にグリーグという北欧の曲たち。まずはシベリウスで、アンサンブル金沢による「カレリア」は、こんな流麗な曲だったかしらんというくらい流麗な、全然知らない曲のようで感嘆した。続いてクレメラータ・バルティカのメンバーも加わり、ギドン・クレーメルが登場してのシベリウスのヴァイオリン協奏曲。まさにクレーメル独自のワールド。何か最近は、クレーメルがこういう普通の協奏曲を弾くというだけで、こんなの最近絶対弾いてないよな、ちゃんと弾けるのかな、みたいな、妙な心配をしてしまうんだけど大丈夫。しっかり独自のワールド。指揮者の井上道義氏の前に陣取り、まさに世紀の対決、みたいな。迫真の演奏で手に汗握ったが、何より手に汗握ったのが、いつもは余裕でブイブイ鳴らすコントラバスのおじちゃん、3楽章のジプシーちっくなリズムが上手く弾けずに四苦八苦。指揮者が鋭い視線を飛ばす。「オイゴラァ、ちゃんと弾けって練習の時にも言ったヂャねーか!」「ゴゴゴごめんなさぃ~」普通にキョドるおじちゃん、そしてかなり必死な姿を見てついつい笑ってしまう自分は性悪か。
後半はまずはクレメラータ・バルティカの演奏で、グリーグのホルベルク組曲、そして最後は再び両オケ合同で、「ペール・ギュント」組曲。うわぁペール・ギュントなんて聴いたの何年ぶりだろうか。「山の魔王の宮殿にて」とか、昔こればっかり聴いてたよな、なんて懐かしい気分になりました。
クレーメルが優秀な若い演奏家を集めたクレメラータ・バルティカ、初めて生で聴いたけど、正直どうなんだろう、と思った。完璧に、クレーメルでもってる。こういう若い人を集めたオーケストラというのはいくつもあるけど、この人たちが将来どうやって暮らしていくかを考えると、もっとけしかけて外の世界に出させないと。もちろんもうしてるかもしれないけど。でも今はどっちを向いても上手な人ばかりで、その中で自分を他と差別化していくのは大変だなぁと思う。
うまくいかなかった
一昨日、日曜日は名市大OBオケの本番でしたが、いやー疲れました。疲れるということは多分うまくいってないということで、非常によろしくなかったなぁということ。こんなでは聴きに来てくださった方には失礼で申し訳ないのですが。うまくいくときもあればうまくいかないときもありますが、うまくいかない時にどれくらい持ちこたえられるかが、日々の研鑽の成果だと思うのです。一昨日のはどうだったんだろう。
自分は弾いてないところだけど、チャイコフスキー「1812年」の最初のチェロ4本ビオラ2本のところが一番よかったなぁ。特に3番チェロが、練習の時はいまいち出てなかったけど本番はしっかり音が鳴っていたのがよかった。ブラームスの2番の4楽章は、今まで結構何回も聴いたり弾いたりしてるけど、どうしても散漫な感じになっちゃう。曲のせいなのか解釈のせいなのか技量のせいなのか。
ストラディヴァリウス・コンサート
昨日はしらかわホールへ、ストラディヴァリウス・コンサートと銘打たれた演奏会を聴きに行ってきました。日本音楽財団が楽器を貸与している演奏家たちによるコンサートなので、必然的に若い人たちが多くなるけど、その中でやはり年の功(失礼)というか、竹沢恭子は断然いい演奏するなぁと思ったし、イッサーリスは独自のキャラで攻撃してきた。イッサーリスはプログラミングも担当ということで、ヴィヴァルディの有名な4つのヴァイオリンの協奏曲ではヴィオラパートを弾いてご満悦だったし、バッハのドッペルも随分楽しそうに弾いてたし、英国博物館で見つけたというヒューベルト・レオナードという人の3つのヴァイオリンの「スペイン・セレナーデ」という面白い曲を日本初演させたり、ブロッホのユダヤのなんちゃらって組曲を全曲弾き切っちゃったりと、音は小さかったけど存在感は大きかった。
年の功と言えば、こういう演奏会では恒例のメンデルスゾーンの八重奏曲、若いソリストが集まったヴァイオリンパートに対して、全体の手綱をしっかり締めたのは東京カルテットの3人だった。磯村さんすごい上手。菊衛さんすごい上手。チェロのはげたおじさんもすごい上手。東京カルテットって最近メンバー代わってからちょっと影が薄い印象だったけど、どうしてどうして、全然いいじゃないですか。この日演奏したドビュッシーのカルテットの第3楽章もすごいよかった。昔しらかわホールができて間もない頃に、まだ1stVnがピーター・ウンジャンでチェロが原田さんだった時に、当時は僕は全然知らなかったドビュッシーの弦楽四重奏曲を聴いて、とても素晴らしい演奏で感動したんだけど、その時のことが懐かしく思い出された。この日の演奏も素晴らしかったけど、以前聴いたみたいな4人がまるで1人のような、音色の溶け合った響きとはかなり異なってはいた。その分輪郭がはっきりした、明快な演奏になっていた。
その他にもいろいろもりだくさん。とても楽しいひと時でした。
夏休み
今年の夏は相当暑いので、かなりへばってます。ようやっとここんとこ、以前に比べたら涼しくなったような気がして、多少楽に感じるようにはなってきた。
昨日は毎年の恒例で、子供たちの前でチェロ二重奏を弾いてきました。正直今年はバタバタと落ち着かなかったんでまぁパスでいいでしょ、と思ってたのに、H岡先生に「まぁやろうよ」と言われ、あっさり承諾。作曲者もよくわからない曲だったんだけど、H岡先生は妙に気に入っていたらしく「譜面づらがいいんだ」とか言ってました。そんな彼に引っ張ってもらうばかりの今年でした。
その前に、せっかくの夏休みということで箱根へ行ってきました。彫刻の森美術館かなりよかったですよ。ありゃ丸々一日楽しめますよ。



こういうときしか使わないCaplioR7ですが、さすがに屋外だとストレスなく撮れて、しかも光学7倍ズームは強力。下の写真は光学7倍。

まぁこれだけ見てもわかんないけど。

ワルキューレの奇行。
さてと、いろいろとさらう楽譜がたまってきてストレスもたまってきたところです。ついにシベリウスの未知の領域、3番目の交響曲を弾かなくてはいけなくなりました。シベリウスの3番以降なんて、マーラーとかブルックナーとかR.シュトラウスと同様、チェロ弾いてなかったら絶対一生関わることなかっただろうと思いますね。そしてチャイコフスキーの1812年は昔カラヤン&BPのCDを聴きまくってました。あの日本人にはおよそ不可能な重厚な音の演奏のイメージがすり込まれているので、どうして自分はこんな貧相な音しか出ないんだ!とついつい肩に力が入る。最後まで体力持たないよこれ、どうしたものかね。
ベルリン・フィル 12人のチェリストたち
先週土曜日に、ベルリン・フィル12人のチェリストたちを聴きに行ってきました。かなりメンバーが入れ替わってて(ゲオルグ・ファウスト氏もいなかった。休暇中?)、若い人が増えたなぁーという印象。その中でもやっぱり光ってたのは首席のルートヴィヒ・クヴァントくんと、ソロ・チェリストの肩書きを持つオラフ・マニンガー、マルティン・レーアの各氏。オープニングのクレンゲル「賛歌」の冒頭、12番目の奏者から順々に入ってきて和音を重ねていくんだけど、もうこの時点で個々の音の良し悪しがわかっちゃうもんなぁ。楽器のせいか腕のせいかわからないけど、多分両方なんだと思うけど、チェロ12本のアンサンブルの発祥ともいえるこの曲、実はなかなか恐ろしい曲なんだなぁと感じた。
この日の演奏会は軽めの曲ばかりで、前半にあったボリス・ブラッハーとかピアソラの曲はかなり楽しく聴けたけど、後半になると同じような曲に同じような編曲、同じ音色ということでだんだん聴くのがつらくなってきた。こうなるとバッハとかベートーヴェンとか、「いかにもクラシック」的な曲がもうちょっと入ってもいいような気がしてくる。
でも先日のABQよりも客入りははるかに良好、熱狂的なファンらしきひともたくさん。でも期待してた「クヴァントく~ん!」みたいな黄色い声は残念ながらかからなかった。次からは僕がかけてあげようと思った。
CM
ABQ

