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ショックが大きい
行きつけの中華料理屋がついに閉店してしまう。昨日は、練習後によく飲みに行ったN谷氏と最後の宴。注文した麻婆豆腐が忘れられるなど最後までらしさを発揮。今度からは亀山まで行かなくてはいけない。あまりに遠い。
子供の頃に時々行った山花町のあんかけパスタのベニス、親に連れられてよく行ったこれも山花町の桃太郎、学生の頃に月に1度はかならず通った川原通のたいこ判と、懐かしい店が次々と閉店していったけど、今回の中華料理屋は正直あまりにショックが大きい。明日から僕はどうしたらいいのだろうか。
GW
GW中に聴いた中で、近く閉鎖されてしまうルンデで聴いたこのえ弦楽四重奏団のことを書かなくてはいけなくてはと思いつつ、なかなか、何をどう書いたらいいのか。さすがに経験が長いだけあって立派な演奏だなぁという感嘆と、我々のレベルではこれ以上は無理なのかなぁという落胆が半々。ビオラのT氏によるプログラムノートは非常に力作で示唆が多く、演奏もそれを反映した興味深いもので、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」の後のアンコールにR.シュトラウスの「アンダンテ・カンタービレ」を弾く(こんな曲あるんだね、よく探してくるなぁ)というのも選曲の妙だし、でもだからといって手放しで賞賛できる演奏だったかというと、僕にはそう言うのは難しい。
曲はベートーヴェンの2番とチャイコフスキーの1番。ベートーヴェンもチャイコフスキーも何の気なしに曲を書いたわけではなくて、やっぱり何かしら思い入れがあって、一生懸命書いたと思うんだよね。そういうエネルギッシュさが演奏から感じられないのが、僕には非常に消化不良の印象があった。何かきれいにまとめることばかりに気が行ってて、フォルテで強い音の箇所が、ルンデの狭いホールでも聴き手まで強い音として聴こえてくることがなく、結果せっかく繊細に演奏されていたピアノで弱い音の箇所とのコントラストがはっきりせずに、演奏自体が聴き手に訴える力が弱いように感じたのが残念だった。
それと明らかに意図的に行なっていたと思うビブラートを控えての歌い回しが、意図は非常に面白いんだけどなかなか難しいなぁと感じた。ビブラートをかけない音はノリントンが「ピュア・トーン」というように非常に純粋で印象深い音が出るんだけど、それはそういう音を出した時にそうなるのであって、左手でビブラートをかけないときは右手が相当気を使った弾き方をしないとむしろ神経の行き届かない耳障りな音になってしまう。全然関係のない昔のことを思い出しちゃったけど、マーラーの交響曲でグリッサンド(音のずり上げ、ずり下げ)って書いてある箇所がある時に、普通にやるとグリッサンドはたいてい貧相な雰囲気になってしまって、それでも楽譜に書いてある通りにやってますからって弾いてる人たちは全然改善しようという雰囲気もなかったんだけど、いやそれは違うだろうと。グリッサンドも品のいいグリッサンドと貧相なグリッサンドがあって、品のいいグリッサンドじゃないと曲に合わないでしょうと思ったんだけど、そんな昔のことを思い出してしまった。ビブラートをかけない音が、ピュア・トーンになり切っていなかったことで、結局はせっかくの興味深い試みの印象を奏者たち自らで弱めてしまっているのがとても残念だった。
と書いてると、なんか単に僕の理想が高いだけのような気がしてきた。なかなか満足できないというのは人生素直に楽しめず、ほとほと損な性格だと思う。
他には愛知学泉大学のオーケストラを聴きに行ってN響コンサートマスター堀正文氏の至芸(パガニーニのテクニカルなのをあっさりと弾いちゃった)をいやと言うほど堪能したのとチェロのエキストラの演奏ぶりに腹を立てたのと、久しぶりにロッシーニやらバリエールやらのデュオを弾いて技術的にはそれなりに上達しているらしいことを確認したのと。
