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2007年01月07日

Vivaceは速いのか

新年早々ですが、名古屋市立大学オーケストラの演奏会が昨日終わりました。ドヴォルザークの交響曲第4番とか、フンパーディングという作曲家とか、その人の「ヘンゼルとグレーテル」というオペラとか、今まで全然知らなかったものをいろいろ知ることができて、なかなかよかった。そして学生さん達の中に入ってもまだまだ十分やっていけるエネルギッシュな自分を知ることができたのもよかった。

そしてスメタナの「わが祖国」の終曲「ブラニーク」の最後の最後の部分では、16分音符で書いてある箇所を8分音符で弾くように指示があったのに、D肥先生に「あれ、先生そこは16分音符で弾くんですよ」「先生なら大丈夫ですよ」とか言って、今にして思うと我ながらひどいからかいようだなぁと恐縮しきり。しかし今回自分の中で引っかかっていた部分はまさにここでありまして。

この最後の部分の楽譜上の指示はVivaceになっていて、慣例的にはクライマックスということでテンポを上げて高揚感を高めるわけですが、それだとチェロの417小節目から、バイオリンだとその数小節前からの16分音符はほぼ演奏不可能で、弾いたとしても音が痩せてしまうし、しっかり鳴らすためもあって慣例的に8分音符で弾いているのだと思う。しかし、あくまで楽譜上は16分音符、スメタナ自身も16分音符で書いているのだと思う。

というわけで、今度はVivaceという指示について考えてみるんだけど、そういえば昔読んだことがあるなぁと思い出して、アカデミア・ミュージックから出ているアーノンクール著「音楽は対話である」を何年ぶりかで引っ張り出してきた。この中のモーツァルトについての記事で、時代が違うかもしれないけれど面白いのでここに引用すると、Allegro vivaceの項で、「ヴィヴァーチェと表示された楽曲における小さな音価の音型は、生き生きとした活発な表現に相応しい。そのためこの細かい音型は、細部に活気を与えるためにあまり速く演奏されてはならない。....」と書かれていて、Allegro vivaceは単なるAllegroよりもゆっくりで、Allegrettoと同じくらいのテンポになるようで。つまりVivaceは活発な雰囲気で、でもテンポはむしろ落ち着いた感じで、ということかと思う。

そして最後に当日のプログラムから、スメタナ自身が残したこの曲の解説文には「....フス教徒の歌の中には幸福と栄光、開放にあふれたチェコ王国の復活があり、この勝利の行進曲で曲は結ばれる。」とあるそうで。最後の部分が行進曲であるならば、慣例的な速いテンポでは行進曲じゃなくて徒競走って感じになってしまうので、むしろゆっくりなテンポで、中日ドラゴンズの優勝パレードとか、ああいうゆっくりと胸を張って沿道の人々の喝采を受けるような雰囲気の方が理にかなっている気がする。

というわけで、考えれば考えるほど慣例的な速いテンポで高揚感を高めるやり方よりもゆっくりなテンポで堂々と曲を終える方が正しいような気がしてくる。実際、昨年末に相次いで来日し話題を呼んだアーノンクールとノリントンの、曲を洗い直して新鮮な視点で演奏する二人は、この部分はゆったりとしたテンポで演奏している。民族自立の運動が盛んだった時代に作曲され、よりにもよって「わが祖国」などという大仰な標題を付けられた、全6曲を演奏すれば1時間になるという大曲のクライマックスを、速いテンポでちゃっちゃかちゃっちゃかと駆け抜けてしまうのはいかにも味気ない、堂々と大手を振って勝利の行進をしてもらいたいと思う。


ちなみにアーノンクールは417小節目の、「高い城」のモチーフが出てくるところでさらにテンポを一段落としている。どこかにそういう資料があるのか、曲が循環していることを強調するための指揮者の個人的な解釈なのか、まぁともかく天下のウィーン・フィルを納得させて演奏させているのだから、それなりの理由があるのかと。

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