先週の金曜日、5/30にアルバン・ベルク四重奏団を聴きに行ってきました。すでに解散が決まっているABQ、フェアウェルツアーということで会場はとても広い愛知県芸術劇場のコンサートホールでしたが、かなり空席が目立ちました。
そのおかげで舞台の真後ろという一番好きな席が取れたのかも。
そして数は少ないながら、とても質の高い聴衆で、長年名古屋に住んでいてもこんな経験は初めてだった。演奏中の集中した雰囲気と、暖かくリスペクトの気持ちに溢れた拍手。僕の席では拍手の響きが下から浮き上がってくるようだった。
僕がABQを初めて生で聴いたのはしらかわホールのオープニングのシリーズで、2夜連続でハイドンやシェーンベルク、ベートーヴェンが演奏された時だった。その後も、特定の団体ではABQほどたくさん生で聴いた団体はないくらいだけど、この日の演奏会はその中でも別格で素晴らしかったと思う。演奏のパフォーマンス、聴衆の集中力、会場の雰囲気、すべてのトータルという意味で。
冒頭のハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」の序奏で未だ落ち着かない我々をコンサートを聴ける状態に誘った後、ABQの名前にもなっているアルバン・ベルクの「抒情組曲」。現代の作品を演奏することをモットーにしてきただけあって非常に素晴らしい演奏で、むしろ「難解なベルクの作品が、こうも苦もなくパーフェクトに演奏されてしまっていいのか?」という疑問すら感じさせた。
休憩後は、シューベルトの15番。この長大な作品でも最後まで緊張感を失わず、あっという間に聴き終えてしまった感じ。特に第4楽章のエネルギッシュさは秀逸で、彼らは誰かがつっかけても残りの誰かがセーブするのでなく、さらにつっかけに入る。聴いているこちらも息を呑み手に汗握る演奏だった。2ndVnのシュルツくんがとても効いていたし、ヴィオラのカリシウスさんは以前よりフィットしていて、完成度の高い演奏に大きく貢献していた。
「ロザムンデ」や「死と乙女」なんかよりはるかに傑作だと僕は信じて疑わないシューベルトの15番を、ABQは2回録音しているけど、以前からそのCDを聴きながら「こんなのが生で聴けたらなぁ」なんて、ありえない妄想にとりつかれていた。そんな妄想がこともあろうに実現してしまい、帰ってからそのお気に入りのCDを聴いても全然物足りなく感じてしまう。録り直しがきくCDを凌駕する生演奏というのは実際はそうそう経験できるものではないけど、ABQはそれを常に実現していた稀有な団体だったと思う。
MADE IN JAPAN

The Stradの5月号に、"MADE IN JAPAN"という記事があります。日本における弦楽器製作の歴史、つまりスズキバイオリンの歴史。鈴木政吉が安価で提供するバイオリンは、教師や警察官の初任給が8円~13円だった1890年代に5円ほど、輸入品は10円~15円またはそれ以上の値だったそうです。今の初任給を20万円ほどと考えるとまぁそんなもんかなと思うけど、この安価なバイオリンが大量生産されたおかげで、着物の女性が琴のかわりにバイオリンを演奏したり、芸者が三味線からバイオリンに転向したりと、明治末から大正バブルの時代の話なんだろうけど、ほんとかいなぁと思うような話が並んでいます。そして次のブームは戦後で、日本が豊かになると親は子供に音楽を習わせ、政吉の息子である鎮一がはじめた「スズキ・メソード」の広がりもあって、スズキバイオリンは再び大きな役割を担うことになります。
確かに、今日本ではバイオリンなどの弦楽器を弾く人がとても多いし、プロもアマチュアもオーケストラはたくさんあってまさにクラシック大国と呼ぶにふさわしい状況だけど、それはスズキバイオリンなくしては到達し得なかった境地だと思う。
その他の記事では、チェリストのナターリャ・グートマンのインタビューや、演奏旅行中にホテルで洗濯をするヒラリー・ハーン、eBayで買ったバイオリンはいかがなものか、そしてアンネ・ゾフィー・ムターの「本番で緊張する?何それ?」みたいな女王様コメントが読めたりと、全体に渡ってなかなか読み応えあり。
それにしても、日本の弦楽器製作のレベルというのはものすごく高いんじゃないかというのはここんとこ毎年行っている弦楽器フェアでとても実感していて、未だに楽器屋にいくとヨーロッパの古い楽器ばかり並んでいるのが、自虐史観を植えつける日本の戦後教育の賜物のように最近では感じられて仕方がない。先の記事で島村楽器の人が言ってたけど、何年か何十年かすると日本で製作された楽器のブームが来るかもしれない。僕的には、かもしれない、ではなく、必ず来る、と思う。希望も込めて。
クレメンス・ハーゲン
今日はしらかわホールへ、ハーゲンカルテットのチェロ奏者であるクレメンス・ハーゲンとシュテファン・ヴラダーの演奏会へ行ってきた。ベートーヴェンの3番、ショスタコーヴィチ、バッハ無伴奏の1番、ブラームスの2番という、これでもかと有名なチェロ・ソナタばかりを集めた演奏会。アンコールはラフマニノフのヴォカリーズ。
ハーゲンカルテットは昔一度だけ生で聴いたことがあって、その時はあんまりチェロの音量が大きくないなぁという印象だったんだけど、今日はむしろ、かなり鳴らすピアノを相手にも負けずに弾いてるなぁという全然反対の印象だった。とてもよかった。ベートーヴェンはこの日の演奏の中で一番素晴らしいように感じられて、若いショスタコーヴィチによる才気溢れる作品は才気が溢れすぎていて僕には未だよくわからない。休憩後のバッハはメヌエットが印象に残ってて、短調の中間部を長調の部分より早いテンポで弾いていて、今までこういうのは聴いたことなかったけど別に問題ないよね。最後のブラームスは非常な力演でお腹いっぱい楽しみました。
さて、しらかわホールではよくある、CDを買うと終演後にサインがもらえるというのにあっさりつられるミーハーは、休憩中にCD売り場を物色。通常売られているものの他に、本人が持ち込んだというマイナーレーベルのマニアックなCDが2種。1つはザルツブルクのたぶん音大生オケを相手にしたエルガーの協奏曲、もう1枚はなんとフリードリヒ・グルダのチェロ協奏曲!

ハインリヒ・シフによる名盤の他にも録音しちゃう人がいたんだね。セレブ風のおばさまが「これはエルガー?は?グルダ?」とかなんとか店員さんとやりあって結局買ってたけど、おばさま、それ、うち帰って聴いたら、なんぢゃこりゃ、とか思うよ絶対。
そして終演後に、サインもらいながらベートーヴェンの第2楽章のことを聞いてみた。シンコペーションのリズムが印象的なこの楽章を、スラー・スタッカートみたいにして弾くのを聴いたのは初めてだった。こっちも英語が不自由なんでその場ではよくわからず、帰ってきて楽譜見て確認したりして、どうやらテヌートとかスタッカートが付いてるわけではなくて、原典に書いてあるピアノのフィンガリングを基にしているらしい、という結論に至った。クレメンス・ハーゲンは10年くらい前にパウル・グルダとこの曲を録音しているので改めて聴いてみたけど、今日のようには弾いていなかった。話をしているときにピアニストのヴラダーさんがさかんに「フィンガリングが4、3、4、3になってるんだ」と言ってきたので、今日の解釈は彼のアイデアだったのかもしれない。
あとバッハのジーグもなんか変な部分があった。繰り返しても同じように弾いていたので、明らかに意図的にやってると思うんだけど、そんな版は見当たらず、結局わからずじまい。これも聞いてこればよかったけどサイン会では後ろもつかえてるし。
10年がかりで最後まで