はぁ、しかしなんか人前で弾くのは難しいね、僕なんて今まで何を晒してきたんだろうか、やれやれだ。
バッハの協奏曲
前回の続きですが、バッハの3台のバイオリンのためのコンチェルトは、3台のチェンバロのためのコンチェルトBWV1064の編曲。ハ長調の明るい曲です。
バッハのチェンバロ協奏曲はたくさんあるんだけど、基本的になにか他の楽器のための協奏曲から編曲されたものという認識があって、実際バイオリン協奏曲として残っているイ短調とホ長調の曲はチェンバロ協奏曲のト短調BWV1058とニ長調BWV1054と同じ曲で、有名な2台のバイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043は2台のチェンバロのための協奏曲ハ短調BWV1062と同じ曲で、チェンバロ協奏曲のヘ長調BWV1057はブランデンブルク協奏曲第4番と同じ曲で、番外として4台のチェンバロのための協奏曲はヴィヴァルディの有名な4つのバイオリンのための協奏曲と同じ曲。
まぁこうやって両方とも残っている場合は何も問題はないと思うんだけど、チェンバロ協奏曲は他にもたくさんあるんで、ここから元の楽器のための協奏曲へ復元しようという人がいるわけです。その中で最も有名というかこの曲ばっかりが知られているというのが、バイオリンとオーボエのための協奏曲で、これは2台のチェンバロのための協奏曲ハ短調BWV1060からの復元。その次によく知られているのが(と言ってもすでにほとんど知られていないけど)バイオリン協奏曲ト短調で、これはチェンバロ協奏曲ヘ短調BWV1056からの復元。第2楽章が「アリオーソ」という名前で有名な曲と同じ旋律のもの。そして僕がチェンバロ協奏曲の中で一番カッコよく最強な曲だと思っているニ短調BWV1052はバイオリン協奏曲に復元されたものがある(ファビオ・ビオンディとエウローパ・ガランテの録音が最強によい。曲がいいから当然だが)。
しかし、こういう復元って本当に正しいのだろうか?チェンバロ協奏曲でチェンバロの楽譜しかないはずなのに、なんで元の曲がバイオリンとかオーボエとかってわかるのだろうか?今回の3台のバイオリンのための協奏曲だって、本当に元は3台のバイオリンなのだろうか?というわけで、合宿で同室だったT氏は先日までブリュッセルにいてプティット・バンドで弾いていた人なので、聞いてみたんだけど、きちんと調べてみないとわからないという前提付きで、断片が残っているのかもしれないし、まぁこういうのはそうだと言えばそうなんだよ、ということだった。
まぁ、そりゃそうだよね。
今回の3台のバイオリンのための協奏曲は、こういう編曲があるってことは全然知らなかったんで初めは驚いたし、送られてきた楽譜(チューリヒのHugって出版社?こういう出版社があるの?)がルドルフ・バウムガルトナーの編曲って書いてあって、この人はフルニエが弾いたハイドンのチェロ協奏曲の録音のバックで指揮をしてる人だし、記憶違いかもしれないけどカザルスとも何やら演奏していたような覚えがあるんで、へーこんな人がこんな編曲してるんだ、面白いけどうさんくさいなぁ、なんて思ってたら、合宿に行ったらベーレンライター版を渡されて、つまりベーレンライターからも編曲者は違うけれど同じ編成で楽譜が出てたので、3台のバイオリンというのはきちんと市民権を得た編曲なんだろうと感じた次第。日本のクラシック音楽の権威である音楽の友社の「作曲者別名曲解説ライブラリー12 J.S.バッハ」には「3つの旋律楽器がヴァイオリンだけであるか、ヴァイオリン、フルート、オーボエであるかは意見のわかれるところだが、音域がほとんど同じであること、共通の音型が多いことなどから、今日では3つのヴァイオリンであることが確実視され、新バッハ全集の復元もそれを踏襲している」とある。さすが、権威に言われるとなるほどといった感じで納得してしまう。
