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2006年09月25日

手段と目的

土曜日は八事の喫茶店で、川田知子さんとベルンハルト・直樹・ヘーデンボルクさんのヴァイオリンとチェロのデュオ。バッハ、コダーイ、ロンベルク、ヘンデルの曲をヘーデンボルクさんの解説とともに。どれもこれも間近で素晴らしい演奏を聴くことができ、すごい迫力で贅沢な時間を堪能した。ヘーデンボルクさんはとても若いのにとても上手で、テクニックも確実で基本がしっかりしていてぶれない感じ。ロンベルクの曲ってとてもテクニカルで今までできるだけ避けてきたんだけど、弾く人が弾けば弾けるんだなぁ。

しかし、芸大生とかこの辺の一応プロを名乗っている人とか、全然聴きに来ないのね。どこでなにしてるんだろ。

日曜日は六番町の喫茶店で、真空管アンプの視聴会を覗いてみた。いい年のおじさんたちがなんやかやと言いながらアンプつなぎかえたりニヤニヤしながら真空管を眺めていたりするのを見ると、面白い趣味もあるんだなぁと妙に楽しい。そしてマスターに教えてもらってYouTubeとかパンドラの箱(URLがわからない)とか、今やネットで好きな音楽とか映像を見ることができて、便利かもしれないけど音楽自体がなんか軽くなってしまったような感じ。

というか、音楽っていうのはいったい何?「音楽を楽しみましょう!」とか「演奏技術よりも音楽の方が大切なのだ!」とかしたり顔で言ってても、じゃその音楽ってのはいったい何なんだろ。間近で上手な人の演奏を聴いて、難しいパッセージが流れるように歌うように演奏されるのに感動したり、ひそやかなppから迫力あるffまで雄弁な表現に感動したりしたところで、それは音楽に感動しているのか、演奏技術に感動しているのかわからない。綺麗なメロディやハーモニーに感動したとしても、実はそれを作った人の作曲技術に感動しているのかもしれない。アンプやスピーカーをいろいろ試して最高のシステムを作り上げても、音には感動するけど音楽はまた別。

というか、音楽好きな人は僕もだけど音楽が目的のような言い方をするけど、本当はむしろ音楽は単なる手段でしかないような気がする。音楽を手段にして、自分の退屈な時間を埋める。音楽を手段にして、がんばった自分を見てもらう。音楽を手段にして、がんばった自分に酔いしれる。音楽を手段にして、仲間を作って自分の存在を確認する。音楽を手段にして、友人や彼氏や彼女を作る。作曲技術や演奏技術の達者な人は、音楽を手段にして自分の技術を誇示する。音楽で生計を立てている人は、音楽を手段にしてお金を稼ぐ。

まぁ結局音楽は何か別の目的のための手段でしかないわけで、音楽じゃなくてもスポーツとか競馬とか麻雀とかでもいいわけで。

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