マイペースでのんびりと取り組んでいたポッパーの練習曲ですが、ようやく!全40曲、最後まで行きました。一応さらい始めた日にちを楽譜にメモってたんだけど、1曲目を始めたのが'99年1月。前世紀ですか。足かけ10年ですか。途中で挫折したり他の曲に目移りしたりして長い中断が何度もあったりして。パラパラと前の方をめくってみると、9番とか13番とかが一番しんどかったかなぁ。23番から26、27番のあたりなんか、こんな曲やったっけ?みたいな、全然記憶にないのに日付だけしっかりメモされてたりする。誰が書いたんだろこのメモ。
この10年の間に時代は変わった。僕が使ってた楽譜はインターナショナル社ので、昔はこれしかなかったけど、今はその他に2種類の版が出てる。そして今では全曲のCDが出ていたりする。楽譜読むのが大変だったから、CDの登場は画期的。Martin Rummelって人の演奏で、下手ではないがそう上手くもない。僕はアマチュアなので安気に言うけど、プロならこれくらいは最低ラインじゃないかと思う。何曲かはシュタルケルのトンデモ演奏があるけど、こっちはあまりにトンデモすぎてむしろ参考にならない。
そして、全40曲制覇したとは言っても、全然達成感がないのは、とりあえず最後まで行ったというだけで、形になったとはとても言えないから。死ぬまでにあと何回か、最初からさらい直さないといけないんだろうなぁと、終わったとたんに憂鬱な気分になっているところ。
しかしこの練習曲は効く。それなりに取り組むだけでも、自分が上手くなるのが実感できる。僕はこういう練習曲の存在を教えてくれる人が周りにいなかったからいかんけど、もっと若い時というか子供の時に、練習曲の必要性を教えてくれる人がいれば、今こんなに苦労しなくて済んだのになぁとは常々思ってきた。もちろん、小さい頃からこんなのでみっちり練習させられてたら、楽器弾くこと自体がイヤになってたかもしれないけど。
これを読んだあなたはもう練習曲の存在を知ってしまったので、知らなかったとは言わせないから、上手くなりたかったらポッパーの練習曲を10年かけてさらって下さい。
ブラッハー&紀尾井シンフォニエッタ東京

だいぶ経っちゃったけど、先週の日曜日に何年ぶりかで岐阜のサラマンカホールへ行ってきた。コリヤ・ブラッハー&紀尾井シンフォニエッタ東京。モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番をルドルフ・バルシャイが弦楽合奏に編曲したもの、以上3曲。ブラッハーは協奏曲ではもちろんソリストでしかも弾き振り、他の2曲もコンサートマスターの席に座って弾き振りで、かなり大変そう。そのせいかアンコールはなかった。
モーツァルトはビブラートを廃した歌い回しで印象的だったけど、さすがにヴァイオリニストなだけに、ヴァイオリンはノンビブラートで弾いていたけど低弦まで徹底されていなかった。まぁでもご愛嬌ということで。2曲目のブラームスのヴァイオリン協奏曲、この大曲を弾き振りとは!長い前奏を素人っぽい指揮で切り抜け、いよいよソロが入ってくる段になって客席の方を向きおもむろに楽器を構える。その音のなんという力強さ!強い箇所は男性的に力強く、弱い箇所では繊細でかつ強い意欲がみなぎり、40分の大曲があっという間に終わってしまった。ブラームスのこの曲はオーケストラが分厚すぎてソロがよく聴こえないって言うけど、ありゃ全然嘘だね。しっかり弾くソリストに、丁寧なオーケストラなら、とてもいいバランスで素晴らしい響きで聴くことができる。そしてソロが一通り終わる度にオケの方を向いて指揮をしていたけど、素晴らしいオケなので、ぶっちゃけ指揮必要なし。ソロの後ろでピッチカートをパート間で受け渡す部分とか、もちろん第2楽章冒頭のオーボエのソロとか、とても綺麗で充実した演奏だった。もともと好きでよく知ってるつもりの曲だったのに、改めて曲の素晴らしさに感激してしまったけど、それも素晴らしい演奏のおかげ。休憩後のショスタコーヴィチは強弱の幅を非常に大きくとっていたのが印象に残った。やっぱりあんなに小さい音で弾いても大丈夫なんだ。
この日はもう1つうれしいことがあって、旧知のおじさま・おばさまと何年ぶりかで再会したこと。とても元気そうでよかった。ここは娘さんが3人いて、上2人とは昔よく一緒に弾いたりして、一番下の人はドイツでバイオリンやってて、3人とも美人で性格もいいけど、僕的に一番ポイント高いのはこのおばさま。相変わらずの高エネルギーにたじたじとなってしまった。そして一番下の子が最近ケルンのオーケストラのコンサートマスターになったってことは風の便りに聞いていたんだけど、落ち着いてよかったとか、あのコントラバスの真ん中の人河原さんじゃない?あらーケルンでよくお話させていただいたわ、とか言っていた。やっぱケルンまでよく行くんだって。でもすごいよなーヨーロッパのオーケストラのコンマスだよ。僕らから見たら単にすごいなーうらやましいなーって感じだけど、それはそれで大変なんだろうけど。そしてドイツで豊田先生の後に誰につくかって時に、「まぁブラッハーでいいんじゃない」とアドバイスしたってのを確か豊田先生が自分で書いてたよなぁ。僕はブラッハーの演奏聴いてあっさり感激しちゃったんですけど、そのブラッハーに対して「まぁ、いいんじゃない」なんて、豊田耕兒氏さすが、レベルが違うと惚れ直したところ。
コリヤ・ブラッハー

昨日はヴァイオリンのコリヤ・ブラッハーのリサイタルを聴きに、しらかわホールへ行ってきました。しらかわホールの「11AM」という、昔やってた卑猥な深夜番組からパクったのかと思わせる名前のコンサートシリーズの1つ。
曲は、バッハの無伴奏パルティータ第2番、フランクのソナタ、ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」という、これでもかと通俗名曲を並べたプログラム。バッハは最初あまり気が乗らない感じだったけど、徐々にペースを上げていき、終曲の有名なシャコンヌは充実した圧巻の演奏。バッハのこの曲はすごいね、弾いてる方も聴いてる方もどんどん曲に引き込まれていき、早速ブラボーの声もかかる。続くフランクのソナタからはピアノの若林顕との共演、バッハとは打って変わって、1楽章冒頭をすごいビブラートをこれでもかとかけて始め、ピアノともども情感たっぷりの演奏。休憩後の「クロイツェル・ソナタ」も堂に入った立派な演奏で、しっかり堪能しました。こういうあまりに有名な曲を、充実して聴かせるのが真の実力者ですね。
客席はほぼ満席で、こんな通好みのリサイタルにこんなに入るんだなぁとちょっと意外だったんだけど、どうもブラザーが協賛に入ってたらしくて、会社の付き合いみたいな風貌の人もいた。それでも名フィルの時とは違い、客席も演奏に集中している雰囲気があった。僕みたいにもともと好きな人が多かったんだろうけど、いい演奏をすれば泣く子も黙る。あの演奏なら泣く子も黙る。
戦う才人
僕はロリン・マゼールって指揮者はいつも奇をてらってるようでどうも好きになれなかったんだけど、この記事の一言でなかなかなヤツだと思ってしまいました。
将軍様が姿を見せなかったことについて聞かれ、「それを言うなら、まずは米大統領にわたしの公演に来て欲しいね。」
これは正しい!
そんな戦う才人マゼールの、戦う音楽を聴く。

チャイコフスキーの「イタリア奇想曲」と「1812年」、ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」、リストの「フン族の戦い」。この中だったらやっぱベートーヴェンの最高傑作、「ウェリントンの勝利」だよね。フンメルやシュポア、サリエリも初演に参加したという壮大な作品。マゼールはこの曲を2回も録音してるから、よっぽど好きなんだろうね。流行作曲家ベートーヴェンの本領発揮な作品。
「将軍様はお忙しい」
「わが将軍様は大変お忙しい」ため残念ながら欠席だったニューヨーク・フィルの平壌公演、でもやっぱり才人マゼールがやってくれた!「いつの日か“平壌のアメリカ人”という曲も登場するだろう」と、得意のリップサービス。やっぱりねー。僕の事前の予想と微妙だがしっかりかすった。やったやった。
こんなことがうれしくて仕方ない自分、いかにも平和ボケした日本人って感じで、微妙。
ニューヨーク・フィルの平壌公演、いよいよ
話題のニューヨーク・フィルの平壌公演、いよいよ楽団員が平壌の空港に到着したようです。いやー、どんなことになっちゃうんだろ。やっぱ昔のモスクワ公演でショスタコーヴィチがたまらず舞台に飛び乗ってバーンスタインに駆け寄ったみたいに、「新世界」終演後に将軍様が舞台に上ってマゼールと抱き合っちゃったりするんだろうか。キムとマゼールのツーショット。テレビカメラに向かって声を合わせて「新世界へようこそ!」とか叫んじゃったりして。微妙。それとも「パリのアメリカ人」演奏前にマゼールが大演説をぶっちゃうかも。「俺はピョンヤンのアメリカ人!」。あれ、マゼールってどこの出身だっけ。でも将軍様も神妙な面持ちで「許可する。」とか言っちゃったりして。それとも芸術に造詣の深い将軍様なだけに、アリラン演奏中に「それは違う!」とか言ってマゼールから指揮棒取り上げて自分で指揮したりしちゃったりして。それとも才人マゼール、朝鮮語でアリラン歌い切って将軍様から後継者に指名されちゃったりして。
いろいろ妄想が膨らむ自分、いかにも平和ボケした日本人って感じで、微妙。
ABQのブラームス

ブラームスの弦楽四重奏曲全3曲、アルバン・ベルク四重奏団の2回目の録音。なんとなく聴きたくなって出してみたけど、規律正しくかつロマンティック。でもブラームスの室内楽は、ABQの明快な演奏でもやっぱり難解。
この2枚組のCD、買ったばかりの頃かなりよく聴いたんだよね。暗い情感がうごめくOp.51-1がチェロ・ソナタの第1番とかぶって、曲的には一番気に入ってるんだけど、残りの2曲も捨て難い。なんといっても、ヴィオラのトマス・カクシュカを聴いてくれ!ブラームスはヴィオラを好んで云々、なんて野暮ったい講釈は不要、普段はやる気なさそうなカクシュカ氏、本番でうまくいかないとピヒラー氏に注意されて逆ギレするカクシュカ氏、そんなカクシュカ氏が大活躍するOp.67の第3楽章とか、やればできる!って感じで今なお強い印象を与えてくれる。そして忘れてならないのがOp51-2の最終楽章。冒頭バイオリンで出されたメロディをヴィオラが引き継ぐ。ピヒラーに勝るとも劣らない、カクシュカ氏のアクの強さ!途中、開放弦を交えて流麗さを排除、あえて作り出す無骨な表現がたまらない。
いつ聴いてもいい演奏はいい。もう生で聴く機会がないのが残念だけど、これまでの楽しい思い出とともに生きていくことにする。
「イタリアのハロルド」とか


今日はしっかり雪が降りました。積もったのは今年初めてです。例年だとクリスマス頃には一度ぱらつくんだけど、この冬は今までぱらつきすらしませんでした。そして降ったら降ったで突然積もりました。
そしてこの雪の中、コンサートを聴きに行ってきました。円光寺雅彦指揮名古屋フィルですが、目的はメインのベルリオーズ「イタリアのハロルド」。ビオラのソロはベルリン・フィル首席を務める清水直子。一度聴いてみたかった人なので非常に期待して出かけたのですが、とてもよかった。体全体を大きく使って、聴いているこちらも楽しくなってくる演奏をする人でした。名フィルも最近上手くなったし悪くない演奏はしているんだろうけど、なんか全然違いますね、上手下手じゃなくて、演奏に対する姿勢とか、そういう根本の部分から違う感じがする。聴いてるこちらが無意識のうちに引き寄せられてしまうというか、本当の一流の人にはそんな雰囲気というかオーラみたいなのがあります。清水直子さんすごいですよ、ほんとによかった。うれしかった。まだまだ日本も大丈夫だ。
この「イタリアのハロルド」、恥ずかしながら僕は初めて聴いたんだけど、噂に違わず、曲が進むにつれてハロルドの出番は減っていき、最終楽章ではハロルドはほとんどいなくなってしまった。今まであえて聴こうとしなかった自分は正しかったんだと思える妙な曲。ソリストは出番を待つ間直立不動でかわいらしく立っていたが、明らかに手持ち無沙汰だった。ああいうの見てると何か叱られて立たされてるみたいで気の毒な気持ちになる。
前半1曲目は、ボリス・ブラッハーの「パガニーニの主題による変奏曲」という珍しい曲。これも初めて聴いたけど、オーケストラのそれぞれの楽器がそれぞれ活躍する、とても面白い曲だった。けど、演奏する方も初めてなのか、なんか、しっくりこない演奏でしたね。舞台上から?マークがたくさん飛んでくるような。演奏会前に何回か練習してるんだから、それなりに理解してからお披露目してもらいたい。まぁ最初の有名なパガニーニの主題を弾いたバイオリン・ソロからしてビミョーな感じだったんで、それを引きずってしまったのかもしれないけど。それに比べると2曲目のリスト「レ・プレリュード」は堂に入った演奏だった。これで終わりの部分が、もっとトロンボーンのメロディラインを鳴らし切れればよかったんだろうけど、それができないので打楽器がジャンジャンやるだけの空虚なコーダになってしまった。このオケは、強いところは強くしきれず、弱いところは弱くしきれない。常に中庸でコントラストに欠けるのが今ひとつ物足りない演奏になってしまう一番の原因だと思うなぁ。まだ同じプログラムで明日もあるので、がんばってください。
タスミン・リトル
バイオリニストのタスミン・リトルのホームページで、"The Naked Violin"と題する最新アルバムが無料でダウンロードできるってんで早速アクセス。こちら。バッハのパルティータ第3番と、Paul Pattersonっていう人の割と聴きやすい現代曲と、イザイの無伴奏ソナタ第3番。CD用の画像ファイルまで用意するという手の込みよう。
ページ末には、タスミンのThree Step Challenge!!
Step1: イントロ聞いて、CDをダウンロードしてね。
Step2: 曲を聴いたら、どこが好きでどこが嫌いか私にメールで教えてね。
Step3: そしたらコンサートに来るか、CDを買って頂戴。どっちもしないなら、その理由を教えて頂戴!(多少キレ気味)
こんなにネットを駆使するなんて発想が若いなぁと思うけど、外国の人の年齢は見た目ではよくわからん。まぁともかく、今の世の中、どこの国でも楽器の腕だけでなくビジュアルも良くないといけないんですねぇ。
「道楽者のなりゆき」
先日BSで放送されていた、ストラヴィンスキーのオペラ「道楽者のなりゆき」を録画で見た。放送に気が付いたのが遅かったので、後半1/3程度だけど。このオペラ、最後にエピローグとかいって、出演者が出てきて、「このお話には、こうこうこういう教訓があるのですよ」という説明をしてくれる。余計なお世話だが面白い。今軽くネットで検索してみたら、ストラヴィンスキーがバイロイト詣でに行ったあと、もっと広い聴衆に向けてのわかりやすいオペラを作曲する必要がある、と思って書いたらしい。まさに仰るとおり。ワーグナーなんて限られた人たちにしか受け入れられない音楽だから。
というか、ストラヴィンスキーも限られた人たちにしか受け入れられない音楽のような気が。
というか、クラシック音楽自体が限られた人たちにしか受け入れられない音楽のような気が。
演出とか歌とかはよくわからないけど、オーケストラは小編成で、引き締まった音で緊張感があり、鋭く力強く、とても素晴らしい。大野和士指揮モネ劇場。
大野和士のチャイ4

チャイコフスキーの交響曲は全部で6曲あって後半の3曲が特に有名だけど、5番と6番「悲愴」に比べて4番は、昔からどうも馴染めなくて、それだったらむしろ初期の1番と2番の方がよっぽどいいなぁなんて思ってた。4番は作曲者が30代半ばの作品で、脂乗り切ってやる気満々だもんだから、そういうギラギラした感じがさめた性格の自分には合わないんだろうなぁと、最近わかり始めてたとこ。で、ギラギラ感のないすっきりと見通せるジョス・ファン・インマゼール&アニマ・エテルナの演奏以外は、なかなか受け付けなかった。
しかし今日のこのCD、これはギラギラ感とすっきり感を両立した、今のところ僕の中では最高の演奏。大野和士指揮バーデン州立歌劇場管弦楽団。金管もガンガンに鳴らせつつ引き締まった音で、これみよがしなクレッシェンドやありえない全休止など、聴き手の意表を突くことも忘れない。これは素晴らしい。カップリングはグバイドゥーリナで、チェロと管弦楽のための「いまだ祭は高らかに」って曲。ダヴィド・ゲリンガスの力強く引き締まった音がオケとマッチ、曲自体はよくわからない現代曲だけどなぜか聴き入ってしまう名演。
大野和士って指揮者、今まで自分はまったくノーマーク、「音楽家の肖像」と「プロフェッショナル仕事の流儀」で、ヨーロッパで評判らしいってのを知ってたくらいで、そんな自分の目の付け所の悪さがほんと情けない。これって10年も前の録音ですよ。日本銀行の広報誌「にちぎん」2007年冬号の巻頭インタビューにも登場している。ストイコビッチ擁する全盛期のグランパスを知る身としては、ザグレブ・フィルの常任指揮者だったっていうだけで冷静ではいられない。ほんと、今まで知らないですいません。
上岡敏之&ヴッパータール響
昨日FMで、昨年の上岡敏之&ヴッパータール響の来日公演の録音を放送してました。上岡敏之っていう指揮者は何年か前のN響の年末の第九を振ってたのが特にいいとも思わなかったし、最近発売されたブルックナー7番の「演奏時間世界最長」みたいなキャッチコピーが、なんかわざと目立つためにやってるのかなぁとか、そういう胡散臭い雰囲気を感じてしまって、今まで聴くことなく済ませてきたんだけど、昨日のFMで聴いたのはどの曲も面白かった。
R.シュトラウスの「ドン・ファン」はむしろ速いテンポで始めて、音量の強弱とかテンポの緩急とかしっかり作って、曲の最後ではテンポを落としてしっかり歌わせたりしてスケールが大きくてよかった。2曲目のモーツァルトのピアノ協奏曲は上岡自身のピアノで、妙に元気のいいピアノが既製の演奏とは一線を画していて面白かった。メインはベートーヴェンの「運命」で、第2楽章の楽譜に指示のある音量の強弱をしっかりつけていたのとガーディナー風のフレージングが面白かった。
オーケストラなんですけど、まぁこれが何というか、ヴッパータール交響楽団って150年の歴史があるって言ってたけど、ドン・ファンのバイオリンソロをいきなり音程外してみたり、ドン・ファンってやっぱりとても難しい曲だから露骨にいっぱいいっぱいに頑張ってますみたいな雰囲気があったり、運命は第4楽章で「ワーイ」ってな感じでどんどん突っ走ってしまいそうになったりと、150年の歴史を感じさせない落ち着きのなさがあったけど、それも愛嬌って感じで。おそらくこのオケって日本人が指揮者にならない限り日本に演奏旅行に来ることなんてなかっただろうから、日本はとてもいい国なのでしっかり楽しんでいってもらいたいと思います。
プフィッツナーのヴァイオリン協奏曲
たまにN響アワーを見るんだけど、今日はウィーン・フィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヒルを迎えてのプフィッツナーのヴァイオリン協奏曲。プフィッツナーの曲ってブゾーニとかレーガーと同じでどうも僕にはとりとめなく聴こえてしまうなぁ。しかしウィーンゆかりの作曲家ということで、キュッヒルの演奏には熱が入る。だんだん顔が紅潮してきた。と思ったら、おでこを通り越して頭のてっぺんまで紅潮してきた。
というかこのキュッヒルさん、今何歳か知らないけど、だいぶ若い頃から天下のウィーン・フィルのコンマスをやってたはずだけど、そういう若くして頂点を極めた人でも、今聴くと昔より断然上手くなってるのね。なんか昔のキュッヒルってひたすら攻撃的で雑な演奏をするって印象があったけど、今日のプフィッツナーは全然そんなことなくて細部まで神経行き届いてる感じだった。それでいてアグレッシブなところでは積極的に攻める。そして弓は元から先まで余さず使い切るので見た目にも豪快。聴き応え十分でした。
指揮は下野竜也。有名な人だけどN響初登場なんだって。指揮姿は初めてみたけど、小澤征爾そっくりだね。小澤を小太りにしてコミカルにした感じ。プフィッツナーの後に演奏されたリヒャルト・シュトラウスの「死と変容」のとても立派な演奏とコミカルな指揮ぶりにギャップを感じてしまう自分は性悪。それにしても、やっぱり日本の指揮者って誰しも小澤征爾の影響からは逃れられないんだなぁと思った。それだけ小澤の存在は大きい、さすが世界のオザワ、ってことでしょうか。
クラシック音楽を取り巻く状況

久しぶりにThe Stradを買ってパラパラとながめています。英語は不自由だけど、全頁カラーで綺麗な楽器の写真とか満載なのでながめているだけで結構楽しいのです。
で、目に付いた記事だけ拾っていくんだけど、ピンカス・ズーカーマンが、チケットの値段の高騰や赤字の増大、CD売り上げの落ち込みを引き合いに出し、クラシック音楽界に対して悲観的な見方を示す。そして問題に取り組むためにリーダーたちが集まってサミットを開くべきだ、なんて言ってる。読者からの手紙は、クラシック音楽は価値のあるものなんだから、コンサートホールというセーフティネットから抜け出し、勇気を持って外へ出るべきだと言っている。その一方で、サイモン・ラトルはカーネギーホールでベルリン・フィルとマーラーの第九を演奏した際に、客の咳が止まらないので、演奏を止めて静かにしとれと説教したらしい。
クラシック音楽を取り巻く状況は厳しい。だからコンサートホールという閉じた世界にこもらず、外に打って出るべきだ。でもそのお膝元であるはずのコンサートホールでもセーフティではない。救いはどこにあるのか。
でも正直、マーラーの第九は僕もキツイ。途中で絶対寝ると思う。あ、寝れば静かだから別にいいのか。と思って安心して寝るといびきという罠にはまる可能性。
ラトルのハイドン

初めて東京までクラシックの演奏会を聴きに行ったのが大学生の頃で、高速バスで行って大垣夜行で帰ってくるという節約プチ旅行。わざわざそうまでして聴きに行ったのが当時若手のホープと騒がれていたサイモン・ラトル指揮のバーミンガム市交響楽団。この時の来日公演では大物ソリスト2人と一緒に来てて、ギドン・クレーメルとのエルガーのバイオリン協奏曲も良かったらしいけど、僕が聴いたのはマルタ・アルゲリッチとのプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。アルゲリッチを生で聴くのも初めてで、むしろラトルよりそちらを期待して出かけたんだけど、もちろんそのプロコフィエフもスリリングで良かったんだけど、それよりも感服したのがオープニングのハイドンの交響曲、第102番。とても面白いし、第2楽章のチェロのソロも本当に浮かび上がって聴こえてきて、感激して帰ってきた。
それ以来僕の中ではラトルのハイドンは素晴らしいということになってる。事実、バーミンガム市響と録音した2枚のCDもとても機動力とユーモアがあって楽しかった。で、今回はベルリン・フィルを振っての88番から92番と協奏交響曲というマイナーな曲を揃えた2枚組。番号順に収録されていてその1枚目から聴き始めたんだけど、期待が大きすぎたせいかもう1つ消化不良の感あり。ベルリン・フィルってとてもよく鳴るので、それでかえって機動力が損なわれている気もする。そして1枚目最後の90番の最終楽章、偽終止があって曲が終わったと見せかけて拍手をもらっておいて、また演奏を続けるみたいな、いかにもハイドンっぽい楽章。これラトルは大好きらしくてバーミンガム市響とも録音していたけど、もう手の内を知っちゃうとむしろなんかうっとうしい。
でも2枚目になると調子も出てきて、だんだん面白くなってきた。協奏交響曲では安永徹、ゲオルグ・ファウストら、ベルリン・フィルの首席奏者たちの個人技が炸裂。とてもうまい。思うにどの曲も、車のない時代の音楽とは思えない速度で演奏してるんだけどあまりにうまくて余裕がありすぎるので聴き手には速く感じられなくて、それでいまいち消化不良な感が残るような気がする。
今バーミンガム市響とのCDを引っ張り出してきて聴き直しているんだけど、こちらの方が自然な感じがするなぁ、長く聴き慣れてるせいかもしれないけどしっくりくる。ベルリン・フィルとの録音は余裕があるから何かいろいろやろうとして策に溺れた感じがする。昔五嶋みどりがメンデルスゾーンの協奏曲を弾くのを何かで聴いたときもそんなこと思ったなぁ、あまりにうまいから、メンデルスゾーンの協奏曲ごときではあり余る技術を持て余しちゃうわみたいな。うまけりゃいいってもんじゃないとは、世の中難しい。
クナッパーツブッシュのワーグナー

同居人がワーグナーの「ワルキューレ」の音源がいるというので、どうせならとクナッパーツブッシュ指揮のDVDを購入。すこぶる立派な雰囲気でとてもいい。クナの映像は一時期かなりDVDで発売されたけど、僕が持ってたのはバックハウスとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番で、ピアノと指揮が全然合ってなくてコンマスのボスコフスキーの投げやりな表情がかなり笑えた。このワーグナーは真剣な雰囲気が伝わってくる。バリリもブラヴェッツも真剣そのもの。そしてクナの指揮ぶりは時々ムラヴィンスキーと非常に似て見える。年取って透徹してくるとああいう感じになってくるのかしらん。
オットー・ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」ってオペラがあるでしょ、その序曲をアマチュアだと平気で演奏会で取り上げたりするけど、オットー・ニコライって人はウィーン・フィルの創始者で、ウィーン・フィルがこの曲を演奏するのは特別なことで、よほどの指揮者じゃないと振らせないらしい。で、クナッパーツブッシュはちゃんと録音が残っている。それだけウィーン・フィルからの信頼も厚かったということだと思うけど、このDVDからはそんな信頼関係をしっかり感じ取ることができる。
しかしワーグナーの曲を1時間も聴き続けるのはしんどい。途中で挫折してネットサーフィン(って死語かも)。
クナッパーツブッシュというと昔読んだ何かで思い出すことがあって、ハイドンの交響曲をあまりに遅いテンポでやるもんだから団員の1人が質問したら、「これはロココなのだよ、君、自動車などない時代の音楽なのだよ」と答えたとか。今ってバロック音楽とかとんでもなく速く演奏してみたり、ベートーヴェンとかでもメトロノームの指示に忠実にやるからむしろとんでもなく速いテンポで演奏したりするのが多いし、僕もそれが正しいんだと思っていたけど、そういう速いテンポでやるのって、曲に忠実とかじゃなくて、現代のIT化しちゃった効率重視の慌しい世の中を反映してるんじゃないかって気が最近しているとこ。
バッハ無伴奏、日本人初録音

今は日本人のバイオリニストが世界中で活躍しているけど、その先駆けと言える人がこの人、豊田耕兒。僕は高校生の時に豊田先生の公開レッスンを受講して、とても影響を受けたので、この人の名前を聞くといてもたってもいられない。チェロには門外漢の僕がレッスンをするなんてお門違いなんだけど、と言いつつ、「いろいろやりたいことがあるのはわかるんだけど、それが演奏に出てきてない」というようなことを言われて、客観的に自分の演奏を聞くことの大切さを教わった。今から思うとこのたった1回のレッスンが結構今の自分の原点みたいになっている。何度接しても何とも思えない人もいれば、たった一度で大きな感銘を与えてくれる人もいる。
このバッハの無伴奏は、日本人として初の全曲録音だったそうです。実直な人柄をそのまま投影した実直な演奏。曲の全体を大きな目で俯瞰しているような懐の深さがある。僕も近視眼的にならず、大きなものを見通せる視野の広さがますます必要になるなぁと思いつつ。
良いお年を。
音楽ライフ
前回書いてから1ヶ月以上経ってしまいました。うちのステレオは10年ほど前のパイオニア製、片方のスピーカーから音が出なくなったり突然何かしらの信号をキャッチしてCDが動き出したり(しかも夜中に。こわっ!)して、もう寿命かとしばらく使わずに置いていた。こないだ久しぶりにコンセントつないで動かしてみたら、困った症状はすべてなくなっていて、未だかつてない美音でお気に入りのCDたちを鳴らす鳴らす。パイオニアは会社自体も瀕死の状態から立ち直ろうとしている真っ最中だけど、我が家のステレオも作り主に似たのか。買い替えの危機から幾度となく復活。
というわけで充実した音楽ライフを満喫中。
その他には、藤森氏の演奏に感化されて時間ができたら絶対にさらおうと思っていた、ハイドンのハ長調協奏曲の3楽章をさらいはじめたら左手の親指にあっさり水脹れができて挫折しそうになってみたり、演奏会も何回か聴きに行ってて、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲で「!」と思ったり、エルガーのチェロ協奏曲で「?」と思ったり、今日も行ってきたけどこの演奏は何というか、僕にはチャイコフスキーとシベリウスに対する侮辱としか思えず、若者がこんなことでは日本の将来はやっぱりエネルギー欠乏で衰退するしか道はないのかなぁと思ったりした。
やっぱり昔はよかった。昔は学研の「学習」と「科学」ってのがあった。その現代版がこれ。

昔を思い出させる学研の「大人の科学」、なんと付録があの「テルミン」ですよ。世界最古の電子楽器。思い出すなぁあの頃、なんてことは絶対ない。思い出すにはあまりに昔すぎる。でもちゃんと音が鳴る。「ブヒュイーン」って鳴る。ビブラートもかかる。「チューリップ」を演奏して最後の音でビブラートかけまくるのが吉。でもチューニングは難しい。全然チューニングできてない気がする。でもいっか、きちんとチューニングできてないのはチェロ弾くときも同じだから。
世の中には「テルミスト」を名乗る人もいるらしい。テルミンを演奏する人をテルミストって言うんだ。これで僕もテルミスト。日本できっと第2543874号くらいのテルミスト。ところで大人の科学は「テルミンの音を一言で表すと?」という質問を取材した人たちにぶつけてみたそうだ。その答え。「尺八。」「チェロだと思います。」「中国の二胡、胡弓とか。」「コントラバスの音も出せます。」というのから、「幽霊が出てくる前の前奏曲とか?」「横山ホットブラザーズのノコギリ演奏」というのまで。
ふむぅ、チェロの音と横山ホットブラザーズのノコギリ演奏の音は同じ音だったんだ。
という感じで、あまりに充実した音楽ライフを満喫中。
とてもよかった
昨日は名古屋市立大学OB管弦楽団の演奏会でした。フレーズの長いワーグナーの音楽は聴くのはとてもつらいけど、それを弾くことにはチャレンジ精神をかきたてられた。ドヴォルザークのソリストのロシア人は、練習が始まる時間になると行方不明になったり、他にもいろいろ大変だったらしいけど、本番はいい演奏をしたし、オケも柔軟性があった。僕はこの曲を以前に1度やったことあるけど、その時より全体の完成度は明らかに数段上だった。
チャイコフスキーの4番も、とてもよかった。この曲の最後はアマチュアがやるとたいてい管楽器があおって弦の音はどんどん薄くなり、パーカッションばかりがジャンジャンやって気分がいいのは自分たちだけの空虚な演奏になってしまうんだけど、最後までギリギリの理性を保っていたし、集中力と緊張感が途切れなかった。1楽章の弦楽器のテーマはずいぶん速いテンポで始まっちゃってどうなることやらと心配したけど、心配したのは僕だけではなかったらしく、徐々に落ち着いていった。外で聴いてると結構テンポがぶれたかもしれないけど、そのせめぎ合いの中で、落ち着いてしっかり曲を作りたい雰囲気の方がお祭りをしたいという雰囲気を上回ったんだと思う。それも練習の時から真面目に取り組んできた賜物。演奏後のブラボーとなかなか鳴り止まなかった拍手は、義理だけではないと思う。
指揮者の北原さんは以前と比べるとだいぶ、上のほうから降りてきて合わせてくれているなという印象。技量に合わせてテンポ設定をしてくれるし、それでがんばってきちんと弾けばきちんと音楽になるということを実証してくれた。ツァラトゥストラもワーグナーもドボコンもチャイコの4番も、北原さんでなかったらこれほどまでの実力以上の演奏ができたとは思えない。
それにしてもチャイコフスキーの4番はとてもよかった。有名な4番から6番までのシンフォニーの中で4番だけはなかなか馴染めなかったんだけど、真面目に取り組めばとてもいい曲に仕上がるんだということが実感できたのはとてもよかった。なかなかこういう経験はできるものではないので、こういう機会を与えてもらったことに感謝したいと思う。
「続・クラシック音楽と本さえあれば」

遅ればせながら、考える人2007年夏号「続・クラシック音楽と本さえあれば」を読んでいるところ。表紙でビルスマが5弦のチェロ・ピッコロを構える。ページをめくるとビルスマの自宅の雰囲気がうかがい知れて興味深いけど、自然が多くてゆったりした雰囲気で、そしてたくさんの本と楽譜!それに写真にうつるビルスマの表情が、穏やかないい表情をしてるんですね。あの落ち着きのない演奏姿しか知らなかったから、ちょっと意外というかギャップがあった。
この本ではさかんに演奏家と時代背景との関係を探る。ビルスマやアーノンクールなどの、古楽器演奏に早くから取り組み世間に広げた人たちの世代は、ちょうど幼少期を第二次大戦の最中に過ごしているわけです。この多感な時期に戦火を経験したことによって、時代に対する警戒感が培われて、それがそれまでの慣習にとらわれない古楽演奏に精力的に取り組むモチベーションになったと。メンデルスゾーンを中心とした、当時忘れ去られていたバッハの復活活動の背後にも、多分に政治的背景があったのではないかと。
あとは吉田秀和とかバーンスタインとかグールドとか、音楽と関係ないけどユニクロのUT STOREとか。内田光子のインタビューがとても面白かった2年前の「クラシック音楽と本さえあれば」と比べると、表紙の紙質がよくなくなって経費削減って感じ。
演奏会終了
愛知教育大学管弦楽団同窓会の演奏会が終わりました。今はやりのネーミングライツで「中京大学文化市民会館」と名前も変わった名古屋市民会館で、大ホールも「オーロラホール」などというたいそうな名前がついていましたが、中ホールに至っては「プルニエホール」になってました。プルニエって誰ですか?と疑問を抱きつつ会場入り。
13:00というとても早い時間の開演で、リハーサルが終わってから落ち着く間もなく本番、まぁそれはいいとしても、仕切り役の人が「今日は時間がないから急いでください」とあんなに絶えず急かしていては、そうそういい演奏ができるとは思えないけどなぁ。誰か落ち着ける役の人が一人でもいればよかったのに。
でもプロだと開場時間を延ばしてまでもリハーサルをしてることもあるから、場慣れはそれなりに大事。友弦の演奏会の時はいつも直前までコーヒー飲みに行ってリラックスしてるんで、多少は慣れていて良かった。でも昨日はリラックスしすぎてむしろ本番でなかなかテンションが上がらなかったのは失敗。気持ちのコントロールもなかなか難しい。
「ツァラトゥストラはこう語った」は、止まらずに最後まで通るようなコツはオケ全体としてつかめていたような感じなので、本番でも変な切迫感というか緊迫感はなく演奏できたのではないかと。むしろ問題はブルックナーの方で、やっぱりこのブルックナーの4番って途中でだれるなぁと。3楽章でもう全然緊張感なくなっちゃってこれはまずいなぁとか思いながら弾いていました。プログラムが長くて疲れてきたせいもあるのかもしれないけど、やっぱり曲が冗長で聴かせる演奏をするのが難しいこと、それと朝から急かされ続けて無意識のうちに精神的な疲労がたまっていたんだと思う。
なんにしてもいろいろ勉強になりました。気持ちのコントロールはもうちょっと意識的に、テンションを上げたり下げたりできるようになりたいなぁと思ってます。
ツァラトゥストラのこと
この週末は愛教大OBオケの練習へ行ってきた。R.シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」とブルックナーの4番という我々には不相応な長大なプログラムだけど、日曜日の練習では両曲とも一応最後まで通ったので、本番で止まってしまうという非常事態だけは避けられそうな見通し。と楽観的なことを言っているとバチが当たるかも知れないけど。
R.シュトラウスの曲は大変だけど、だいぶ弾けるようになってきて、だいぶわかってきたところ。この曲は生で聴いたことある割には冒頭の有名なテーマしか知らなかったんだけど、自分的には最後の部分が衝撃的。シャープが5つだからH-durだと思うんだけど、低弦にはピチカートでドの音を弾かせる。全然調和しない。H岡先生によると、H-durが人工物でC-durが自然を表現しているそうです。で、最後はCの音で自然が人工物に勝るんだと。さすがに勉強している。
でも息も絶え絶えな最弱音のピチカートで終わるあたり、結局すべてのものが破滅するんだという風に僕には感じられるなぁ。
それにしてもこんな曲が通るようになるなんて、指揮者の力は偉大だと思わざるをえない。練習の進め方とかしゃべりとか、上から降りてきて合わせてくれている。「ここは本当に夢に出てくる」って言ってたけど速いテンポで3連と4連が交互に出てきて僕はまだ全然わからないところも、きちんと振ってオケが勝手に拍が揺れちゃうのにもしっかりつけてきて、しかも妙にニコニコしながら振っている。
そして「お、まだ時間があるから最初の方に戻って....」という必殺のフレーズ。やっぱ巨匠になるとみんなこう言うんだなぁ。
21日の火曜日にはH岡先生とチェロ二重奏を2曲+アンコール、それにカサドの無伴奏組曲の終曲を弾いた。ポジションの跳躍するところもそれなりに音程が当たり、鳴らしにくいフラジョレットもそれなりに鳴ったので良かった。「完璧だったよ」とH岡先生に言われて有頂天で帰ってきたのも束の間、改めてツァラトゥストラの楽譜を見てかなり焦ってCD聴いたりさらったりして、自分なりには結構弾けるようになったなぁと自画自賛して日曜日の練習から帰ってきて、改めて家で一人で弾いてみると音程がとんでもなくてかなり焦っているところ。やれやれ。あと1週間でどうなりますことやら。
分をわきまえる
R.シュトラウスとブルックナーをさらっていますがかなり大変です。相場も荒れ放題でかなりパニくってきました。僕の中でツァラトゥストラは「まだまだ株は下がるぞ、おまえもいい加減くたばりやがれ」と語っています。
昔はまったく理解できなかったR.シュトラウスの曲が、最近はとてもすごいものに思えてきた。これだけたくさんの音を要求しつつ、全体としてはまったく濁りのない響きが形作られる。僕なんかチェロの1つのパートを弾くだけでヒーヒー言ってるのに、それをたくさんのパートに書いて全体でも調和が取れているというのはすごいことだなぁと。何かとてつもなく大きなものに対峙しているような気がする。と同時に、楽器を弾くことを生業としている人だったらこれくらいはマスターできるだろう、マスターできなければならない、とも思う。これはドン・ファンを弾いたときにも感じたことだけれど。
いずれにせよ、根本的に我々ごときが取り組むべきものではない。分をわきまえるべきだと思う。
いい加減さらうの嫌になってきた。おまけに来週はソロも二重奏もやらなくてはいけなくてさらにパニくる。もうこんな生活は二度としないぞと思っていたのに。「まぁ嫌になったからリヒャルト降りてもいい?」って聞いたら「君にはそう言われると思ったよ」と言いつつ首を縦には振ってくれなんだ。本番まであと2週間、どうなりますことやら。
ゲストがすごいぞ
今日はお誘いいただいた演奏会というか発表会を聴きに行ってきました。ゲストがすごいぞ、N響主席の藤森亮一氏。バッハの無伴奏3番全曲に始まり、ハイドンのハ長調の協奏曲、チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレはチェロのソロと弦楽合奏による版、そしてヴィヴァルディの弦楽の曲とアンコールのサウンド・オブ・ミュージックもチェロ・パートの後席で参加するという、N響主席をこれでもかと使い倒すプログラム。
この人は以前も思ったけど、音量はやっぱりあまり大きくないけど、とても音が綺麗なんですね。後ろで弾いていたバイオリンの子供たち(分数楽器使用者も大勢いると思われる)とは言わずもがな、それなりの職業音楽家を揃えたビオラやチェロやコントラバスと比べてもその美音ぶりは際立っていた。それにあれだけ長時間弾いても結構平気で疲れてなさそうなのは、普段はハードワークなオケマンならではでしょうか。
予習

9月は北原幸男氏の指揮で2つ演奏会があるので、その予習。今までも何回かこの人の指揮で弾いたことがありますが、ただひたすら謙虚に丁寧に曲の良さを引き出そうとする姿勢がとても素晴らしく、毎回楽しい経験をさせてもらってきました。
このCDはブラームスのダブル・コンチェルトと交響曲第1番という、かなりしっかり詰め込んだ満腹感溢れる選曲とともに、演奏ももちろん素晴らしくて満腹感×2。どちらも有名な曲なので巷では何種類もCDが出てるけど、その中からあえて手にする価値は十分にある。この指揮者らしい、ただ誠実に楽譜を音にすることで立派な音楽に仕立て上げてしまうという趣。戸田弥生&山崎伸子というソリストも購買意欲をそそられた大きなポイントで、期待に違わぬ誠実な演奏を展開。
「節目の年に」と題された北原氏の寄稿によると、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの3人は氏にとってとりわけ偉大な存在らしい。9月の演奏会では、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、R.シュトラウスなどとともに、ブルックナーの交響曲もしっかり入ってます。自分はいまだにブルックナーの音楽は苦手だけど、この認識を変えてくれるか、ちょっと楽しみ。
宗次ホール初体験
金曜日に、ソンミン・カンという韓国の若いチェリストのリサイタルを聴きに宗次ホールへ行ってきた。栄にできた宗次ホールは初体験。壁は白で舞台は黒、床はコンクリート打ちっぱなしというクールな作りがなかなかよい感じ。客席数は確か400に満たないけど2階席まであり、奥行きが狭く天井が高い。教会とかこんな感じかもなぁと思いました。
ソンミン・カンという人はここで書いた、韓国の女の子。コンクールでの様子はちょっとだけウェブサイトで見たことがあって、あの一弓スタッカートがすごいなぁと感心しきりだったこともあり、とても期待して聴きに行った次第。プログラムは、その一弓スタッカートを聴かせるロカテッリのソナタニ長調(もともとバイオリンの曲なんだね)に、カサドの無伴奏にドビュッシーのソナタ、休憩を挟んでブラームスの大作、ソナタ第2番。
前半は2階で聴いていて、おやっと思った。音が上に抜けるかもと知ってる人から聞いていたので2階に座ったんだけど、音はあまり聴こえないし、ピアノの方がよく聴こえる感じ。そんな消化不良のまま休憩に入り、やっぱりチェロのリサイタルだから僕の知ってる人も何人か聴きに来てて、みんながみんな「素晴らしい!」なんて言ってるもんだから、あらー僕の耳っておかしいのかなぁと落ち込みつつ、後半は1階に座ってみた(途中で席を移動できるのが自由席のいいところ)。確かに1階だと生音も聴こえてきてピアノとのバランスもかなり改善。でもそう特別なインパクトを感じることもなく、アンコールまで終わってしまった感じ。
最近名前を聞かないけど、オーフラ・ハーノイっていうチェリストがいたでしょ、とても美人の。あの人はなんか軽やかなんだけど鼻歌っぽくて全然薄っぺらな感じで、ありゃ美人だから売れただけだよななんて思ってたんだけど、そこまでではないにしてもソンミン・カンの演奏はどちらかというとそちらの系統のような印象を受けた。テクニックはほんとすごくて、高いポジションへ跳躍しても音程合いまくりだし、表現もきちんとできてるし、一弓スタッカートなんてあれは世界でもできる人は数少ないくらいじゃないかと思うけど、肝心の、聴き手へのインパクトに欠けると感じた。そう広くない宗次ホールで、2階席に座ったくらいで音がいまいち聴こえてこないなぁと感じるくらいだから、今のままではちょっと厳しいなぁと。まぁまだ若いし、基本的なテクニックは出来上がってしまっているので、今後どうとでもなるでしょう。先は長いのでこれからに期待。
なんて偉そうに書いてるけど、当日聴いてるときはちょっと焦った。僕の耳はやっぱりおかしいのかなぁって。でも演奏会後に名古屋では重鎮のN先生も僕が感じたのと同じようなことを言ってて、かなり安心して、それなりの自信を持って書いた次第。
ピアノはとてもよかった。経験の違いか、チェロとは格が違うと感じた。沢木良子って人。ちょっと覚えておこう。
友弦の演奏会
友弦合奏団の演奏会が終わりました。今回もまたいろいろと考えさせられることが多くあり、非常に勉強になりました。自分の演奏はまあまあ、本番1週間前に張り替えた弦の調子がなかなか良好で、特にドヴォルザークの弦楽セレナードで悪くない演奏ができ、足を引っ張ることはそんなになかったかもと少しほっとしているところ。
今回の演奏会の目玉は何と言っても世界初演のすぎやまこういち作曲「チェロのためのオキナワ」だったわけですが、当日のリハーサルが全体的にあまりによくなくてかなり危険だなぁと、ビオラのお二方とクリエでコーヒーを飲みながら話していたんだけど、本番ではそれがいい緊張感になってなかなかうまくいったように思った。そしてソリストとコンサートマスターは、本番にばっちり照準を合わせてくるという、プロの演奏家の真髄を見た感じがした。ほんとに本番はソロを聴きながらそしてバックで弾きながら、もっと気を入れて弾かないとと、いい緊張感を感じることができたし、自分がどんどん乗せられていくのがわかった。演奏後に作曲者のすぎやまこういち氏とかソリストとかコンマス氏とか指揮者氏とかが握手を交わしているのを見て、感激して泣けてきてしまった。自分にとっては何もかもがとてもよかった。こんなところに参加させてもらうなんてまったく分不相応だけど、他力本願的に周りの人たちのおかげで自分も実力以上の演奏ができたような気がするし、ただただ感謝するばかり。
名フィル
土曜日に名フィルの演奏会を聴きに行ってきました。ヤコフ・クライツベルク(いつもながら指揮者はいいのを連れてくる)の指揮で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と、ショスタコーヴィチの「1905年」というタイトルのついた交響曲第11番。ピアノはキリル・ゲルシテインという若い人でした。
名フィルを聴くのはいつぶりか忘れたけど、この日の演奏はとても良かった。やっぱりショスタコーヴィチの曲はイ
